07:静かすぎる学校
「しっかり捕まってろよ」
などと格好を付けては言ったものの、しっかりすべきはヒイロの方だった。
それは理性との闘いであり煩悩との闘いである。修行に近い気持ちで、階下へ急ぐよりも背中のメオンに余計な反応をさせないようと一段一段とゆっくり進んでいく。
人の姿も化け物じみた生き物の姿もなく、心に平静を取り戻すことにだけ集中できた。
ただしそれは四階から三階へと降りるまでの間であって、三階へとたどり着いた今、状況が少し変わっていた。
「なぁ、なんかおかしくないか?」
「へっ? な、な何がっ?」
真宵ヶ丘高校はの校舎は四階建てになっている。
各階の教室は学年ごとに分かれていて、四階から一年、三階には二年、二階に三年と若い学年の教室の方が高い階にくる。一階には職員室や保健室を始め、特殊な教室が並ぶ形だ。
三階の廊下にまで下りてきたヒイロだが、その静けさに異様さを感じ取っていた。
「静かすぎるだろ」
普段なら午後の授業が行われている時間帯にも関わらず、人の声一つも聞こえてこない。
「た、確かに……今日、テストか何かあったかしら?」
確かに空気は似ているかもしれなかった。
妙に張りつめていて、ペンが答案用紙を走る音にだけ支配された世界。
もっとも、研ぎ澄まされたヒイロの聴覚は、そんな小さな紙ズレの音すら今はこの学校に存在していない事を知っていた。
ひとまずはその事実を飲み込んで、目先の目的を果たすことにする。
野生じみたヒイロの直感が、このままメオンを背負ったままで行動することに、小さな危機感を抱いていた。
「少しトバすぞ」
メオンの答えも待たず、ヒイロは二階へと続く階段を一段飛ばしに駆け降りた。
揺れる髪からかすかに香るシャンプーの香り。
メオンの体温はヒイロよりも高いらしく、触れる肌が温かい。
「へっ? ちょっと、待っ、あっ、ひゃあん!?」
階段を一歩踏み下りるたびに、揺れるメオンの体から妙になまめかしい声が耳元に響いたが、今はそれをできるだけ聞かないようにする。
バクバクと爆発しそうな音を立てているのはどちらの心臓なのだろうか。
振り落とされないようにとギュっとメオンの腕に力が入り、必然的に背中の感触も明確になる。
だが、男としてそれを楽しむ余裕はヒイロからは消えていた。
恥ずかしさからか荒くなったメオンの吐息が首筋を撫でるくすぐったい感触も、まったく楽しむ余裕がない。
全くもって悲劇である。
そして二階から一階へと階段が螺旋を描いたとき、ついにヒイロはその直感が的中していた事を知る。
「ここでかよ……!」
階下には、無数の巨大な芋虫が居た。
一階の廊下を埋め尽くすようなその光景に、ヒイロはその肌が逆立つような気持ち悪さを感じた。
寒気を錯覚するほどの不快感だ。
背負っているメオンに錯乱して暴れられても困ると判断し、すぐさま体を反転させた。
ちらりと背後の様子を伺えば、メオンは振動に耐えるようにギュっと目を閉じており、その光景には気づいていないようだった。
思わず口からこぼれたヒイロのぼやきもその耳には届いていないらしい。
好都合だ、と進路を変更する。
こんな光景、女子にはとてもじゃないが見せられない。
ヒイロはもう一方の階段を目指して廊下を走った。
注意する教師はいない。いや、恐らくは……。
気味の悪い予感を覚えながらも、それが外れてくれと願った。




