魔王の手記 その2
今日も今日とて、<魔王>の暮らし。今日は釣り(魔王)と魚獲り(メイドドール)に出かけた二人。そこに現れる異形の影。果たして二人の運命は……
ある晴天の日。わたしは釣りに出かけることにした。
着いた小川は上流から澄んだ水をせせらぎとともに運んでくる。
ちゃぷん、とルアーを投げ入れる。
そのまま沈思黙考。
一緒に連れてきた<メイドドール>はさらにその下流で手刀をを突き立てては、ばっしゃばっしゃと何匹も魚を打ち取り、カゴに放り込んでいく。
わたしはといえば、釣りざおを傾けるだけで特に何もしない。ただ気分転換に外出してみようと思っただけである。
そもそもわたしは受動的ではなく、能動的な性格なので、あまり手を動かさないような仕事には向いていない。そのため、周りの細かな手作業を自動でおこなってくれる自動人形――つまりは<メイドドール>――を作ってみた。
「魔王さまーそろそろ充分じゃないですかー?」
<メイドドール>には疑似人格を与えている。これを科学的に成立させようとすると、とてつもない労力と費用と知識が必要となる。まあわたしになら可能だがね。
その辺を補足するのが魔術的な解法だ。その辺を飛び回っているホラーゴーストやフェアリーなど呪縛して、各関節が丁寧に動きなおかつ丈夫な人形に封じこめてしまえばいい。
申し遅れた。わたしは<魔王>。
赤いボブカットの髪に同色のジャケットと白い貴族服を身に着けている。
別に重大なゆえがあって<魔王>を名乗っているわけではない。
<魔王>の伝説がろくでもない代物であることが知られているがゆえに、わざわざ<魔王>を名乗る変わり者に会うのは無いだろう、という単純な打算からである。孤高の<魔王>は、魔術はお手の物なのだ。
で、肝心の<メイドドール>は武芸達者のホラーゴーストを宿してある。魚取りなどたやすくやってくれる。
わたしは<メイドドール>の釣果を拝見して、
「ん、充分だ。よくやってくれたな」
くしゃり、と<メイドドール>の頭をなでてやる。
<メイドドール>ははにかんで、
「えへへへぇ~。もっと褒めてください~」
「はいはいエラいエラい」
この<メイドドール>は何か褒めてやるとすぐ猫なで声で喜ぶ。
が、かまってやらないとすぐぐずる。褒めても褒めても育たない典型だ。面倒なやつである。
「さて、帰ろう――か?」
わたしのつぶやきをさえぎるように、遠くから何かが飛来してくる音が響いた。
空気を切り裂く音。それも、かなり大きい。
「危ない、魔王さま!」
即座に私の前に立つ<メイドドール>。
飛んできたのは、巨大な樹木だった。人間の横幅の倍はあろうかという大木がわたし――と<メイドドール>――目掛けて突っ込んでくる。
大木が<メイドドール>に直撃した。
あわや、その体は四散。と誰もが思うだろうが、わたしは違う。わたしが作った人形はこの程度では傷一つ付けられない。
がさがさと、獲物を探しに来たのだろうか。はたまた手応えの無さを直感したのか、それが姿を現す。
形状はヒグマに似ている。身長は人間の二、三倍。口は頬近くまで開いていて、歯並びはサメのような鋭さと数で揃えられている。注目したのは手と足の爪だ。一般的にいうヒグマの爪をさらに倍加したような巨大さだ。
こんな怪物がまだいたのか!
わたしは狂喜した。なかなかこんな獲物に出くわす機会はない。どころか今までここで生活していて、よく遭遇しなかったものだ。
「ノア! できるだけ無傷だ、無傷で仕留めろ!」
「了解ですよ、っと!」
グオアアアァァァ!
獣王の咆哮が轟く。それを意に介さず<メイドドール>はヒグマに突進する。
ぴょん、ぴょんと大木を飛び移りヒグマの頭付近まで飛び移ったところで、
「魔王さま、そのリール貸してくださーい!」
釣りに持ってきて結局使わなかったリールだ。周囲の暴風から身をかわしながら、わたしは即座にそれを投げ渡す。
その間もヒグマは暴れまわり、辺りの大木をなぎ払い続けている。
<メイドドール>がリールを受け取った刹那、彼女が立っていた大木がヒグマの巨大な爪に寄って粉砕された。同時に、<メイドドール>もヒグマの頭に飛び移る。
「大人しく、なさい!」
言って、リールを一気に引き伸ばす。引き伸ばされたリールをヒグマの顔から頭にかけてぐるんぐるんとまき続ける。それを引きちぎらんとヒグマも爪を立てるが、爪の巨大さが仇になって触れることすらおぼつかない。それに、あのリールは特注品だ。わたし謹製の鋼鉄の硬さとムチのようなしなやかさを合わせ持っている。どれだけの怪力だろうとあれを解くのは困難だろう。
頭をがんじがらめにされたヒグマの頭の頂点に<メイドドール>が立つ。リールを何重にも自分の腕にも巻きつけて固定して、ヒグマの頭の上をがっしりと掴み取り、逆立ちになった。
そのままブレイクダンスの要領で<メイドドール>は回転した。普通の人間の膂力ならそんなマネをした程度ではびくともしないだろうが、うちの<メイドドール>は頑丈さと怪力には自慢がある。動物の骨になど屈したりはしない。
ヒグマの首がはあっさりと、あり得ない動きで回転してボギンと鈍い音をたてた。暴れ回っていたヒグマは彫像のように動きを止め、膝からくずおれ、重い音をあげて倒れ伏した。
すとんと、<メイドドール>が死骸となったヒグマの前に着地する。
「よーしよしよしよし! よくやったノア! エラいぞエラいエラい」
わたしがハグしてなで続けてやる。<メイドドール>は、にへらあと弛緩した笑みでなでられ続けた。
館の門前。魚の入ったカゴを食堂に<メイドドール>に持っていかせて、わたしはヒグマの検証をしていた。全体図を写生して、終わったら皮膚を剥いで中身も検証しないといけない。
ヒグマは解剖してしまったら内臓全体が傷んでしまってもう使い道はないだろう。大陸に渡って、物好きな好事家か牙や爪を好んで使う鍛冶屋にでも売ってしまうかしないといけない。
ひと通り観察を終えてどうしたものか思案したが、やはりここは自分の足で運ぶしかない。内臓類はすべて廃棄することにする。
「おーい、ノア。ちょっとこっちにこーい」
「はいは~い」と元気な声で応えて<メイドドール>がやってくる。
「大陸の好事家に皮だけ売ることにする。あと、爪と牙は別口に引き取ってもらうから、解体しといてくれ」
「はいはいわかりましたよー」
「それと、今日の晩飯はサーモンづくしな」
「わぁ、それは楽しみですー」
本当は人形である<メイドドール>に食事は必要ないのだが、わたしはそういう機能をわざわざ付けた。そうすれば少しは人間のマネができるじゃないか。
とりあえず、内臓解体を済ませるまで、わたしは魔法陣の作成に取りかかる。あっという間に<メイドドール>はヒグマの解体をすませ、わたしも素早く陣の作成を終えた。
その魔法陣の上にヒグマの内臓をあらかた乗せて、
「穏やかな日差しよ、あまねく輝く天陽の日よ、今のみは我が手に集いたまえ……」
炎の儀式魔術を導き出す。
「Fire pillar!!」
魔法陣から巨大な火柱が舞い上がる。ぱちぱちと内臓が焼ける音を立て、ヒグマの油が、ジュウジュウと肉が焼ける香ばしい匂いがただよってくる。
「ふむ」
わたしは思案する。なんだかもったいないな、と。
「いらない部分だけ捨てて後はホルモン焼きにするのもいいかもな」
久しぶりの豪華な食卓を頭の中に思い浮かべて、わたしはつばを飲み込んだ。
久方ぶりの豪勢な食事の後、わたしは三階の自室で、先ほどのヒグマについての生態について書類をまとめていた。さらさらと、万年筆が文字を書き込む音だけが響く。
晴天は夜天にまで続き、星々がプラネタリウムのように輝いている。
風も涼やかになびいている。この調子ならまた明日も晴れることだろう。
わたしはほどよく疲れた腕の筋を伸ばした。
と。
コンコンと、控えめにドアがノックされた。
「どうぞ。入って」
ギイ、と音を立ててドアが開く。
「久しいな。ヴィヴィアン」
わたしは来訪者の顔も見ずに、作業を続けながら言う。
「あらあら。まるで私が来ることが分かっていたような口ぶりね」
「うちのメイドが門を吹っ飛ばさずに入るようなやつは、今まででお前ひとりだけだ」
「警備のおろそかなメイドさんね」
「ほざけ亡霊」
無遠慮に<賢者>はわたしのベッドに腰掛ける。
<賢者>は桃色の髪を背まで伸ばし、青い帽子と学士の服を身にまとっている。首から下げている、球体に二本の線がからまった小さな飾りは、学術都市エルメイラの学部を首席で卒業した証だ。
「今夜は何の用だ」
「魔王ちゃんが今までの記録にない生物を発見したっていうから、その検証書の進捗具合を、ね」
「あと五分、待て」
ホラーゴーストに紅茶を持ってこさせて、自分の作業机と<賢者>に手渡す。
「最近、島の外はどうだ?」
<賢者>は一口紅茶をすすり、応える。
「相変わらずねぇ。北と南、中央を挟んで小競り合いが続いてるみたい。注意した方がいいのは南ね。傭兵の集団を尖兵に使うみたい。運が悪いとこの島に上陸してくるかもね」
「練度は?」
「兵士として? それとも戦士として?」
「両方だ。兵士が群として動くならわざわざこんな島には来ない。個として動くなら敵対する理由はないし、仮にそうなったとしても容易に狩れる。面倒なのは敵意を持った群か、群以上の実力を持った戦士のどちらかだ」
そこまで言って、わたしは初めて椅子を<賢者>に向けた。
「お前ならどう見る?」
「愚問ね。練度のともなわない傭兵なら、練度が期待値に達するまで動かないし、群れない実力者ならすでにここに来ていてもいいんじゃないかしら?
「まだ甘い。南――帝国が傭兵を徴発するなら船も提供するはずだ。ある程度の練度を持った傭兵が遊撃隊として動くなら、ここも射程圏内だ。反論は?」
<賢者>はもう一口紅茶をすすり、かぶりを振った。
「ご愁傷様。来ないことを祈るか、身辺には気をつけることね」
「意外と根性ないよなお前。ところで、できたぞ」
わたしはぴっ、と羊皮紙を指先ではじいた。
<賢者>はふわりと浮かぶ羊皮紙を、手元に引き寄せる。
「ふーん、種別はグリズリー型ね。で、味は?」
「は?」
ぱちくりと目をしばたかせる。
「いちばん大事なところでしょ」
「あ、あぁ。若干、獣臭いがホルモン焼きはなかなか美味かったな。ただ大量の脂を充分に飛ばさないといけないから、あまり食用には向かないかもしれん」
「そ。美味しいのね」
<賢者>は紅茶を飲み干し、すっと立ち上がった。
「ごちそうさま。また生物学書ができあがったら最新版、持ってくるわ」
「お粗末さま。楽しみに待ってるよ」
ドアを開いて退室する<賢者>。その足跡ははすうっと消えていた。まるで誰もいなかったかのように。
わたしは彼女を亡霊と呼ぶ。過去から生き続ける生き字引。
そしてその正体を知るものだけが悟るのだ。彼女が<賢者>であることを。
二作目です。後書き、連続で書こうとすると何を書いたらいいかさっぱりになってしまいます。でもこれだけは言いたい。読んでくれた方、コメントくれる方、コメントスルーの方も皆さん全てに感謝です。これからも精進していきたいので、応援よろしくお願いします。