03:大蜘蛛
「なんかヤバいな」
何が、というわけではないが、ヒイロの直感がそう告げていた。
空が割れているからと言って何かが起こっているわけではない。
豪雨や落雷のようなものもなく、暴風にさらされているわけでもない。
気候としては穏やかに落ち着いているといえる。強いて言えば、空模様など関係なく、この旧校舎には巨大すぎる虫がでるらしいから早くここから離れたいくらいだった。
旧校舎は背の高い木々に囲まれて、まるで隠されるように真宵ヶ丘高校の敷地の隅に残っている。
並木が作るちょっとした林を抜けるとすぐに着く程度の近い距離だが、人のいない静けさ故か、その空気感はまるで別世界のようでもある。
そんな静かな世界を抜けると、すぐに本校舎が見えてくる。
二階建ての小さな旧校舎と比べると、四階建てに屋上付きというその建物が随分と立派な物に見えた。
改めて校舎を見上げて見ると、ちょうどその屋上のフェンスが視界に入った。
「誰か……いや、何かいる?」
フェンスのそばに人影が見える。
その人影を、大きな何かの影が覆っていて、それは巨大な蜘蛛のようにも見えた。
「……おいおい、なんかヤバイぞ、あれ」
言うが早いか、ヒイロは駆けだしていた。
そのまま校舎に入ることもなく、窓の縁や排水管、室外機などを足掛かりに、校舎の壁つたいに上へ上へと駆け上がっていく。
ヒイロは四階という高さをものともせず、あっという間に屋上まで登り切った。
そのまま、フェンスに足をかけ、跳躍する。
見下ろせば、人影を襲っていたのは旧校舎で遭遇した巨大な芋虫のような、それ以上の大きさの蜘蛛だとわかる。
人影の方は女生徒のようだ。
恐怖からか、体を硬直させて動かない。
背後に現れたヒイロにすら気付いていないようだ。
(……これ、イケんのか?)
接近してみると、芋虫の比ではないおぞましさだった。
そもそも、同じ虫でも圧倒的にジャンルが違う。
草を食うだけの芋虫に比べて、蜘蛛とは捕食者だ。つまりは肉食。
人間以上の大きさになった蜘蛛になら、人間だってただの餌に見えるだろう。
体に武器を持たない人間なんて、それこそ芋虫みたいなものだ。
見るからに固そうな甲殻。
コンクリートすら穿つ牙のような足先の爪。
開く口には針山のような牙。
もう何も見なかったことにしたかった。けれど、そんなことはできない事を誰よりも自分が知っている。
そもそもすでに飛び出してしまっているヒイロには選択肢などない。
幸いなことに、蜘蛛は女生徒に夢中らしくヒイロには見向きもしていなかった。
蜘蛛の体が近づく。やるしかない。
覚悟を決めると、体を丸めて回転させる。発生する遠心力そのままに片足を伸ばした。
その足先に重力を捉え、そのまま落下先に叩きつける。
その衝撃は蜘蛛の頭を打ち抜き、バキン、と硬い鉄板を粉砕したような音を響かせた。
砕かれた蜘蛛の頭が沈むが、力は抜けきらない。
全身の体重をかけた一撃も、巨体を仕留めるには至らなかったようだ。
ヒイロは「ちぃ」と舌打ちし、宙を舞ってその体を反転させると、女生徒と蜘蛛の間に割り込むように着地した。
水たまりで跳ねたみたいに、芋虫と同じ青い色の体液がスニーカーを濡らしている。
ヒイロは乱れた前髪をかき上げて、大げさにため息を吐いた。
「まったく、とんだ災難だぜ」
沈んだ頭はちょうど腰の位置くらいの高さにある。
前蹴りで追撃するも、遠心力と重力を味方につけた先の一撃のような威力が出るわけでもなく、割れた頭殻に押し返されるだけだった。
まったく勝てる気がしない。




