彼女との出会い 1
僕は学校の屋上のフェンスから運動場を眺めて立っていた。
何をするわけでもなく、ただただぼーっと眺めるだけ。
空は綺麗な秋空にも関わらず、そんな綺麗な空に興味を示す余裕なんてなかった。
だって心の中はこんな秋空とは真逆の豪雨だったから。
その原因はただ一つ。
昨日、自分が推している……いや、推していた配信者にディスられているサブ垢での配信を見てしまったからだ。
「なんでこうなったんだろ……」
ため息と共に何度呟いてしまったか分からない言葉をまた漏らす。
答えなんて自分で考えても分かるはずなんてなかった。
だって、その配信者や一緒にその配信者を推していた同志たちじゃない限り、分からないのだから。
いや、違う。
分かったところで僕がそれを受け入れられるかどうかなんてものは別問題だ。きっと受け入れることは出来なかっただろう。
『好きだったのに、なんで?』
それしか思いつかないほど末期に近い症状なのも事実だった。
思わずフェンスに手を伸ばし、力を込める。
ギシッと鈍い音が鳴り、フェンスが少し軋んだ。
同時に僕の頭の中に思い浮かんではいけないものが思い浮かぶ。
「ここから落ちたら、即死出来るのかな。痛いのが嫌だけど、一瞬の痛みだったら耐えられるかも……」
心の痛みの方が強すぎるからこそ、それだけの痛みに対しての感情が少しだけ鈍感になっていた。
もう少し心に余裕があれば、『死』という恐怖に怯え、歯止めがかかるはずなのに、それを考えることが出来なかった。
あいにくこの学校のフェンスはそこまで高くはない。結構前に改装はされているものの、頑張って登れば、フェンスの外側に立てるほどの高さしかなかった。
もし最近、改装されていてば、フェンスは校舎側に向かって伸びているように作られ、自殺出来るようには作られていないはずだろう。
所詮、もしもの話なので、実際そう作られていたのかは分からないけれど。
「きっと教育委員会とか、そこらへんで問題になるんだろうな」
死ぬ気があるのかどうかは分からない。
心が平常心を失っている状態で僕自身が何をしたいのか、本当に分からない。
分からないけれど、僕の意思と身体はフェンスを登ろうとし、手足を伸ばす。
「ガシャガシャ」と鈍い音を立てる。
そんな音で止まるはずもなく、登ろうとしていると、
「何してるの?」
女性の声が耳に入ってきた。
その瞬間、本能的に僕の動きは止まる。
一瞬、思考がパニックした。
間違いないなく、フェンスを登ろうとしている無様な姿で動きを静止させているのだから、『何をしようとしているのか?』なんて丸分かりだろう。
しかし、声をかけてきた女性は続きを言わない。
僕の返事を待っているかのように。
だから、咄嗟に言い訳を考える。
けれど、いい答えなんて見つかるはずもなく、
「フェンスに着いた綺麗な木の葉があったから取ろうかと思って……。ついさっき吹いた強風で飛んで行っちゃったけど」
そう言いつつ、下へと降りた。
その女性の方へ身体ごと向け、フェンスに身体を預ける。
「そっか。そうなんだ」
納得の返事をしつつも、心の中では全く納得していない返事。
それも当たり前だろう。
僕自身、下手くそすぎる嘘を付いたと思っているぐらいなのだから。
それよりも驚くべきがあったから、実際そんなことはどうでもよかった。
僕の目の前にいる女性のことだ。
いや、女性というよりは女子の方が正解だろう。
なぜなら彼女は同級生なのだから。
だからこそ、僕は彼女のことを誰か知っている。
むしろその澄んだ声を聞いた瞬間から理解はしていた。
しかし、彼女がこんな放課後の屋上に来るなんて予想すらもしていなかったから、当てはめる人物がいなかったと思っていた方が近い。
彼女の名前は秋山明日美。
同級生の中で容姿端麗で学年成績一位の学年の底辺である僕とは完全に住む世界が違う人だ。
一年生の頃に同じクラスになったこともあったが、一学期の期末テストでそのことを知ってからは話しかけることが恐れ多い人になってしまった。
きっと本人はそんなことはないのだろうけれど、遠慮するとここまで行ってしまうのか、と初めて思い知らされた出来事でもある。
「えっと……何しに屋上に来たの?」
いつまでも無言のままではダメだと思い、僕は思いきって質問を投げかける。
動揺と緊張で声が震えていた。
だからこそ、秋山さんもその質問を聞き取れなかったらしく、首を傾げていた。
しょうがないのでもう一度同じ質問をしようと口を開きかけた時、秋山さんはおもむろに歩き、僕の隣に立った。
立って、先ほどまで僕が見ていたようにフェンス越しから運動場を一瞬だけ眺めた後、僕の方へ顔を向ける。
「さっきなんて言ったの?」
そう言って、先ほどの質問を尋ねてきた。
「『屋上に何しに来たの?』って聞いたんだよ」
やっぱり僕の声は震えていた。
しかし、隣にいたからか、今度はしっかり聞こえたらしく、秋山さんは少しだけ考え込み、
「自殺しようとしている人がいたから止めに来た……かな?」
なんて少しだけ茶化した言い方で答えた。
「……なんだ。やっぱりバレてたのか」
僕はそう言って、床に顔を向け、弱々しく答えた。
「フェンスに手足かけて登ろうとしている人がいれば、誰でもそう思うんじゃないかな? あと、そんな死にたそうな顔をしてれば。気付いてないかもしれないけど、さっきからびっくりした顔と泣きそうな顔しか見てないよ」
「そりゃそうだよ。止めに来た人が秋山さんだって知ったら誰でもそうなるよ。少なくとも驚いた原因はそれ尽きるけど」
「それは違うと思う。きっと私じゃなかったとしても、誰でも驚いた表情をしたんじゃないかな」
「そうかな?」
「そうだよ」
そこで会話は止まる。
なんとなく全部見透かされてるような気がして、これ以上の会話を続ける気が起きなかった。
だから、どちらかがここから立ち去らないといけない、と思った。
そう思った時、この状況で立ち去るべき人間は僕しかいなかった。
なぜなら、秋山さんは僕を置いて立ち去れないから。
立ち去ってしまえば、自殺をしてしまう可能性があるからだ。
そう思って、僕は顔を上げた途端、
「私が来た理由は本当は違うよ、滝本くん」
僕の名字を呼ばれた。
ビクッと身体に電気が走ったような感覚と、今までずっと考えていた『なんで?』が一瞬にして切り替わった。
そんな僕の反応が面白かったのか、秋山さんも驚いたような表情をした後、クスクスと笑い始める。
先ほどまでの心配させてしまっていた表情とのギャップに僕は思わず見惚れてしまった。
「な、なんで笑うのさ」
が、それを誤魔化すためにそう言うことしか出来なかった。