修羅場
シャツを無くしただけで済んで運が良かったとレオは思った。まだ荷物を革命軍の上司に届けられる。もしリュックが掴まれていたらと思うとゾッとする。でも、あの騎士はまだ酒場にいる。最初から待ち合わせ場所が把握されていたし、一度逃げ切れたが、次も逃げ切れると思えない。それに今のところでは取引相手に連絡が取れない。とりあえず、酒場の屋根に登って騎士は出ていくまで様子を見よう。
レオは酒場の裏通りにあった梯子を登って、屋上にある酒場看板の後ろに隠れた。全力で逃げたレオはまだ息が荒く、夜明け前に首都に忍び込んだせいで寝不足でもある。だが、休む前に届ける包の確認をする必要があった。
包みの中身を知らずに命懸けでここまで来た、包みの中を見る権利はある。レオはお姉さんの形見、ぼろぼろな鴨の羽色のリュックから包みを取り出し、黒い巻き布を解いた。布を解くと、中には水色宝石で飾られた黄金の短剣が光を放っていた。
確かに高そう剣だが、本当に騎士団が手を出すほどの価値があるのか。そもそも彼は本当に騎士だったのか、特別騎士団なんて聞いたが事がない。それに彼は騎士にしては薄汚い、ガラの悪い中年だった。包みが第三者にバレて盗みに来たかも知れない。しかし、考えてもキリがない。
まるで運命の神、サダェウスが、考えても無駄だと言っているように、下から女性の悲鳴が聞こえてきた。レオは看板の後ろから店の入口を覗くと、あの騎士は店の前に立っていた。でも、次の瞬間そこで見た光景はレオを驚愕させた。ドルーは、片手で水色の目の少女を鎖で持ち上げ、首に剣を構えていた。その光景を見てレオは吐気と目眩に襲われた。少女が亡き姉に重ねて見えたのだ。
「おい、出てくれないか、おっさんに鬼ごっこをさせるな」
「お、お姉、さん」
首都の喧騒が急に消えて、騎士と姉以外の全てが闇に飲み込まれた。レオは怒りに震えて抑えようがなかった。今度は守る、全てを捨てても。でも武器がない、首都に入る前に預かっていた、でも――
レオは掌中の黄金短剣に視線を向けた。黄金は柔らかい金属であまりにも戦闘に向いてない。刃を研ぐにも合金じゃなければできない。
レオは試しに親指に刃をこすって、綺麗に皮膚に線を残した。少しでも力を入れていたら確実に血が出ていただろう。ちゃんと切れる。でもその刃はすぐに鈍るかもしれないし、鎧はおろか骨を切れるとは思えない。でもそんなことはどうでもいい、どうせ一か八だ。やらなければならない!
レオは酒場の看板から飛び降りてお姉さんが持ち上げられていた手首に刃を向けた。
「喰らえええ!!」
「痛あ!」
ドルーが攻撃を待っていたのか、反射で動いたか、手を区切ることに失敗した。でも大分ダメージは与えた。ドルーの手首から血飛沫が飛んでいって、持っていた剣を落とした。
「ったく痛いじゃないか。最初からやる気あるなら隠れるな。こいつを無駄に使いたくない」
ドルーは傷を一切気にせず、水色目の少女を下ろして、剣を拾った。そして剣をレオに向けた。レオはドルーを警戒しながら短剣の刃を確認した。全然変わってない。金メッキかな、どんな金属で作られているかは知らないがすごく硬い。
「それとも、そっちから来るということは話す気にでもなったか?」
ドルーは手首から血が流し続いているにも関わらず、何気なく話しかけた。思ったほど深く切っていないのか? いや区切るに惜しかったはず、化物かよ!? 警戒しつつ、レオはドルーに返事した。
「手を切り落とそうとしたんだぞ? なぜ話す気になるんだ。それにまさか、短剣渡して自首しろとか言うつもり?」
ドルーは短剣を上げたレオに眉を上げ、呆れたようにため息をついた。
「短剣? それは何なのか知らないようだな。お前のいう通りになるが、悪いことは言わない、その短剣を渡したらお前の命を約束できる。でも嫌と言ったら殺してでも手に入るぞ」
やっぱり短剣が欲しかったか。でもあれ? お姉さんは? はっ! レオは我に返って、首都の喧騒が徐々に戻ってくる。そして、革命軍に入る理由を思い出した。お姉さんの仇を撃つためだ。
まったく遅れ気味だが、今更自分の立場を理解した。愛しい姉を殺した国の奴に従う訳がないし、今週酒場で取引相手の連絡はもう諦めるしかない。さらにこの騎士から逃げなければいけない。時間を稼げば、傷の手当をしなければいけなくなるか、貧血で倒れる。どちらにせ、逃げて来週に新しい取引場所が決まる。なら選択肢は一つ。レオは何も言わずにいつの間にか集まった野次馬の群れに消え去ろうとした。
短剣をリュックにしまってレオは野次馬の群れに入る。ベレリアの首都、ヘストを出たら、もう一回入るのは無理だ。だから、後で短剣を渡せるよう、ヘストのどこかにアジトを見つからないといけない。でもその前に、騎士から逃げ切らないとまずい。
特に、群れに入るのがいけなかった。レオを止めようとする人がいれば、怖がってドルーのために道を開く人もいた。レオはドルーを撒くため、また裏通りに曲がると――
「今回は逃さないぞ!」
ドルーはレオの肩を捕まえて生目で見えない速さで地面に押し付けた。肩に猛烈な痛みで悶えるレオ。激痛の事にしか頭に入らない。肩を動かそうとしてもビクッともしない。
「じゃ、その短剣受け取ってもらうぞ。どれどれ……」
ドルーはリュックを手に取って調べていた。ここでは、終われない!
「ダメだ、それは姉の、リュックだ!」
立ち上がって、覚束ない足でレオは残りの力でドルーの腹に頭突きした。
「おふっ、ゲホゲホ!」
頭突きでリュックを落としたドルーは手に腹を押さえた。腹部に鎧は薄かったとはいえ、頭突きしたレオは衝動でバランスを崩した。落ちたレオは潰された肩に着地して、リュックのそばにもう一度苦しみ悶えた。体がもう動くなと悲鳴を上げている。それでも、歯を食いしばりながら筋肉を力んで、辛うじて片手をリュックの中に入る。だが、もう一人、誰かの手がすでにリュックに入っていた。その手はとても細くて小さな手だった。
あの娘! レオは彼女を見て絶望的の状況から助かるアイデアが思いついた。まるで痛みを感じる余裕すら失って、力が漲った。短剣とその娘を同時に片手で拾って、短剣を娘の首筋に当たって辿々しい足取りで歩いて、鎖が続くまで距離をとった。
「ちっ近寄るな! 彼女を殺すぞ!」
ドルーの息が正常に戻って、レオは逆に激しく呼吸を繰り返した。
「ったく、俺の腕は鈍っているかもしれない。もっと鎧をつけて来ればよかったな、でもそれじゃ目立ってしまうなぁ」
いや、すでにメッチャクチャ目立っている。
「すでに目立ってますよ、ドルー様」
うわ、少女が喋った! 驚いて少し手を緩んだレオだったが、また力入れ直してドルーに視線を戻した。でも、誰もが予想できない光景が待っていた。彼は表情を一変させて、殺気をむき出しながら、冷酷の顔で鎖を引っ張っていた。
起こったことを呑み込めない静かな一瞬。
レオは娘の頭だけ持って、彼女の胴体がドルーの元へ飛んでいった。
「あぁぁぅ、うわあああ!!」
生首を反射的に投げて、レオは恐慌状態に落ち、逃げることしかできなかった。しかし間もなく冷たい何かがレオの両手を拘束した。ドルーへ振り向くと少女の死体はどこにもなく、いくつの水色に輝いている鎖を持っていた。そして、もう一つ鎖で両足を縛って、レオは地面に落ちた。
今度こそ受け身を取れず、肩の骨が折る音をはっきりと聞こえた。今まで溜めた痛感が一気に戻って、意識がにわかに朦朧し、世界が黒く染まっていった。