元勇者、魔王城ダンジョンでお戯れ。~姫に転生した元勇者の攫われ先無双ライフ~
魔王城ダンジョン――。
数多の戦士たちを、死の淵へ葬り去ってきた超SSS級城型ダンジョン。
その三十九階、最奥にある『制裁の間』。
今しがた俺はこの部屋で、三十階層のボス・アンドロマリウスを、倒し終えたところだ。
四隅に置かれた蝋燭の光は弱々しく、石造りの室内は薄暗い。
苔むした壁に刻まれているのは、古い呪いの言葉だった。
そして反響する俺の声……。
「ボス戦1分タイムトライアル、達成ー!」
弾んだ気持ちで、懐中時計を確認してから、剣を鞘に収める。
「だんだん『姫の体』に合わせた戦い方が、板についてきたなー。――とにかく体力は温存。戦闘は短時間で終わらせること。よーし。次は三十秒にチャレンジしてみようっと」
新たな目標も立ったところで、お次は……。
魔王が用意してくれたレモン色のドレスの裾をたくしつつ、失神しているアンドロマリウスの傍らに、俺はちょこんとしゃがみ込んだ。
いまの姿では、転生前のように、大股開きで座るわけにいかないからな。
それにしても……。
手入れされた長い髪を耳にかけて、アンドロマリウスの顔を覗きこむ。
「うーん……。完全に落ちてるなー……」
試しに彼の頬を、人差し指でツンと突いてみる。
「おーい」
……起きない。
ツンツン。
うーん、起きないな。
もう一回。
ツンツンツン。
「うっ……ぐっ……」
「あ、気づいた? まさか気絶するとは思ってなかったから、びっくりしたよ」
「……どういうことだ……」
「え?」
うつ伏せに倒れていた体を、アンドロマリウスがゆっくりと起こす。
傍らに投げ出されていた、巨大な蛇のような鞭を拾うと、彼は石の壁にもたれて座り直した。
「ねえ、まだ動かないほうがいいんじゃない?」
「……」
警戒心を解いてほしくて、にこっと微笑みかけてみる。
アンドロマリウスは無言のまま、探るような視線を俺に向けてきた。
んー、姫スマイルは通用しないのか?
「意味がわかんねぇ……」
アンドロマリウスが動くたび、腕や首につけられた黄金色の装飾が、ジャラジャラと音をたてる。
顔から首、裸の上半身にかけて、魔方陣のような刺青がびっしりと施された褐色の肌。
下半身には異国の地を思わせるシャルワールを纏っていて、どことなく盗賊の若き首領を思わせる外見だ。
「アンタみたいに、か弱そうな姫に、俺が負けた……? 序列七十二番の大いなる伯爵である、この俺が……?」
アンドロマリウスは悔しそうに、すり傷のついた顔を歪めている。
……か弱そうな姫、か。
俺は自分の姿を見下ろした。
華奢な体型。小柄な身長。ちょっと控えめな胸元に流れる、ふわふわの金髪。
実際に、俺が弱いかどうかは置いておいて……。
まあ見た目は完全に、繊細なお姫さまという感じだ。
だって俺は、というか私エリザベートは、正真正銘のお姫さま――、アッヘンバッハ王国の第七王女なのである。
なんでそんなお姫さまが心の中で、『俺』という一人称を使って言ってるのか。
理由は単純だ。
それは、俺に前世の記憶があるから。
前世の俺は、歴戦の勇者だった。
『魔族相手に単身で突っ込み、一騎当千で狩り尽くす』
『ばったばったと倒した魔族の数は、万を下らない』
これは、王立大図書館に残っている、前世の俺に関する文献。
俺は伝説となり、後世にまで語り継がれているのだ。
そういえば……。
ただひたすら、目の前に立ちふさがる敵を、撃破していくうち、気づけば『魔族狩りの残虐勇者』なんて、物騒な二つ名をつけられたっけ。
苦しませないよう、即死を狙って、首を刎ねまくったのがまずかったのか……。
どちらにせよ、これは前世の話である。
姫に生まれ変わってから、殺しは一度もしていない。
ものすごくクリーンな体だ。
魂は穢れてる?
いやいやいや。生まれ変わりの過程で、浄化されたと信じたい。
ちなみに勇者の記憶が蘇ったのは、一歳の誕生日。
姫としての人格が形成される前のことだったから、自然と勇者時代の性質が、そのまま根づいてしまった。
まあこの中身のとおりの態度でいたら、第七王女として色々問題もあったので、外面はちゃんと取り繕ってきた。
姫モードのときは、お淑やかな令嬢になりきって。
ちゃんと口調だって変える。
でも心の声は勇者時代のままだし、気取らなくていい相手と話すときは、姫モードでもだいぶくだけた喋り方をしている。
一応、一人称だけは私に変えるけれど……。
お姫さまを演じるのって、実は結構楽しい。
ただお姫さまの生活自体は、かなり退屈だ。
さて。
その俺がなんで、魔王城にいるかというと、話は数日前に遡る。
――その日俺は、お忍びで城の裏手に広がる草原へと、遠乗りに出かけていた。
存分に馬を走らせ、窮屈な姫生活の鬱憤を晴らしていたとき、唐突に稲光が轟き始めた。
晴れていた空が一瞬で、毒々しい紫雲に覆われる。
これは強力な力を持つ魔族が現れるときの前兆だ。
怯えていななく馬から降り、わくわくしながら待っていると……。
ピカッ――。
地響きを起こすほどの雷が落下し、その煙の中から、漆黒のマントを羽織った巨大な骸骨が姿を現した。
俺の二倍はある背丈、深淵を思わせる虚ろな目、闇夜色した甲冑。
溢れ出す魔力の気配から、すぐにわかった。
彼は魔王だ。
「其方、アッヘンバッハ王国第七の姫で間違いないか」
魔王は地に響くような低い声で、話しかけてきた。
俺は少し迷った後、一応姫しゃべりで答えた。
「はい。私は第七姫エリザベートです。そして貴方は……魔王ですね?」
「……いかにも」
魔王はなぜか戸惑ったように、小首を傾げた。
髑髏だから表情ないけど。
なんかそんな気配がしたのだ。
「……其方……我のことが恐ろしくないのか……?」
「ええ、まあ、そうですね。髑髏魔王は初めて見ましたが、ライオン頭や牛頭の魔王は、見たことがありますので。ところでそんな魔王が、私に何の用ですか?」
「我は姫を攫いに来たのだ」
なんと!
まさか自分が、『魔王に狙われる姫』になるなんて……!
前世だったらありえない展開だ。
俺は、これまでの日々を一変させてくれそうなこの出会いに、わくわくし始めた。
さて、どうしようか。
このまま魔王と戦う?
それはそれで面白そうだな。
姫の体になったのに、俺はなぜか昔のまま、剣も魔法も使いこなせる。
戦い方を魂が覚えていたとか、なんかそんな感じだ。
もちろん、筋力や体力は、勇者の頃に比べて明らかに劣る。
だからその辺は魔法を使って、カバーしていた。
「私が、ついていかないと答えたら、このまま戦う流れになるのでしょうか?」
俺が尋ねると、魔王は困惑したように首を傾げた。
「……姫相手に剣を抜いたりはせぬ」
「それは私が弱く見えるからですか? でも私、見た目どおりではありませんよ」
「ほう……」
魔王はカタリと歯を鳴らした。
クスッと笑ったとかそんな感じ?
ってことは、完璧舐められてるのかな。
うーん、悩むなあ。
俺の力量は、戦闘に持ち込めば当然伝わるだろうけど……。
……正直、俺はずっと姫生活に退屈していた。
着飾られて、サロンでお茶をして、令嬢たちと一緒にホホホと笑いあって、日が暮れる。
毎日ひたすらその繰り返し。
日々の生活に刺激がなさすぎるのだ。
……やっぱこれって、いい機会だよな?
よし!
せっかくだし、ここは魔王の誘いに乗ってみよう。
「わかった、いいよ。攫われてあげる。私を魔王城へ連れていって!」
気取った姫しゃべりはやめて、くだけた感じの口調に戻す。
さあどうぞという感じに両手を広げ、魔王を見上げると、彼は驚いたように、息を呑んだ。
それからなんだかうれしそうに、ははっと笑った。
「では姫、我が魔王城へお連れ致す」
そんなわけで好奇心に従い、大人しく攫われることにした俺は今、こうして魔王城に滞在しているわけだ。
――なんてことを、ぼんやり思い出していると……。
「……なあ、姫……。アンタ一体、何者なんだ……」
「何者って。魔王から聞いてないの? 私はアッヘンバッハ王国の第七王女エリザベートだよ」
「どうせ偽物だろ。本物の姫が、魔族相手に戦闘なんてできるわけねぇ……」
「そう言われても、正真正銘、本物なんだけどなー」
「チッ、白々しい……。さっさと白状しろ。何が目的で魔王城にいる? どうしてダンジョン攻略なんてしていやがった?」
「目的? 目的は暇つぶしかな!」
「は……? 暇つぶしだと?」
「うん、そう。攫った以上、魔王には何か目的があるんだろうって、わくわくしてたんだけど。なぜか全然行動に起こしてくれないんだ」
数えきれないほどのドレスや宝石をプレゼントしてくれたり。
晩餐会を夜ごと開いてくれたり。
「全然、何の悪さをしてこないから、私、暇を持て余しちゃって」
「……」
「それで今日は魔王城ダンジョンのタイムトライアルで、暇つぶししてたんだ」
「……どうやらアンタ、俺を馬鹿にしてるみてぇだな」
ええっ。
真面目に答えていたのに、なぜだかアンドロマリウスは怒り始めた。
「くだらねぇお喋りはここまでだ。今度こそ、貴様の正体を暴いてやる……!」
鞭を構えた彼が、よろよろと立ちあがる。
「ん、バトル? 私はいいけど、そんなにフラフラだとまた気絶しちゃうよ?」
「うるせぇ……! くたばりやがれ……!」
アンドロマリウスが操る鞭は宙をしなり、俺を目掛けて突っ込んできた。
闇属性の光。
蛇のように迫る、目前の鞭。
俺は、手にした剣に光魔法のエネルギーを注ぎ込んだ。
一歩足を退き、剣を構える。
楽しくて、つい口元が緩んでしまう。
――そして踏み込んだ瞬間の、一閃。
「ぐあッ……!?」
鈍いうめき声をあげたアンドロマリウスの体が、石壁に激突して崩れ落ちる。
仰向けに倒れた彼は、そのままピクリとも動かなくなった。
「あちゃー……。やっぱり気絶しちゃったかー」
白目を剥いて、床に倒れているアンドロマリウスを見下ろしながら、俺は困り顔で額に手を当てた。
あとで目を覚ましたら、ちゃんと謝ろう。
せっかく知り合えた対戦相手だし、今後も仲良くして欲しいからな。
◇ ◇ ◇
エリザベート姫がアンドロマリウスと戯れている頃――……。
――魔王城、玉座の間。
おどろおどろしくも絢爛な装飾で彩られたその広間に、黒いマントを纏った巨大な人影があった。
「ほお。あのアンドロマリウスを、あっさり倒しおったか」
魔法の水晶を熱心に覗き込んだまま、髑髏魔王が低く呟く。
この魔法の水晶は、望むものをなんでも見せてくれた。
魔王にとっての、第三の目だ。
いま、水晶の中には、三十九階層にある『制裁の間』が、映し出されている。
「魔王さま! 喜んでおられる場合では御座いません! これは由々しき事態にありますぞ!」
半透明のゴーストが、 ぷかぷかと魔王の周りを浮遊しながら喚き散らす。
彼は魔王の使い魔。
よく手入れされた燕尾服と、口髭が彼の自慢だ。
膝から下は消えていて見えない。
「難攻不落の魔王城ダンジョンを、三十九階まで、こうもあっさり攻略されてしまうとは……! しかも姫一人に……!」
「我の代になって、三十階層に辿り着いた者は、姫が初めてだな」
「三十階層どころか、十階層すら突破されたことがございません!」
「……十階層も初、か。うむ、そうであったな」
「ああ、そんな悠長な……! このことが世間に知れ渡れば、魔王城の沽券に関わりまする! とにかく、あんな厄介な姫は、すぐさま元いた場所に帰して来てください。返品返品!」
「ならん。我はあの姫が気に入ったのだ」
魔王は、獅子の骨で細工された椅子にもたれかかり、感慨深げに唸った。
(魔王の責務ということもあり、致し方なく、人間の姫をさらってきたが……)
偶然選んだ相手が、エリザベート姫で本当に良かった。
あれほど珍妙な姫は、世界のどこを探しても見つからないだろう。
彼女は見ているだけで飽きない。
「魔王さま!? 昨日、姫が行った蛮行、よもやお忘れではありますまい!? 我が首無し騎士団の大隊が、姫によってどんな目にあわされたかを……!」
――話は、魔王城へ姫を攫ってきた翌日に遡る。
「暇だから、魔王軍の騎士たちと遊ばせて欲しい」
姫にそう頼まれ、了承した数分後。
魔王の居室に、血相を変えたゴーストが飛び込んできた。
「た、たたた大変です……!! 魔王さまッ……!! 首無し騎士団が! 何者かの手で壊滅させられました……! 一万の部隊が全滅です……!!」
さすがに驚かされた。
姫がやったということか?
この短時間に。
一万の精鋭隊を倒した……?
ゴーストとともに訓練所に向かってみれば、そこには、うず高く積み上げられた首無し騎士の山があった。
首無し騎士は死なない。
いや。
もともと死んでいるから、死にようがないと言ったほうが正しいだろう。
しかし一定のダメージを受けると、動かなくなる。
復活までは、ある程度の時間を要した。
「戦う前に不死身だって聞いてたから、あんまり手加減しなかったけど……。これ本当に大丈夫だよね?」
首無し騎士の山の頂きにちょこんと座っている姫が、小首をかしげて尋ねてきた。
(ほう。手加減とは)
ますます興味深い。
「首無し騎士は問題なく復活する。しかし……これは姫が一人で倒したのか……?」
「うん。そう。でも、魔王軍の兵士なんだから、もうちょっと訓練して鍛えたほうがいいんじゃないかな?」
ドレスの裾を風に揺らして、姫がストンと降り立つ。
それからキラキラとした瞳で問いかけてきた。
「ねえ魔王。明日からは、将軍クラスの人と戦ってもいい?」
「……うむ。許可しよう」
(姫との戯れを通して、我が臣下たちも、己に足りないものを自覚するやもしれぬな)
それに……。
期待をはらんだ眼差しを向けられれば、否とは言えなかった――。
「――まったく面白い姫よ」
昨日のことを思い出して、自然と口元が綻ぶ。
ちょうどそのとき、人型になった黒猫メイドが、首元の鈴をチリンと鳴らしながら姿を現した。
「魔王さま、晩餐のご用意が整いましたにゃ」
「承知した。では姫を呼びに行くとするか」
「な!? 魔王さま、御自ら!? それならすぐに誰か使いの者を――……」
ゴーストが慌てながら、呼び鈴を鳴らそうとする。
魔王はすっと骨の手をかかげて、それを制止した。
「よい。姫にダンジョンの感想も聞いてみたいのだ」
「ま、魔王さま~……」
豪奢なマントを翻して、魔王が席を立つ。
控えていた首無し騎士たちが一斉に敬礼をする中、魔王はゴーストを引き連れ、玉座の間を後にしたのだった。
◇ ◇ ◇
――再び、三十九階層にある制裁の間。
「姫、そろそろ晩餐を始めよう」
また失神してしまったアンドロをどう起こそうか迷っていると、魔王が俺を呼びにやってきた。
背後には使い魔のゴーストも付き従っている。
「あ、魔王! いいところに! アンドロマリウスが起きなくって。ねえ、どうしたらいい?」
「ふむ」
魔王は水魔法の呪文を詠唱すると、アンドロマリウスの顔面に向かって放った。
「ふばっ……!?」
突然、水をぶっかけられたアンドロマリウスが、驚いたように目を開ける。
わあ……。
なんか……うん、申し訳ない……。
俺はアンドロマリウスに、吸収力の悪そうなレースのハンカチを差し出してから、頭を下げた。
「アンドロマリウス、ごめんね。大丈夫?」
アンドロマリウスはため息をついたあと、じっと俺を見つめてきた。
先ほどまでの敵意を、もう感じない。
彼は完敗を認めたという顔をしていた。
「一度ならず二度までも……。……そうか。俺では、到底アンタに敵わねぇんだな……」
そう呟いたあと、アンドロマリウスが視線を動かした。
ハッと息を呑む気配。
俺の後ろにいる魔王に気づいたからだろう。
彼は跪くと、魔王に向かい、慌てて礼を取った。
「魔王様!」
「アンドロマリウス。姫と戦ってみて、どうであったか」
「はっ……。……正直全く歯がたちませんでした。それに俺は、二度も打ち負かされるまで、姫の強さを見抜けませんでした……」
「其方には、見た目のみで相手を判断する驕りがあった。どうやらそのことに気づけたようだな」
「三十階層を任された将として、面目ありません……。此度の失態、どのような罰でも謹んでお受けいたします」
「よいよい。其方が弱いのではない。姫が強すぎるのだからな。カカカ」
まるで初孫を自慢する祖父のような口振りだ。
しかもなんかうれしそうに笑っている。
「魔王様が笑われた……?」
アンドロマリウスが戸惑ったように、眉を下げた。
うん。
俺も、ちょっと驚いた。
この城に滞在し始めて、今日で三日。
魔王はやけに俺を気に入ってくれている。
どういうつもりかと思っていたが、まさか俺のおじいちゃんにでもなったつもりか?
そうえいば魔族、とくに、魔王は長生きだ。
髑髏頭なせいで、年齢不詳だけど。
立ち振る舞いから考えて、魔王はかなり高齢なのだろう。
逆に俺は、と言うか姫は、まだ十五歳。
年齢的に言ったら確かに、祖父と孫みたいなものかもな……。
「……お言葉ですが魔王さま。アンドロマリウスになんのお咎めもなしでは、他の者たちに対して示しがつきませぬ……」
ゴーストが魔王の背後から、ぷかぷか前へ出てきた。
「魔王様、ゴーストの言うとおりです。どうか俺に罰を与えてください」
「ふむ……。ではよかろう。魔王城において、姫に負けたものは、それ以後、姫に従うこと。今後はこの決まりを敗者への罰として設ける」
え!?
「その決まりは、ちょっと考え直したほうがいいんじゃないかな?」
「姫よ、何故だ?」
「私、魔王城にいる魔族たちみんなと戦ってみたいんだ。でも今の決まりがあると、戦って倒すたび、私に従う者が増えるってことでしょ? それって最後には、私がこの魔王城を乗っ取る感じになっちゃうと思うんだけど」
ちょっと面白そうだし、そそられる条件だ。
けれど、それって魔王としてはまずいんじゃないのかな?
この城の主は魔王だし、一応気を遣って尋ねてみる。
しかし魔王より先に、ゴーストから反応が返ってきた。
「んなっ!? 姫が魔王城を乗っ取るですとッ!?」
ゴーストは、唾をまき散らしながら叫び声をあげた。
半透明だし実体がないのかと思いきや、唾は飛ぶんだな。
そんなどうでもいい部分に驚いていると……。
「カカカ。姫が魔王城を乗っ取るか。面白い」
カタカタと顎を鳴らして、魔王がまた笑った。
ゴーストとアンドロマリウスは唖然とした表情で、魔王を見上げている。
えーっと……。
面白いってことは……。
「乗っ取っちゃってもいいの?」
「うむ。挑戦してみるがいい。しかし、怪我をしないよう、気をつけながら挑むのだぞ、姫よ」
まじか。
予想外の展開に、胸が高鳴る。
だって魔王城乗っ取りミッションとか、ワクワクするに決まってる。
明確な目的もできたし、これでしばらくは退屈せずに済みそうだ。
俺はそんな期待を胸に抱いて、にんまりと笑みを浮かべたのだった。
◇◇ ◇
「ところで魔王、ちょっと時間ある? おなか空いてる?」
「問題ない。いかがした、姫よ」
「一緒に三十階層を見て回りながら戻らない? このダンジョン、壊れて機能しなくなってる罠とか結構あったから」
魔王城ダンジョンは、正直、管理が行き届いているとは言い難いありさまだった。
百階層もあるから、維持するのが大変なのかもな。
「遊ばせてもらったお礼じゃないけど、それを教えたくて」
「そうか。正直なところ、はじまりの村周辺への魔物派遣に注力していて、勇者たちが到達できない階層まで、手が回っていないのが現状でな」
「もったいないよ。こんなにいいダンジョンなのに」
「カカカ。姫はそんなにここが気に入ったか。なら、姫の好きにしてみなさい」
「ほんとう!? やったー! ありがとう、魔王! あと強化や改装の案も考えてみたんだ。せっかくなんだし、もーっと強くして、難易度最強の名にふさわしいダンジョンにしたらどうかな!」
「いいとも、いいとも。では、見に行ってみるとするか。――アンドロマリウス、ゴースト、そなたらは先に居住区へ向かっておれ」
「はっ! 御前を失礼いたします」
「魔王さま! 私めもお供いたします!」
ゴーストは、俺たちについてきたがった。
彼は魔王の使い魔だから、いついかなる時も傍にいたいのだろう。
でも残念ながら、聞き入れてもらえなかった。
「姫と少し、散歩に行くだけだ。公務ではないのだから、おぬしは先に戻っておれ」
「滅相もございません! このゴースト、公私を問わず魔王さまのお傍に!」
「ならぬ。サービスによる残業行為は、一切禁止だ。これを機にお主も多少、息を抜くということを覚えよ。では姫、行こうぞ」
「私は魔王さまの使い魔ですぞぉぉ……!!」
ゴーストが噴水のように涙を溢れさせて喚く。
ちょっと可哀想だ。
ただこういう使い魔がいたら、色々大変そうな気もする……。
にしても、お化けって涙を流すんだ?
まあ、唾を飛ばすくらいだもんな……。
◇ ◇ ◇
そんなこんなで、ゴーストとアンドロマリウスとは、『断罪の間』の外で別れた。
彼らは一足先に、晩餐の行われる広間へ移動していると言っていた。
ダンジョンの中には、どの階にも魔王城の居住区域に直で通じる秘密の抜け道があり、そこを通っていくらしい。
ちなみに通路は普段、結界で封印されていて、わからなくなっているとのことだ。
でも、確かに近道は必要かも。
だって毎日、ボス部屋と魔王城居住区を行き来するのだ。
近道でもないと、さすがに大変だろう。
ダンジョンの最上階は百階だしな……。
各階層を護る将たちも、別に二十四時間、ダンジョンに陣取っているわけじゃない。
魔族だって、眠くもなるし、腹も減るのだ。
将たちは皆、魔王城居住区で生活していて、仕事が終わるとそこへ戻ってくる。
彼らの勤務時間は、十五時から二十四時まで。
間に一時間休憩を挟んでの八時間勤務で、週休三日制だと聞いた。
休暇も一月以上もらえると言っていたし、労働環境はかなりいい。
……って、あれ?
魔王城のみんな、勇者時代の俺より、ずっとまともな環境で働けてないか……?
魔族の勤務時間外は、もちろん魔王城ダンジョンも閉園している。
ダンジョンに挑む勇者やパーティーには、そのルールをしっかり守って攻め込むよう、ギルドから必ず説明がなされる。
ルール違反をしたらどうなるか?
とりあえず今は、とんでもない目に合うとだけ言っておく。
「姫も抜け道を知りたいか?」
魔王に尋ねられたが、もちろん首を横に振った。
「私は知りたくない。ズルしたらつまらなくなるもん」
「――もうすでに、この階層の入口を見つけたのではないか?」
「うっ!?」
思いっきりギクッとしてしまった。
魔王め……鋭いな。
「……ま、まあ……たしかにね。んー? て場所はあったけど。けど、見て見ぬふりして楽しんでるんだから、魔王も教えちゃだめだよ」
「そうか。承知した」
そんな話をしながら、石壁に囲まれた薄暗いダンジョンを進んでいくと……。
「あ、そう! ここ! ここも気になったんだ。壊れてるわけじゃないけど、改善の余地ありかなと思って。たとえばー……」
俺はドレスの裾をひょいと持ち上げ、床の仕掛けを踏んづけた。
直後。
ヒュンッ――。
風を切るような音と共に、四方から数百本の毒矢が飛んできた。
「よっと」
身を翻してすべての毒矢を難なく交わす。
一応ドレスの乱れを直してから、俺は魔王を振り返った。
「ねえこれ……いくらなんでも古典的過ぎない? 仕掛けを踏んで飛んでくる矢なんて、どこのダンジョンでも必ず見かけるし……」
「ふむ」
「確かに毒矢の数は、他と比べれば多かったよ? でも数でごまかしてる感じがするんだよね」
「姫はずいぶんとダンジョンに詳しいな」
「うん。ダンジョンは結構好きなんだ」
勇者時代には、よく潜ったりもした。
この魔王城のダンジョンに来たのは、もちろん初めてだったけれど。
古いものにも良さはある。
新しさや斬新さがすべてとは言わない。
ただな……。
ここは超SSS級ダンジョン。
しかも天下の魔王の御膝元なのだ。
このダンジョンを訪れた勇者たちに『なんだ。所詮こんなもんか』などと思われるのは悲しい。
「さすが魔王城ダンジョン! そんじょそこらの罠とは違う! 罠に品格あるよね!」なんて言われるような罠を、どうせだったら用意したい。
そうすれば、魔王も馬鹿にされなくて済む。
ダンジョン攻略者たちも楽しめる。
双方にとって得になるのだから、悪い案ではないはずだ。うん。
「それでね、罠ってやっぱり、驚きが大事だと思うんだ」
未知の罠と出会い、驚き恐れ、その果てにそいつを攻略する。
ダンジョンに潜る人間が求めているのは、多くの場合、スリルとワクワクだ。
名声目的なら、戦に参加して武勲をあげるほうがずっと高い評価を得られるし、金目当てなら、トレジャーハントをしてるほうが、よっぽど利がいいからな。
「驚きを与えるためには、通常ならありえない展開を用意するに限るよね。――で、考えてみたんだけど、まず毒系で行くなら、弓はやめよう。もっと百発百中のやつ。小部屋に閉じ込めて、毒の雨を頭からかけちゃうとかね」
「しかし姫……それでは如何な武将と言え、回避は不可能」
「うん、そう。だから絶対に避けさせない。この罠はまず、確実に毒に感染させるのがポイントなんだ」
魔王から、戸惑ったような沈黙が戻ってくる。
俺は話を続けた。
「冒険者なら解毒薬は確実に持ち歩いているはずだけど、ダンジョンに潜るのに大荷物でってわけにもいかないし。多くても一人二十本所持してればいいほうでしょ? だからね、このトラップの毒は、五十本の解毒薬がないと浄化できないようにしておくの」
「……! ……それはつまり」
魔王がハッとしたように息を呑んだ。
「うん、そう。他の仲間の分をもらえば、自分は助かる。――少しずつ体を蝕んでいく毒。仲間を裏切るか、全滅するかという究極の選択。もしかしたら解毒薬を巡って、醜い殺し合いが始まるかもしれないよね! どうかな、魔王! ただの毒矢トラップより、こっちのほうがハラハラドキドキさせられるんじゃないかな!」
一人でダンジョンに潜った冒険者は……、他のパーティーを襲って奪うとか?
その方法が使えるのは、たまたま近くに別グループがいたらの話だけど。
いない場合は、運が悪かったってことで諦めてもらおう。
そんな案を笑顔で伝えると、魔王が口元に骨だけの手を当てて、カタカタと揺れだした。
「――ダンジョン内で死んだ場合は、ペナルティで所持金が減っちゃうけど、本当に死ぬわけじゃないし……って魔王? なんでカタカタ震えてるの?」
「姫よ……其方は……」
「ん?」
「天使のように愛らしい容姿をしながら、其方の心は、我などよりずっと邪悪であるな……!」
「ええ!? なにそれ!?」
「カカカ。魔族にとって邪悪とは、最上級の褒め言葉であるぞ。カカカ」
驚いている俺を眺めながら、魔王がなぜか愉快そうに笑っている。
本当に死ぬならまだしも、そんなことはないのに!?
なんで邪悪などと勘違いされちゃったんだろう?
「魔王の基準が変、とか……? ……確かに魔王は魔王のわりにやさしいなぁって思うけど。なんかおじいちゃんみたいだし」
「おじいちゃん……おじいちゃん……。ふむ、良い響きである」
魔王は、おじいちゃんという単語がよっぽど気に入ったのか、しみじみした声音で何度も繰り返した。
「えーっと、そしたら明日から改装してもいい?」
「ああ、もちろんだ。入用の物があれば何でもいいなさい。すぐに用意させよう」
「うん、ありがとう」
俺が邪悪だってことに関しては、まだ納得いかないけれど……。
とりあえず、改善案に許可をもらえてよかった。
◇ ◇ ◇
その後も俺たちは、改善案について話をしながら、ダンジョン内を巡っていった。
落ちてくる岩のタイミングを調整できないか話し合ったり。
待ち構えている竜の属性と、室内に付与されている効果との相性が悪い点を、指摘したり。
設置されている回復ポイントの場所を、もっとボス部屋から遠ざけたりもした。
「それからね、このトラップ」
宝箱の前にある、少し色の変わった床を踏み抜くと、がしゃん、と大きな音が響いた。
直後、石畳の床が割れて、縦横ニメートルほどの穴が開いた。
当然、俺たちは真っ逆さま。
だけど、魔王も俺も気に留めていない。
「このままひたすらスタート地点まで落ちるっていう地味さに改善の余地ありだよね。単調にならないよう、気合を入れたトラップにしたいなー」
くるんと宙で回転し、頭を下にした俺は、落ちていく途中の壁を指さす。
「それに落下している最中も地味だよね。絶望感が足りないのかなー」
「ふむ」
「そうだ! それならここにもさ! ちょっとした絶望要素をプラスして、人生の走馬灯が流れるとかどうかな! 幻惑魔法を遣えば可能だろうし、流れるのは絶望的な場面……だとちょっとかわいそうすぎるから……あ! 死ぬほど恥ずかしい目にあった場面を思い出すとかがいいかも」
「姫……! なんて邪悪なのか!!」
「ええええ」
またそれ!?
「姫は、死よりも深い絶望を与える天才であるな」
俺は再びくるんと身をひるがえした。
だが、ドレスの裾が乱れたことが、おじいちゃんとしては見過ごせなかったらしい。
「こらこら、姫。そのようにドレス姿で飛び跳ねてはならぬ」
諌めるように言うと、魔王は俺のことを、ひょいと小脇に抱え上げた。
「わ!」
「暫くじっとしていなさい。我がこのまま運ぶ故」
荷物にでもなった気分だ。
それにしても、だ。
「やっぱり、トラップを実際に味わうと、イメージが膨らむなぁ。まだまだ改良できそうな感じがする」
俺が溢れ出る構想にわくわくしていると、魔王はまさしく孫を見るような目で俺を見下ろして、よいしょと抱え直した。
結局、俺はダンジョン出口まで、魔王に抱えられたまま落下することになった。
とにもかくにも、明日からの日々が楽しみだ。
(おわり)