魔王の手記 その3
12clubです。今回からようやく物語が回り始めます。<メイドドール>の願いを叶えたい<魔王>と、その障害となるものの邂逅。果たして……
要は存在することということは、寂しさを埋めることと等しい。
先に言っておくが、わたしは特段、ひとりであることを孤独だと思ったことはない。
ただ、寂しがっているのはこの館なのだと感じたのだ。
わたしはホラーゴーストの召喚、使役は得意だ。なにせ魔術の王なのだから。儀式魔術ほどの手間もいらない。ほんのちょちょいで呼び出して使うことができる。
申し遅れた。
わたしは<魔王>。誰にでもともかくそう名乗っている。赤い髪をボブカットにして、赤いジャケットと白い貴族服を身にまとっている。<魔王>を名乗る理由は単純だ。<魔王>の伝説のおかげで人が寄り付かない。イコール面倒が少なくてすむからだ。
ホラーゴーストを使用人代わりに使うわけだが、その利点は言うまでもない。わたしが命じればどれだけの労苦も惜しまず働いてくれる点だ。
もうひとつ付け加えるなら、賑やかしだ。この島に館を構えたときは無数のホラーゴーストが住み着いているという、いわゆる"いわく付き"の物件だった。今でこそ手間いらずで働いてくれるだけの技術を習得してくれたものの、当時はただただ漂うだけのホラーゴーストの教育はなかなかに骨が折れた。
その中で、武芸に長じたホラーゴーストを見出し、こいつを人型に移し替えた。
いわゆる<メイドドール>として使おうと思って人形をいちから作り出したわけだが、
パリン、と皿が割れる音がした。続いてガシャン、と壺が割れる音がした。
わたしはこめかみを指で何度か叩いて、大声で叫んだ。
「おい、ノア! わたしの部屋まで来い!」
その声に呼応するやいなや、急ぎ足で廊下を走り、階段を上がってくる足音が響いてくる。耳がいいのはまあ、褒めてしかる点ではある。
そして。
ドカン、とわたしの部屋の入口が粉々に吹っ飛んだ。
「はい、魔王さま! ノアに何か御用でしょうか!」
ビシッと敬礼の姿勢に正して勢い良く返答する。
一切の文句無用にドアを破壊しておいて、これである。
「あのなぁ……確かにわたしはお前をメイドドールとして作ったのだがね」
イラつきを抑えながら、わたしは告げる。
「お前を作ったのは武芸に秀でた護衛が欲しかったからであって、決してメイドのマネごとをしてくれるなと、もう何回も何回も何回も伝えたと思うんだが!」
「えー、でもでも。確かにいろいろ壊したりしちゃってますけど、ちゃんと掃除とかできてますよわたし」
「程度の問題を言ってるんじゃなくて、まずいろいろと壊すなと言っとるんだわたしは! 誰がお前が壊したものを修復して回ってるんだと思ってるんだ!」
「あー、確かに。いつの間にか直ってたりしてますね。あれわたしも不思議に思ってるんですけど」
「わたしだよ! いちいち破片を全部集めて魔術で修復しているんだよ! 気づけよ!」
ほけー、と聞いているのだか聞いていないのだかわからない表情で、おずおずと手を密やかに上げる。
「もしかしてわたし、廃棄処分とか、ですかね?」
「……いや、そんなつもりはない。お前はお前の役割を果たしてくれればそれでいい。言いたいことは以上だ」
「はーい、失礼しまーす」
悪びれたふうでもなく、さっときびすを返して<メイドドール>が去っていく。
話――というか叱責を終えてまず<メイドドール>が浮かべる表情は、無表情といった表情だった。経験則だと、これがだんだん不機嫌に陷り、すっかり拗ねた顔に変わる。その顔を見ているとだんだんと奇妙な感慨を覚えるわたしがいる。
この館の人間臭さは、案外この<メイドドール>が体現してくれているのかもしれんと思うと、廃棄しようという気になれない。というかそんな気はさらさら起きない。唯一の貴重な食事相手でもあるしな。
そんな賑やかさが、この館には必要だ。
翌日、館の食堂。
『家出します。探さないでください。かしこ』
テーブルに乗っている、かわいらしい水玉の模様でふちどられたレターセットにはそれだけ書かれていた。
わたしはそれを縦や横に向けて見たり、振ったり引っ張ったりしてみたが、いたって普通のレターセットだ。文面を信用するなら、何者かが家出して追いかけてくれるなという内容となる。
十中八九、<メイドドール>の仕業だろう。というかこんなことをしでかす阿呆は彼女しかいない。
「あの、駄メイドがぁー……」
手近な椅子に座って肘を突き、両手で頭を抱える。
だが、まあ。
「……一日、二日もすれば帰ってくるだろ」
結局、彼女の居場所はこの島では、魔王の館だけなのだ。
そういうことにしてレターセットをテーブルの端っこにはじいて、ホラーゴーストが調理した朝食をいただくことにした。今朝の朝食は軽く、トーストと塩をふった目玉焼き、それとポテトサラダだった。
日が落ちて、夜が明けて。
空がどんよりとくもって、ときたま雷雨が降って。
そうして、一週間が経っても<メイドドール>は帰ってこない。
「っ~~~~!」
自室のデスクから、書きかけの文書を放り出す。勢いで、使い古しの万年筆がデスクを引っかいた。老朽化してしていた先端がパキリと割れる。
デスクを占拠していた書物類を全部、床面に乱雑に落としてから大きな地図を広げる。次に取り出したるは振り子式のダウジング。さらに一本の髪の毛をダウジングの先端に巻きつける。<メイドドール>の髪の毛だ。
地図の上にダウジングを垂らし、小声で呪文を唱える。
ダウジングがふわりと浮かぶ。ダウジングはふよふよと地図上をさまよった後、地図の中央寄りの小島を指し、こつんと先端が落ちた。無論、この小島は今、わたしが住む孤島である。
ダウジングが示した地点をレター用の羽ペンで小さく円を描く。
その円の中心を今度は対物レンズで見つめる。
ガタンとデスクを立つ。その勢いで椅子が後ろ向きにこけた。
窓を開く。三階の窓から覗く景色はそびえ立つ山々と、その向こうに空と海とを分かつ水平線で青く彩られていた。
わたしは自室から下階に下りた。
飛行魔術で空から島を眺めて数分。探し人はすぐ見つかった。
よりにもよって<メイドドール>はこの島で最も高い山のいただきで三角座りしていた。その視線は海の向こうを見つめていて、空から近づくわたしには一切気づく気配はない。
その姿はボロボロだった。身にまとった衣服はびしょぬれで、ところどころに砂粒や木片もくっついている。彼女はそんなことにはまったく意に介していないようだった。
静かに、彼女の背後に降り立つ。
なんというか、何者にも今の彼女を邪魔することは無粋だと、そう感じさせるほど、一心不乱に水平線のかなたを彼女は見つめ続けていた。
だが、いつまでもそうしているわけにもいくまい。
「ノア」
ぴくりと、<メイドドール>はわたしの声に反応し、ゆっくりこちらへと顔を向けた。
「魔王さま? どうしてわたしがここにいることわかったんですか?」
「探したからだ。メイドのくせに手間をかけさせおって」
「もう見捨てられたかな~って、ちょっとだけ思ってました」
「そんなことするか。もったいない」
わたしは持ち出してきたタオルケットと紅茶の入った水筒を手渡す。「ん」と<メイドドール>がタオルを突き返してきた。
「拭いてください」
「……お前は本当にわたしを怒らせることに長じているな」
言いながら、わたしは<メイドドール>の肌に張り付いた小枝や砂粒を拭き取っていく。<メイドドール>は水筒に入った温かい紅茶をすすっている。
「どうしてここにいるか、わかったんですか?」
先の質問と同じことを、彼女は水平線に視線を向けて問う。
「探したからって言っただろ。ダウジングは面倒な魔術なんだがな」
「そうじゃなくて」
答えをさえぎる。
「どうしてわたしがここにいるか、魔王さまの予想が聞きたくて」
それは結局、探したからとしか答えがないわけで。いい加減にしろとわたしは言いかけたが、先に<メイドドール>が口を開いた。
「わたし、ここで魔王さまに作られてから、一回も島の外に出たことがなくて」
「……ああ」
そういうことか。
<メイドドール>は芝生の草を何本か引き抜いて水平線へ向けて放り投げた。草はすぐ風に乗っかって、まばらにどこかへと散っていく。
「外には何があるんだろう。あの太陽の向こうには? 海の向こうには? もしかしてこの島以外には世界がないのか? とか。頭がそわそわして不機嫌にふてくされたときにはここに登ろうと思っちゃいました」
「お前、まさか初日からここに来て、一週間ずっと座っていたのか?」
「うーん、動いた覚えがないから、多分そうかも」
「馬鹿もの」
わたしは<メイドドール>の隣に座って、軽くげんこつした。
「そんな日が来たら、一緒に連れていってやるよ。今はまだそんなわがままは我慢しとけ」
「どれくらいですか?」
「多分、そう遠くない日だな」
<メイドドール>がわたしの肩にもたれかかってくる。
わたしは思案する。
<賢者>からの情報によると、南――帝国がどうやらきな臭い情勢になっているらしい。
もしもこの島が連中の標的となったなら、わたしはこの島を捨てられるだろうか?
それとも<メイドドール>の望みを切り捨てて、彼女に島の防衛を命ずるのか?
だが、まあ。
そんな先の話は後にすればいいか。
考え事にオチをつけて、わたしは水平線のかなたの空を眺めた。
いくらか太陽が沈んで、青とオレンジ色のコントラストに染まった、美しい景色だった。
次の日。
朝からけたたましい声を聞いてわたしは目を覚ました。
「あなたはそっちの掃除! え、そこはただの物置部屋? 構いませんからドア叩き壊してホコリ取り! 食堂係は朝食の準備! 魔王さまの朝は早いんですよ! さっさとテーブルにクロスかけて、わたしと魔王さまの食事の調理を始めなさい! あなた達は玄関ホールの掃除! 調度品があるから時間がかかる? 逆に考えなさい。調度品を壊して掃除すればいいんだと!」
「ちょっと待てぇい!」
わたしは顔を洗うことも髪型を整えることも忘れて、二階まで下りて大声で<メイドドール>に叫んだ。
「今度はお前、何してる!?」
「ああ、魔王さま」
あっけらかんとした笑顔をわたしに向ける<メイドドール>。ばっと手を開いて、いかにも名案思いつきましたと言わんばかりの表情で、のたまう。
「わたし、自分の分相応に気づいたんです。自分がやると散らかしてしまうことを。だからわたしの指示でホラーゴーストを使えば効率よく作業を進めることができるのだと!」
「その割にはあちこち壊れてるみたいだが!」
「もう、魔王さまのホラーゴーストはダメダメです。こんな簡単な指示ひとつこなすことができないなんて」
「ネクロマンサーにでもなったつもりか。ホラーゴーストの管理はわたしの術あってのことだ。お前みたいな半端者に務まるか!」
「じゃあ、わたし何をすればいいんですか」
ぶすっと唇を突き出して<メイドドール>が抗議する。
「差し当たっては館内の見回りでもしてろ。ホラーゴーストには追ってわたしが指示する。お前は見回り係だ。それ以外のことはするな。いいな?」
「はーい……」
拗ねた口調でのろのろと玄関口まで歩いて行く<メイドドール>。
うるさいのがいなくなったところで、とりあえず壊れた調度品の修復を、と。
「魔王さま魔王さま魔王さまー!」
これまたでかい音量がわたしの頭を叩いた。
「今度は何だ!」
ぱたぱたと戻ってくる<メイドドール>。ぜえはあと荒い呼吸を飲み込んで。
「見てください、おっきな船!」
「船……だと?」
ホラーゴーストに双眼鏡を持ってこさせて、館の外に出る。
双眼鏡越しに見えたのは、まちがいなく巨大な軍船だった。帆船ではなく、蒸気で動くタイプの、最先端技術でこしらえた大物だ。
「まずいな」
「まずいんですか?」
「ああ、まずい。ともすればお前が壺を割るよりもよっぽどだ」
軍船は海流を物ともせず、無遠慮に島の海岸に接岸した。
「さーて、どうやって追い返してやろうか……」
「追い返すんですか? お客さんかもしれないのに」
「それを確認した上で追い返すんだ。ここは略奪できるものは何もない、とね」
もっとも向こう側もそれは承知の上だろう。
帝国は中央進出のための橋頭堡をいくつか欲しがっているはずだ。その標的にされたかもしれん。わたしはそうひとりごちた。
そこまで考えて、わたしは人の悪い、陰湿な笑みを浮かべた。
「やつらがここが欲しいというなら、欲しがりたくなくしてやろうじゃないか」
三作目です。ちょっと背伸びしたい<メイドドール>と、まだ早いとたしなめる<魔王>。でも二人共、ちょっとずつ開いていた距離は縮んでいきます。さて今回は<メイドドール>回でしたが、次回もこんな感じになると思います。
読んでくれた皆様に多大な感謝を。どうもありがとうございます。