05:真宵ヶ丘の秘宝
学校に馴染めていない、というよりは最初から馴染む気がないヒイロには、当然ながら友達がいない。知り合いが少ない。
名前と顔が完全に一致するのはもやしみたいなクラスの担任と、転入生であるヒイロを何かと気遣ってくれるメガネをかけた委員長。
そして目の前の少女くらいのものだった。あの不良達はノーカンで。
「助けてくれたことは感謝するわこのへんたい痴漢レイパー!」
踊り場の隅までバッと目をみはる俊敏さで跳び退り、顔を真っ赤に涙目のまま棘だらけの感謝の言葉を投げつけてくる少女の名前は、広院寺メオン。
ヒイロとは同じ一学年だが、他には何の接点もないほぼ他人。
実際、メオンはヒイロの事など知らないが、ヒイロの方はといえば、少女を知っていた。
クラス、学年、ひいては学園全体を見ても、少女に並ぶ美貌の持ち主はいないと言われているほどの美貌を持つ少女。
真宵ヶ丘高校の関係者ならば、知ろうとせずともその逸話の数々は耳に入ってくる。
芸能関係の人間からのスカウトが後を絶たないだとか、学校外にもファンクラブがあるらしいだとか。メオンと同じ高校に通うために他校から転校してきた生徒もいるらしい。なんて噂。
学園のアイドル。真宵ヶ丘の秘宝。
そんな大げさな二つ名で呼ばれているが、遠目に見かけた程度でもそれらに「なるほど」と頷かざるを得ないほどにその美貌は本物だった。
こうして間近で見ると、その少女は遠目で見たとき以上に綺麗だった。
ありきたりな蛍光灯の光すら美しく反射する金色の髪をふわりと纏う、小さく可憐な顔の輪郭。
その中に光る紺碧の瞳は宝石のような輝きを宿していて、「吸い寄せられるよう」なんてチープな表現を地で行くほどに眼を引く力がある。
新雪のように汚れをしらない白い肌。
スラリと伸びた肢体も、小ぶりな胸も、立ち振る舞いそのものが優雅な少女にとって、もっとも似つかわしいパーツに思える。正直かわいい。
そんな美少女に指を突き付けられながら「やれやれ」と本日何度目か分からないため息を吐く。
緊急事態だったし咄嗟の判断としては間違っていなかったつもりだが、ここまで言われると判断ミスだったかとちょっとヘコむ。別に感謝してほしくて助けたわけじゃない。ただやるべきだと思ったことをやっただけだが、こうも性犯罪者扱いされるのはいかがなものか。
ヒイロとしてはあくまでの善意での行動だったのだが、逆に意識してしまう。
指先の感触を思い出してしまいそうになり、慌てて頭を振る。
「とりあえず、何か拭くものでも取ってくるから、そこで待ってろ」
幸いにもここには人目がない。
人目に着く前に対処する方が良いだろうと、沸き上がりそうになる下心を誤魔化すように、ヒイロが階段にかけていた腰を上げると、当のメオンは「?」な顔をしていた。
どうやら、自分の状態に気が付いていないらしい。
放心状態だったのだから無理もない事かもしれない。
「えーと、それ、なんとかしないといけないだろ?」
ヒイロの視線がメオンの足元に向く。「何の事?」とその視線を追って、メオンは今更やっと自分の痴態に気が付いたようだった。
濡れた太ももを隠すように制服のスカートを抑え、そのまま力なく地面にペタンと座り込んだ。
紅潮した顔にいっそう赤みが増す。ついでに涙も増す。かわいい。
「こ、これは、その……汗なんだからね! 勘違いしないでよねこの変態!」
無理がある言い訳だったが追及するのも可愛そうなので、それ以上は何も言わないでおく。最後に聞こえた罵声は聞こえなかったことにしよう。
そう都合よく着替えなどはないだろうが、清潔なタオルくらいなら保健室あたりにあるかもしれない。
ヒイロはまだ使ったことがないが、確か保健室は一階だったはずだ。
このまま階段を下りていけば辿り着ける。
「ま、待ちなさいよ! こんなところに私を置いて行く気なの!?」
階段を降りようとしたヒイロの背中に、慌てるメオンの悲鳴が飛んできた。
「すぐ戻るって。下の保険室でタオルか何か取ってきてやるからさ」
置き去りにされるとでも思ったのか、悲壮感ただよう口調だった。
化け物じみた巨大な虫に襲われ、その恐怖がまだ抜けきっていないのだろうかと、ヒイロはできるだけやさしい口調で返すが、メオンは納得してくれないようだった。
「だ、だったら私も行くから! わざわざここまで戻る手間が省けるでしょう!?」
そう言われれば、それはそうだろう。だが、座り込んだままの姿勢で言われても、どうしていいか対応に困る。
少し待ってみる。
メオンは俯いたまま立ち上がらない。
「えーと……行かないのか?」
しばしの沈黙。
俯いていたメオンが顔を上げた。
「え、えっと……こ、腰が抜けちゃった……みたいな……」
座ったままの美少女は、誤魔化すような乾いた笑顔でそう言った。かわいい。
「そ、そうか……」
ヒイロは心の内に呟いた。
やれやれ、とんだ災難だ、と。




