なんとなく
「ねえ、理彩と紗江って正反対じゃない?なんで付き合ってるの?」
ある日、マックでもそもそと100円のポテトを頬張りながら、私は友人の唐突な言葉を聞く。
付き合うという言葉にドキッとしながらも、私は平静を保とうとする。ちがうちがう、今のはそんなんじゃないから、そんな意味で言ったんじゃないから……
軽く息をついてから私は、質問に質問で返すことにする。
「そんなこと今さら聞く?」
「うん、だって紗江ってどっちかっていうと派手っていうかイキってるグループじゃない。なんで理彩と仲良いのかなって」
幼馴染を軽く“ディス”られた気分になって唇を尖らせた私は、むすっとしながらも答えた。
「理彩とは“なんとなく”の腐れ縁なの。幼稚園に入る前からいつのまにかニコイチみたいな扱いだったのよ」
「へえー……だからって、あんなにしょっちゅう問題起こす幼馴染なんて、私ならゴメンだけどね」
「そんはなの私の勝手でしょーが」
目の前にいる真面目な友人にも、知らないことはたくさんあるのだ。
そう、友人どころか誰にも言えないことなのだが……私と紗江ちゃんは、半年前から、付き合っている。
「紗江ちゃん!」
「ちょっと理彩、遅くなぁい?」
「ごめん、委員会があって」
「真面目ちゃん、お疲れー」
紗江ちゃんは校則に引っかかるギリギリまで伸ばした袖口を口元に当てて、ケラケラと笑う。
これが私の幼馴染……紗江ちゃんだ。
「紗江ちゃんこそまた反省文書かされてたんでしょ、テストは悪くないのにそんなんじゃ内申点に響いちゃうよ」
「あんたあたしのオカンかよ!髪染めてたって中身が悪くなきゃいーじゃん、理彩もそう思わない?」
紗江ちゃんの言う通りだ。
紗江ちゃんは頭の回転が速く、私では考えが及ばないようなところまで簡単に考えてしまう。だからこそ頭ごなしにしか叱れない大人たちには反抗するし、おかしいことはおかしいと言う。私はそんな紗江ちゃんを純粋に尊敬していたし、……好きでもあった。
「……帰ろ」
どちらともなく差し出した手を、ぎこちなく握って、私たちは帰路についた。
「最近、理彩の考えてることが分かんない」
紗江ちゃんにそう切り出されたのは、突然のことだった。私は、え、と声を上げたきり何も言えなくなった。
「進路だって、一緒のところに行こうって言ってたじゃん?なのになんで今さら、私だけ凪大に行けとか言い出したの?」
紗江ちゃんの、言う通り、だ。
私はいつも黙り込んでしまう。紗江ちゃんに比べて頭の回転も遅く、この場の切り抜け方すら思いつかない私は、俯くしかなかった。
紗江ちゃんは、本来ならば簡単に通るはずの凪大学の受験をやめて、私と同じ低レベルな志望校に変えたのだ。……要するに、私が足を引っ張っているのだ。
「紗江ちゃんは、頭がいいから、凪大だって簡単に通るよ。私、頑張って勉強するから、だから……」
「なにそれ、バカにしてんの!?」
何が紗江ちゃんの逆鱗に触れたのかは分からない。その後はもう何も言えなかった。
それから数日間、紗江ちゃんとは口を聞いていない。
「ねーねー理彩聞いた!?紗江、志望校を凪に変えたんだって!あそこ超ハイレベルじゃん!」
校則違反のこともあって先生と相当揉めたらしいよー、という友人の言葉は、もう私の耳には届いていなかった。
私が勧めたことなのに、どうして。こんなにも胸が苦しいんだろう。私に相談もしないで進路指導の先生にそれを伝えに行った紗江ちゃんは、どんな気持ちだったんだろう。紗江ちゃん。紗江ちゃん。紗江ちゃん。
「えっちょっと理彩、何泣いてんの!?」
今から勉強頑張ってあんたも凪大行けばいーじゃん!と、何も知らない友人は言う。
ちがう、これでよかったの。ずっと足手まといだった私から、紗江ちゃんを、解放するんだ。私なんか、“なんとなく”で紗江ちゃんのとなりにいていい人間じゃない。
頭ではそう考えているのに、どうしてか涙は止まらなかった。
その日以来、勉強に打ち込むようになった紗江ちゃんとはますます話す機会が減り、いつのまにか、自分たちが幼馴染であることすら過去形になってしまったような気がしていた。
「……理彩」
学校の昇降口。久しぶりに聞く声に、ビクッとする。紗江ちゃんがいた。
紗江ちゃんはもう、すごくすごく遠い存在になってしまったんじゃないかなんて。そんなわけはないのに、まだ追いつける距離かもしれないのに、私は今日も勝手な壁を作ってしまう。
紗江ちゃんは私の気持ちを知っているのか知らないのか、ただ淡々と私に歩み寄った。
「理彩、今日は久しぶりに、一緒に帰らない?」
「うん、いいよ」
本当は気乗りしなかったけれど、断る理由もなかったので、私は頷く。
外は雨が降っていた。ふざけて相合傘なんかをしたことも、あったっけ。紗江ちゃんに相応しい相手は本当は私じゃなかったのに、なんて、今考えても仕方のないことが頭に浮かんで離れない。
“なんとなく”ニコイチだったあの頃とはちがう。私たちだって、紗江ちゃんだって、本当に側にいたい人を自分で選んでいい時が来たんだ。
二人分の傘が、ばさ、と音を立てて開く。それが並んで動き始める頃には、雨足はさらに強くなっていた。
それは受験本番を控えて、一ヶ月を切った日のことだった。
結局凪大学の合格基準には満たなかったということで、私はワンランク下の寮制の大学を受験し、合格した。実家からは離れてしまうが、自分のやりたい研究内容がその大学にあるようなので、後悔はしていない。
紗江ちゃんは大して苦労もしていないような顔で、相変わらずしょっちゅう反省文を書かされたり呼び出しをくらったりしながらも、余裕の点数で凪大学に通ったらしい。
私たちは、おそらく、生まれてはじめて……はなればなれになる。
卒業式の後、紗江ちゃんに呼び出された。
用件はなんとなくわかっていた。きっと別れを切り出されるのだろう。
しかし、実際は違った。
卒業式の後の泣き腫らした目で、紗江ちゃんは、「遠くに行ってもあたしと付き合っててよ」と言ったのだ。
紗江ちゃんは卒業式だというのにいつも通り着崩した制服で、卒業証書をぞんざいに持ちながら私にもう片手を伸ばした。
私は予想外の展開に目をぐるぐると回し、回転の遅い頭を叱咤して、必死に最適解を求めた。
私は、私は、私は。
紗江ちゃんの手を、一度は握った。でもまたすぐに、離した。
「わ、私ね、好きな人ができたの。今度はさ、男の子なの」
それは私の初めての作り話。優しいつもりの嘘だった。
ぽかんとした顔の紗江ちゃんは、私に触れた手で自分の襟に触れた。泣きたい時のそのくせも、私は、もう見ることがない。私の春からの新しい生活に、紗江ちゃんはいない。
紗江ちゃん、私はあなたを、“なんとなく”幼馴染でいることの呪縛から解放するよ。
「あんたはあたしのこと、ずっと好きでいてくれると思ってたんだわ」
紗江ちゃんは冗談めかして言いながら、肩をすくめて笑う。どうせ、無理して笑っているんだろう。
「あたしは……“なんとなく”でも流れでもなく、あんたのこと本当に好きだったよ」
私はどうだっただろうか。
紗江ちゃんが人混みの中に見えなくなるまで、私は上手に笑えていただろうか。
この選択が正解だったのかは、今も分からない。この心の穴がいつ埋まるのかも、いつまでたっても分からない。
それでも、引越しの荷物の中に、彼女との写真は入れなかった。