29:安藤さん安堵する
新藤ヒイロの運動神経は同年代の男子と比べてずば抜けて高い。
筋力が異常なのではなく、効率的な体の動かし方を熟知している。
それがこれまで何度も何度もヒイロにケンカを吹っかけては返り討ちにあってきた安藤の印象だった。
そう知っていたつもりだが、その背中を追いかけてみると改めてその差を実感させられた。
お互いに全力で走っているハズなのに、相手は人を一人抱えているハズだというのに、それでもヒイロが安藤の前を行く。
普段の安藤ならそんなヒイロに張り合う所だが、今はそんな事を考える暇はない。
「いたぞ!」
大村を捕獲したまま逃げた巨大な蜘蛛の姿はすぐに見つかった。
巣を壊され、地面に降りてからの動きはヒイロの予測通りかなり遅い。
巣を破壊されて焦っていたのか、並木の中に逃げたせいでその巨体が木々に阻まれており、動きはさらに緩慢なものになっていた。
ヒイロの声に安藤もすぐに追いついた。
並木の中頃に、巨大な蜘蛛のグロテスクな内腹が見える。
まっすぐに行けば、すぐに追いつける距離だ。
その間を、壁を作るように芋虫の群れが遮った。
「な、なんだこいつら!?」
突然現れた巨大すぎる芋虫の群れに安藤が驚愕するも、腰を抜かすような事はしなかった。
先に見たあの蜘蛛に比べれば、少し大きいだけの芋虫などはまだ可愛げがあるように見えてしまう。
「またこいつらか……!」
ヒイロが悪態を吐いて足を止めた。
トンボの時の苦い記憶が蘇る。
チヨコを救おうとしたヒイロを邪魔したのもこの芋虫達の行動だった。
その時を再現するような、全く同じパターンだ。
この芋虫達はそういう行動原理を持っている?
芋虫やトンボなんていう虫の種類に関係なく、巨大昆虫という一つの種としての行動パターンを……。
「……クソっ!」
回り始めた思考を一度、強制的に停止する。
そんなことはあとで考えれば良い。
今この場所では、唯一芋虫の返り血を浴びているメオンが最も狙われやすいはずだ。
つまりはそれを抱えているヒイロが集中攻撃を受けるハメになる。
むしろ好都合だと、ヒイロが安藤に指示を出した。
「安藤、このバカでかい芋虫は俺が引き受ける。お前は先に大村を助けに行け!」
蜘蛛に比べれば小さい芋虫だが、しかし数という名の暴力を持つ。
一人で戦うには危険な相手だ。
だからと言って二人まとめて足止めを食うわけにはいかない。
それに蜘蛛一体だけなら、当てさえすればメオンの剣なら間違いなく殺し切れる。
ヒイロでなくとも、安藤でも同じことだ。
「はぁ!? バカ言ってんじゃねぇぞ! 俺のダチのためにテメェを見殺しにさせる気か!?」
「バカはお前だ! 俺一人で十分だから言ってんだよ!」
ヒイロは少し遅れて追いついてきた安藤の背中を押した。
「俺は死なないし、大村を助けるなら今しかない! 全員で生き残る! 分かったら早く行け!」
ヒイロの言葉には有無を言わせない迫力があった。
本気で全員で生き残るつもりで言っているのだと分かり、そしてそれを実現するのだと信じさせてくれるような力強さだ。
「それにこいつらの狙いは俺たちのハズだ。お前は無視して突っ走れ!」
「わ、わかった! 新藤テメェ、無事じゃなかったらただじゃおかねぇからな!」
矛盾した発言を残しながら、安藤は駆け出した。
どこから湧いて出てくるのか、次々と数を増やす芋虫達は、確かにヒイロの言う通り安藤ではなくヒイロ達を目がけて突進していく。
安藤はそれを確認し、腹を括った。
芋虫達は無視して大村を捕らえたままの巨大な蜘蛛を目指す。
芋虫達の壁を周り込んで避けるが、それでも遠くない距離だった。
でっぷりとした光沢を持つ蜘蛛の腹がすぐ目の前に見える。
背を向けて逃げる格好のため、大村の様子は伺えないが、ただ無事だと信じるしかなかった。
安藤の目に映る蜘蛛の腹が、次第に大きくなる。
剣を握る両手に力が入る。
ヒイロから渡された純白の剣は、木刀よりも、竹刀よりも軽い。
もう剣の届く距離にまで近づくと、改めてその大きさに気圧されそうになった。
その腹だけでも五メートル以上はあるだろう。
人の数倍の大きさだ。
「待ってろよ、大村……今、助けるからなっ!」
己を鼓舞するように呟いた。
敵となる対象を眼前に捉え、剣を手に立つ。
そうすると、自然と幼い頃の記憶が体を動かしてくれた。
剣を体の真正面に、両の手で構える。
基本となる中段、正眼の構え。
恐怖と憤怒が心拍数を上げる中、安藤の頭は自分でも驚くほどに冴えていた。
逃げるだけの敵を相手に、自然と構えは攻撃的な上段へ。
火の構え。
すり足ではなく、飛び込むような駆け足で、そのまま一気に肉薄する。
剣を振り下ろそうとする間際、匂い立つものを感じた。
蜘蛛の腹が微かに揺れる。
安藤は、攻撃のその起こりを見逃さなかった。
飛び出してくる真白の糸を、素早く横にズレるように躱し、そのまま剣を振り下ろした。
「うおぉぉぉぉぉぉ!!」
三年も前に手放したはずの剣道の技術が、今なおその体に染みついているのを感じた。
振り下ろされた剣の軌道は揺らぐことなく真っすぐに蜘蛛の腹を割り、青い体液を飛び散らせる。
真っ二つに割れた腹をビクビクと震わせ、蜘蛛は動かなくなった。
「や、やったぞ……! 大村!」
間違いなく殺したのだと確認し、大村に駆け寄る。
蜘蛛の正面に回り込むと、その上顎に挟まれた大村の姿があった。
「おい、大村! 大丈夫か!?」
大村は意識を失っているようだが、傷は見当たらない。
恐怖で気を失っているのだろう。
安藤は安堵した。
何とか間に合ったようだ。
「待ってろよ。すぐに安全なところに連れて行ってやるからな」
気を失った大村を肩に抱き、蜘蛛から引き離す。
蜘蛛は死んではいるはずだが、大村をそのままにしておく気にはならなかった。
「そうだ! 新藤のやつは……!」
大村の無事を確認し、安藤はヒイロが居るハズの場所を振り返ろうとした。
その時、安藤は背中に小さな衝撃を感じた。
「あ?」
首を背中に向けると、真っ白な糸が見えた。
糸の先を辿ると、そこには小さな蜘蛛の姿があった。
小さいとは、目の前の巨大な蜘蛛に比べたらの話だ。
膝ほどの背丈を持つ、通常の蜘蛛に比べれば化け物じみた大きさの蜘蛛だった。
「まさか……!」
この巨大な蜘蛛の子蜘蛛だ。
そう直感するよりも早く、何匹もの子蜘蛛が並木の影から降りて来た。
「チクショウ! 隠れていやがったのか!」
安藤は慌てて剣を振るった。
強い粘性を持つ糸もメオンの剣の前では毛糸よりも柔らかい。
だが、次から次へと糸が飛び、安藤の体に付着する。
とても対処しきれる数ではなかった。
「うおっ!?」
安藤の足に付着した一本の糸がグイと引っ張られた。
受け身を取ろうとする腕にも糸が付着する。
体勢を崩し地面に倒れ込んだ。
「こうやって俺を弱らせるつもりかよ? 上等だ……!」
子蜘蛛が跳躍し、全身を使って糸を引っ張ってくる。
生身の人間の力で抗える力ではなく、安藤は為すすべなく地面を引きずられた。
そして気を失ったままの大村にも糸が飛ぶ。
「しまった! 大村ぁ!」
強烈な力で引っ張られ、大村の体が安藤から引きはがされた。
「っうぐ……!」
倒れた衝撃で大村が目を覚ます。
「あれ……? オレ、何やって……」
「大村にげろ!!」
「あ、安藤さん……?」
目覚めたばかりで状況が把握できていないらしい大村が、ゆっくりと地面から起き上がろうとして、その体に付着した糸に気が付いた。
視線が糸を辿り、その先の子蜘蛛に辿りつく。
子蜘蛛はもう大村の目の前だった。
鋏の様な顎が、正確に大村の首を狙って開かれる。
「あ……」
大村には、状況を理解する暇すら与えられなかった。




