邪魔された取引
幼い娘を鎖で縛っている騎士は酒場の入り口に立っていた。無精ひげと傷だらけの顔の騎士は、縛っていた娘は愚か、ベレリア神政国家では誰も敵わないほど大柄な男である。その彼から目を離す人は、隣の娘を見ている人ぐらいだった。一メートルも離れてないというのに鎖で吊り上げられそうになっている貧弱な娘は、ボロをまとい、ボサボサの茶色の髪で表情を隠していた。
凍りついた空気と鎧に穴を開きそうなほどの視線にも一切動じず、カウンターにいる一人の少年の隣に座った。昼間だから席はガラ空きだというのに、わざわざその少年の隣に座った。その少年は、男にしては長い金髪と、担いでいた緑のリュクが特徴的だった。
金髪少年はここで面識のない相手と待ち合わせをしていたが、決してこの男ではないと確信していた。鎧を見れば分かる。この国の騎士に例の物を渡すはずがない。それに、いくら何でも取引相手にしては目立ち過ぎる。
「そんなモノを店に持ち込むなって何度も言っているだろ。商売の邪魔だぞ」
カウンターの向こうから店のマスターが呆れながら縛られた娘を指差した。モノ? ベレリアに奴隷制はないと少年は思ったが、この国の騎士の清々しいほどの振る舞いを見ていると言い切れる自信を失った。
「マスター、ワインセラーからいいやつを頼む」
騎士はマスターの文句を無視して、ベルトについた袋から金貨一枚を取り、親指で弾くと、マスターは顔をしかめながらそれを掴む。
「ったく、あいよ」
マスターは渋々地下室の階段に向かうと、徐々に他の客の視線が霧散していった。マスターが地下室に消えた途端、騎士は少年に向いて微笑し、縛っていた娘を親指で指した。
「こいつは気にすんな、本気で逃げたかったら、とっくに俺を殺して他のやつの下についている」
気にするなと言われても、とういうかどう見てもあの娘よりお前の方がヤバいだろ、と少年は思い、先に頼んだドリンクを残したまま席から立ち上がると――
「ちょっと待ちな」
騎士の片手で、レオの肩が掴まれ、席に戻された。
「もっとゆっくり話そうじゃないか。俺はベレリア神政国家特別騎士団の一員、ドルーってんだ。お前は?」
少年は睥睨をするようにドルーを睨んで、やがて名乗った。
「レオだ。人を待っているんでどっか行ってくれないか?」
「そうかレオくんかぁ、この辺で怪しいやつを見なかったか」
「お前だけだ」
まるで聞きたい事だけ聞いているようにレオの肩を掴んだままドルーは話を進ませた。
「ベレリアの国立教会から厄介な物を盗んで、それをこの都市に密輸してきた奴だ。特徴としては、金髪、目が青くて左目に傷跡、そして緑色のリュックを背負っている」
レオは脈が早くなり、冷や汗をかいた。その人物がレオだと騎士も間違いなくわかっていた。自分が引き受けた任務は大層なものであると分かっていたつもりだったが、まさか騎士が来るとは。落ち着け、隙をついたら逃げ出せるはずだ。
手の震えを抑えながら、先程注文したドリンクを持ち上げて一口、二口、三口飲み、最後の一口をドルーの顔めがけて吹き出した。
「汚っ」
ドルーは反射的にレオの肩から手を離して顔を防いだ。その隙を逃さず、レオは席から立ち上がって出口へ疾走した。
しかし、出口どころか、三歩進まずに転んでしまった。手が転んだ衝撃で、手が痛かったが、振り返るとさらに大きな衝動を受けた。
鎖で縛っていた少女は嗜虐的な笑みを浮かべながら手枷から伸びる鎖でレオの足を引っ掛けていたのだ。だが、驚いた理由はそれだけじゃない。少女の髪の隙間から見えた目に驚いたのだ。その目は、この世の者じゃないほど、水色に輝いていた。
目があったのは一瞬だけだった。それでも店のマスターにモノと言われる理由が伝わってきた。それは人間じゃない。何かの底知れない存在だ。しかし、力は人間の子供と同じなようで、レオは鎖からすぐに抜け出すことができた。しかし、ドルーの意表を突いて稼いだ時間が、そいつのせいで消えてしまった。立ち上がってもまた掴まれるだけだ。でも、だからと言って諦めてたまるか!
レオは起き上がって、また出口へ爆発的な速度で走った。だが生憎、ドルーはレオが転んだ間に付け入って、レオのシャツを掴んだ。しかし、レオは負けられない。二人の力が拮抗し、シャツが少し破れた。
こんなところで捕まってたまるか! レオはシャツを掴まれながらも、なりふり構わず出口へ目指して走り続け、ついにシャツが耐えられず破れてしまった。シャツの布片を残して酒場から脱出したレオは、店の裏通りに逃げ込んだ。