九話
青々と草が茂った野原に一陣の風が吹くと、まるで波のように草が揺れ動いていく。青空には千切れ雲が浮かび、風とともに流されていた。
あの草原でランチボックスを開けば最高のピクニックを楽しめると思ったが、あいにくと俺はピクニックで来ているわけではない。
草原と森林の境目、森の比較的浅いところに俺はいる。黒っぽい大きな岩を背にして、あぐらをかいている俺の胸には、一丁のボルトアクション式ライフル。
ライフルの名前は、Kar98k。一九三五年にドイツ軍に制式採用されてから量産が行われ、諸説あるが生産数は七五四万丁に達し、第二次世界大戦中のドイツ軍を代表するライフルとなった。頑丈で戦闘中の信頼性に定評があった傑作ライフルだ。
このKar98kは、生産された銃の中から特に精度が高いものを選び出し、スコープを搭載した狙撃用。装弾数は五発で、口径七・九二ミリ。
「……来たな」
ぼそっとつぶやいてから、俺は狙撃用のKar98kを持ち上げる。俺は今あぐらをかいている状態だが、これもシッティング・ポジションと呼ばれる射撃姿勢の一つだ。
上腕三等筋が膝につくようにして、狙撃銃を構えた。銃の高さは、両膝を緩めたり締めたりして調整する。
スコープを覗き込むと、拡大された円形の視界の中に標的がうつる。標的は、反対側の森から草原に出てきた一頭の鹿だ。
外見は立派な角が目立つ以外は普通の鹿だが、ホーンディアというそのまんまな名前の魔物。俺は単に角鹿と呼んでいる。この角鹿が、今回の標的だ。
俺は角鹿をマークする。
これはゲームシステムの一種で、マークするとその敵までの正確な距離が表示されるほか、たとえ目を離してもしばらくの間は視界の隅に表示されるミニマップに赤い光点で位置を教えてくれたりする。
マークして確認できた角鹿との距離は、三〇〇メートルちょっと。俺は、メニューを開きKar98kのゼロインを三〇〇メートルに設定する。
現実ではものすごく高度な技術を要するのが、狙撃だ。撃った弾は標的に届くまでの間に空気抵抗や重力などを受けて落下するから、その分を計算して狙わなければならない。
さらに風、気温、気圧、湿度といった気象条件の影響も受ける。風が強ければ命中までの間に弾が風に流されて着弾点がずれる。気温、気圧、湿度などで空気抵抗が増減するため、やはり弾着に誤差が生じる。
このため、十時線の中央に標的を重ねて撃てば、百発百中になるわけではないのだ。
スコープで狙った通りの場所に弾が当たるように調整する作業を、ゼロイングという。特定の距離に置いた標的の中心を狙って銃を撃ち、狙い通りの場所にまとまって当たるようになるまで調整を繰り返しながら試射を続ける。
この照準調整が、ゼロイン。ATWでは、メニューから銃の設定を開くことで簡単にゼロインができる。
ちなみに狙いをつけるためのスコープ内の線であるレティクルも自由に設定可能で、俺はよくある十字線のクロスヘアを選んでいる。
当たり前といえば当たり前だ。さっき言ったような調整を毎回やっていたのでは、プレイヤーが嫌になってしまう。確かにスコープの目盛りをカチカチやって照準を調整するのはかっこいいし雰囲気抜群だが、多くのプレイヤーはそこまでリアルなプレイをしたいわけではないのだ。
一応ATWでは五〇メートル毎にしかゼロインできないようになっているため、その距離ぴったりではない場合は、ある程度の誤差が生じるのでそこはプレイヤーの腕と勘が頼りとなっている。
今俺は、Kar98kを三〇〇メートルにゼロインした。角鹿との距離は三〇〇メートルちょうどではないが、これくらいなら経験上ほぼ狙った通りの場所に当たる。
俺は、角鹿の動きが止まるのを待つ。動いている標的よりも、止まっている標的の方が狙いやすいからだ。
角鹿が立ち止まった。周囲を警戒しているのだろうか、立ったまま草原を睥睨している。俺は、その首に十字線の中央を重ねた。
息を吐き、少し吸ってから止める。銃に余分な力を加えて照準がぶれるガク引きとならないよう、引き金をスムーズに引き絞った。
鋭い銃声が鳴って――角鹿の首でぱっと鮮血がはじけた。撃たれた角鹿が、どさっと横転する。あまりに呆気ない。
「――当たった」
あらかじめ誰もいない平原で試射をしてATWのゼロインの仕様がそのままなのは確認できていたから、きちんと狙って撃てば当たることはわかっていたはずなのに、それでも嘘みたいだった。
俺は、ボルトハンドルを起こして手前に引くと、用済みとなった空薬莢を排出。再びボルトを元の位置へ押し戻して、次弾を薬室に送り込んだ。
ボルトアクションのライフルは、一発撃つ毎にいちいち手動で空薬莢の排出と次弾の装填を行わなければならないが、構造が単純で命中精度に優れるという利点がある。そのため、現在でも狙撃銃はこの方式のものが多い。
しばらくスコープ越しに狙撃した角鹿の様子を観察していたが、完全に動かなくなったのを確認した後、俺はライフルを構えたまま森から出た。
「クルトさんには驚かされてばかりですね。こんなに状態の良いホーンディアの買取は久々だと、担当者が喜んでいましたよ」
冒険者ギルド内のカウンターで、相変わらず垂れ目が色っぽくてドキドキしてしまうフランさんが笑顔で俺にそう言ってくれた。
「それはよかったです、買取価格も期待できそうですか?」
「はい、ご満足いただけるかと」
俺が狙撃で仕留めてギルドに持ち込んだ二頭のホーンディアの買取価格は、合計で五万ウエル。大銀貨にして五枚だ。
一日の稼ぎとしては上出来で、俺は自分の目論見どおりになったことを喜ぶ。
新人冒険者を食い物にしている危険なチームに絡まれてから数日は、薬草採取などで適当に日銭を稼ぎつつ情報収集などをして過ごしていた。
その間に貯めたクレジットで狙撃用のKar98kをレンタルした俺は、かねてから考えていた角鹿狩りに乗り出したのだ。
最近増えた角鹿が開拓村の農作物に被害を出しているので討伐して欲しいという依頼を見た瞬間、俺はこれだと思った。
角で突き刺しにかかってくる突進以外は大した攻撃手段を持たないので依頼のランクは四級、俺でも受けられた。
ただし、角鹿は気配に敏感なうえにとにかく逃げ足が速いので、そういう点では難易度が高め。実際、一日かけて追い回しても仕留められない場合もあるらしく、効率が悪い依頼ということで他の冒険者は避けていた。
しかし、俺には銃という強力な遠距離攻撃手段がある。角鹿に気づかれないよう遠くから狙撃すれば、無駄な追いかけっこをせずに済む。
あらかじめ角鹿がよく目撃される場所などを被害を受けていた村人たちから聞き出しておいた俺は、角鹿を風下で待ち伏せて狙撃、首尾よく仕留めることができたのだ。
「ただ、血抜きがされていればありがたかったそうですが……まるでついさっき仕留められたばかりのような状態だったおかげで、肉の鮮度に悪影響が出なかったのは幸いですね」
ついさっきのくだりで、フランさんにちらりと顔色をうかがわれた。外で倒した角鹿をここまで運び込むのに何時間か経っているはずなので、ちょっと疑われているらしい。
普通は仕留めた直後に血抜きくらいは行う。そうしないと、肉の鮮度が落ちるからだ。
しかし、俺は鹿の撃ち方は知っていても、血抜きのやり方までは知らなかったし、知っていたとしてもできたとは思えない。もちろん解体も無理だ。
鹿の撃ち方は、現実でたまたま読んだ狩猟の本に書いてあったのを記憶していた。一発で仕留めないと手負いの鹿が走り回ってやはり肉の状態が悪くなるから、心臓を狙撃するなどして即死させるのがいいと。
ただし、心臓の近くには他の内臓もあり、特に消化器系を撃ってしまうと最悪だ。中身が腹の中に漏れ出てとんでもないことになってしまう。そのため、首を狙うのがいいとその本には書いてあった。
異世界の魔物なので、どう見ても鹿でも内臓の配置は違ったりするかもしれないと思った俺は事前に図鑑で確認したが、幸い現実の鹿と大差無かったから本で得た知識通りにした。買取の担当者が喜んでいたくらいなので、うまくいったようで何よりだ。
まあ、鮮度が良過ぎたせいで疑われてしまったが……一応出発前に宿に置いてあった荷車を借りてインベントリに仕舞っておき、戻った後はギルドの近くの裏路地で仕留めた角鹿をインベントリから出しその荷車に積み込んでから持ち込むという手間はかけたのに。
ついでに銃創もナイフでえぐってどんな武器で攻撃したのかわかりづらくしておいた。偽装工作って大変だ。
「すみません、知識が足りなくてできませんでした」
下手に何か言ったら余計に疑われそうだったので、それだけ言っておく。
しかし、これからも毎回さっきのような偽装工作に手間をかけるのは面倒だ。早くランクアップして大容量の道具袋なんかを持っていてもおかしくないくらい稼げるようになりたい。
「いえいえ、買取価格は血抜きの手間を差し引いたものとなっておりますので」
さすがはプロ、ちゃっかりしている。




