魔王の手記 その5
イシィカルリシア帝国の侵略を退けた<魔王>。今回訪れた客人は、<魔王>おなじみの<賢者>。今回は彼女の持つ秘密が多分、明らかになります。それではどうぞ。
わたしは<魔王>。
赤いジャケットに白い貴族服を身にまとったいかにも貴族然とした格好をしている。髪はジャケットと同じ赤色で、ボブカットにしてある。
海と空しか見えない孤島に一人、<魔王>を名乗っているのは、<魔王>の伝承がろくでもない代物だからで、そんな奴に好きこのんで付き合いに来る輩はまずいないだろうと思った上での考えからだった。ただ、今回ろくでもない伝承に名を連ねたのはわたし自身であり、それについては概ねその通りだと考える。
「魔王ちゃんはやりすぎだと思うのよね」
「だまれ亡霊」
<賢者>の可愛さを演じた可愛くない声音を一蹴して、手にしている図鑑に目を通していく。
応接室で二人向き合い、片方はわたしの座るソファと対面しているソファに腰を下ろして「あらあらうふふ」とでも言いたげな、相変わらず緊張感のない面持ちで微笑んでいる。
<賢者>が言いたいのは、先だっての帝国による侵攻のことである。
モーリス将軍ほどの胆力を持った優秀な人材をむごたらしく土に還した、その選択が間違っているとはわたしは思っていない。帝国も、それほどの難度の高い小島を攻略するには準備と、さらなる度胸と勇気、それと優秀さを兼ね備えた人材を用意せねばなるまい。さらにもし仮に、そんな優秀な軍団をもってして再度の侵攻で失敗したとしたら、また攻略の準備に手間ひまかけねばならない。わたしは負けんがね。
前回の一件で問題になるとしたら、わたしが、帝国の完全な敵として認められたことだろう。いつ如何なる時に攻められるかと思うと、首の後ろがチリチリしてくる。一応、島全体に儀式魔術をかけて敵の侵入を察知する程度の用心はしたが。
まあそれはそれで良い。どうせ近いうちに少なからず訪れるだろう未来が、確実に、手早くせまってきただけの話だ。
そんなことより差し迫った仕事がある。
「なあ、ここ」
「なあに? コング?」
「全長、数十メートルの大型猿人……こんなのこの世にいるのか?」
「いるわよ。コングは北大陸のはずれにある小島に生息している巨大猿人ね」
「こんなの、生きてくだけでも相当なエネルギーが必要だろう。食糧とかどうしてるんだ? 死ぬまで放っとくのか?」
「草食性の動物だから、あいにく島ひとつ分の果実類でまかなえるんですって。北の共和国が一回、討伐しにいったけど、人間には手におえないってんですごすご帰ってきたわ」
「ふーん。ところで、ここの記述ミスってるぞ」
図鑑をテーブルに差し出して、誤用してる点を指差す。
「あらやだ」
わたしが指摘した部分に<賢者>は二重線を引いて、新たに書き足す。こういうやつが歴史を書き加えていって、今の世の中が構成されていると思うと若干、不安になる。
逆に、わたしのように細かい点に気がつくやつが歴史を修正してると思うと、それはそれでぞっとしない。歴史は、わたしやこんな亡霊が書物でひも解くものではなく、何の変哲もなくつまらん、くだらない人間のよもやま話から生まれるべきものだろう。
わたしや<賢者>のような一部の超人が創るものではない。せいぜい添えばな程度であるべきだ。
それをこの女は……
「いっそのこと魔王ちゃんの武勇伝も歴史書にのせちゃいましょうか。『イシィカルリシア帝国、魔王の孤島でまさかの敗北! 派遣されたモーリス・ダグラス将軍以下、精鋭兵も全滅!』とか。最新の図鑑にするにはけっこうキャッチーだと思うのよ」
冗談ではない。
「そんなゴシップ記事、のせたいなら共和国の新聞社にでも持っていけ。きっと喜びながらわれ先にと群がって取材に来てくれるぞ」
「冗談よ、じょ・う・だ・ん♪」
にこにこと笑う彼女に、わたしは盛大に息をついた。こいつはわたしをからかいに、わざわざ書籍の校正を頼みにきてるんじゃなかろうか。
ホラーゴーストが運んできた紅茶とケーキをめいっぱい堪能した様子の彼女は、ほう、と息をついた。んーと腕を伸ばし、肩を回して柔軟運動する。
ふと、<賢者>が思い付いたように言ってきた。
「そうそう魔王ちゃん。ちょっとお願い事があるのだけど」
「なんだ」
「この島で、いちばん高いところってどこかしら?」
「あの山」
応接室の窓を指差す。指された山は何の変哲もない山。ただこの部屋からは頂上はおろか、全容すらおぼつかない。登れば登るほど先端が狭くなっていく塔のような造りものにも見えた。
「魔王ちゃん、案内してくれない?」
「まあ、構わんが」
校正していた書物を閉じる。立ち上がり、ホラーゴーストが開いたドアに向かった。
「ちょっとちょっと。まさか歩いて行くの?」
「たまには歩け。奇術頼みの運動不足は感心しないぞ」
「歩いて登れる高さなんでしょうね」
「大丈夫だ。うちのメイドドールが踏破した実績がある」
「機械人形の実績に合わせられても困るんだけど……」
仕方なさげに、<賢者>も億劫そうにソファから腰を上げた。
山を登り始めて一刻半。
やっぱりというかなんというか、<賢者>は息を荒げて、金属製のステッキを杖がわりにしながら、ぜえはあとわたしの後をついてきていた。
「おーい、まだ半分以上登らなきゃならんが、大丈夫かー?」
意地悪く告げる。
効果はそれなりにあったらしく、聞いた<賢者>はがっくりとうなだれた。
「……ちょっと休憩するか」
わたしの言葉に従うように、<賢者>はどっかと付近の石に座った。わたしは彼女に大振りの水筒を渡す。中には少量の塩と、多めの砂糖を混ぜた麦茶が入っている。簡易製の栄養ドリンクだ。
渡す。彼女は中身をコップに入れることすら思慮の外だったのか、勢い良くラッパ飲みした。
その様子を見て、まだ休憩時間が長引きそうだと思ったわたしはふと口を開く。
「こんなこと言っても意味があるかどうかわからんが、多分、うちのメイドもここを通って山頂まで登ったんだと思った。それであいつは外の世界を見たがっていた」
「そうなの……それで?」
まだ恨みがましい視線をわたしに向けつつも、無視して続ける。
「ご覧のとおり、ここは外界から大きく閉ざされた孤島だ。海の果てを見ても街や港はおろか、山のひとつも見えない。うちのメイドはそれに初めてそれに気づいたんだな。七日間だぞ? あいつはその間、島の外を山頂からずっと眺めていた」
わたしは森越しに海の向こうを見据えた。わたしはもちろん、海の向こうに山や丘、街の人並み、港の営みも知っている。
この<賢者>も同様だ。
「さて、世の中はお前が知っているものばかりだ。お前は何が見たい?」
<賢者>はうなだれた。憂いを帯びた表情で、気恥ずかしさそうに呟く。
「空よ」
声音に暗いものはない。ただまっすぐに、空に向かってぽつりと、水滴が落ちるような音が聞こえた。
「私が万能の賢者でも届かないものがある。それが空。昼間の雲も、夜の星も、私が手を伸ばしても届かないものがある。それが無性に許せないの」
「だからといって、この山に登って得られるものでもないだろう。所詮、人が手を届かせられるものなど、たかが知れている」
わたしの言葉に<賢者>は首を振った。
「地上にある、あまねく全てを知っているのが私。あと知らないものは、海の底か、空の果てしかないでしょう?」
「人はそれを傲慢と呼ぶんだよ」
わたしは苦笑する。この<賢者>、いや、この亡霊は過去から侵食してきたマダレムジエンの幽霊だ。本人はどう思っているか知らないが、わたしの認識ではそうなっている。過去からまだ見ぬ未来への知識の欲求を持つなど、万人に可能なものだろうか。いや、だからこその亡霊なのだ。
食わず、老いず、死なず。これが亡霊でなくてなんだというのか。死生への傲慢であってなんだというのだ。
不老不死の妙薬。
人間にとって最大の禁忌。こいつはそれを平然と犯した。
この女は、自分が歴史の繰り手だと確信している。わたしがいちばんこいつの気に食わない点がこれだ。
だがそれと同時に、
「魔王ちゃん、どうしたの? こわーい顔してるわよ」
こいつはわたしの、数少ない友人でもあるのだ。
自然、厳しい顔つきになっていたのだろうか。慌てていつもどおりの表情を形作る。
「なんでも」
腰を上げて、砂をぱんぱんと叩いて払う。
「そろそろ行くぞ。この辺りは先日、お前が生物辞典にのせたグリズリー科のビッグハンドの出没地だからな」
言ってから、<メイドドール>も連れてくるべきだったかと思ったが、やめた。これ以上かしましいやつが増えるのもぞっとしない。
そんな所を休憩所に選んだ理由? 嫌がらせに決まっているだろう。
それからさらに二刻ほどかけて、休憩もはさみながらようやく頂上にたどり着いた。
西に落ちていく太陽の光を受けて、水平線が真っ白な輝きの直線を描いている。
隣に立つ<賢者>を見ると、どこか遠くを見ながら、手を開き、閉じてを繰り返していた。
「なんかのまじないか」
「いいえ」
私の言葉を即座に否定する。
「ねえ、魔王ちゃん」
「なんだ」
「太陽って、なんであんなに遠いのかな」
「要は太陽が欲しくて、手をグーパー繰り返しているのか。お前は」
「まあ、そう」
やがて<賢者>は手を止め、その場の芝生に腰を下ろした。並んで、わたしも隣に腰かける。
「解ってはいるのよ。太陽はこの星からはるか空にあって、この星が太陽を中心にぐるりと回っているくらい、それはそれは巨大な星なんだって」
<賢者>は太陽を見やる。
「でも、人間の叡智はきっとそれすらも超えられる」
その目には一点の曇りもなかった。ただ太陽のような光をたたえていた。それがただの太陽の光の反射だったのかは不明だが。
「それまで永遠に歴史を刻むつもりか。亡霊」
「そう。それが私が永遠の命を望んだ理由」
似合わない女の子座りをやめて、立ち上がる<賢者>。深呼吸して、腕の筋肉をほぐす。
「付き合ってくれてありがとうね。魔王ちゃん」
「グリズリーの餌にするにはしのびなかったからな」
「そこは転移の魔術でちょちょいと」
「たまには運動しろ。ばかもの」
わたしは彼女の形の良い尻をぱしんと叩く。日頃、運動などしていないだろうにスタイルは良い。不老不死の妙薬の効果だろうか、などとぐうにもつかないことを考えたりもしてみる。
途端、びゅう、と突風が山頂をなでた。隣を見やると、<賢者>の姿はすでに、風に溶けたかのように消え失せていた。
「亡霊め」
わたしは親しい友人に話しかけるように、呪詛を呟く。
「せいぜい長生きしろよ。わたしよりもな」
そうして、飛行魔術を唱え、空からの帰路についた。今日の夕餉はどうしようか。グリズリーの話題が出たからか、無性に肉が食べたくなった。干し肉のあてはあったかな、などとどうでもいい心配をした。無かったら狩りにでも出かけようか。
今回は<賢者>回です。ここの登場人物はhやけに山が好きですね。筆者は子供の頃に付近の山を遠足で登った程度で、あまり山に縁がありません。今回を機会に山登りも悪くないかな、と思ったりしています。今回も読んでくださった読者様がた、ありがとうございます。