02:巨大芋虫、あらわる
ヒイロの眠りを妨げたのは、巨大な地震だった。
ズンと突き上げるような揺れが、ヒイロの簡易ベッドをバラバラにし、ヒイロは地面に落ちて背中を打った。
「いってー……なんだよ、いったい」
揺れはすぐに収まった。大きな揺れが一瞬あっただけだ。
揺れの余韻で校舎がギシギシと音を立てている。
「……寝てたのか、俺」
倒れた机の山から起き上がり、ケータイを確認するが、電源が入らない。
ディスプレイなどは割れていないが、ボタンを押してもうんともすんとも反応がなかった。
「げっ、マジすか」
床に倒れた衝撃で壊れたのかもしれない。寝起きからテンションが下がる。
教室には昔ながらのアナログ時計が設置されているが、動いてはいないようだった。
「ここにいても仕方ないな……。とりあえず教室に戻るか」
歩き出そうとした時、ボトン、と入口の前に何かが落ちた。
うぞうぞと教室に這いよって来たのは、巨大な芋虫だ。
「…………いや、さすがにこれはないわー」
突如として現れた非現実的な存在を目の前に、出てきたのはそんな言葉だった。
子供のころから世界各国を渡り歩いてきたヒイロである。
海外では信じられないくらいにバカでかい虫も見たことがある。が、これはない。
世界最大といっても手のひらくらいが昆虫界の常識だろう。
目の前の芋虫はそんなレベルではない。異常といえる大きさだろう。
もうデカいとかデカくないのレベルではなく、はなから別の種族か何かにしか思えない。
その芋虫は膝の高さくらいの大きさがあった。五十センチくらいだろうか。
比例するように長く伸びた体をうねらせながら進んでいる。
やけに鮮やかな緑色の体に、黒い斑点が浮かんでいる。
その巨体を十分の一以下にまで小さくすれば、ごく普通の芋虫に見える、かもしれない。
「いやいやいやムリムリムリ。こっちくんなって!」
虫を相手に言葉が通じるわけもないのだが、言わずにはいられなかった。
なぜか自分の方へと近づいてくる巨大芋虫に、ヒイロはとっさに近くの机を重ねるとその上に飛び乗って避難する。
巨大になった昆虫のその姿はまさにグロテスクの一言だった。子供の頃は平気だったものの、歳を重ねるごとに苦手になってきたヒイロである。
この大きさだともう直視できないレベルだった。
ガン、とヒイロのいる机に体当たりしてくる芋虫。
「うお、ちょ、ちょ待てよっ!」
急にイケメン風になりながら落ちなように机に捕まる。
このまま通り過ぎてくれないかと願ってみたが、ガン、ガンと体当たりをやめてくれない。
だんだんと机が窓際に押されていく。
嫌な予感を感じ、ヒイロは別の机に飛び移った。
(狙ってるのは俺じゃない、きっとあの机が気に入ったんだろう。なんかいい匂いするよなあの机。うん、きっとそうだよな)
現実逃避全開の思考で振り返ると、やっぱり芋虫がヒイロを目がけてうぞうぞしていた。
「ですよねー」
机から飛び降り、すぐさまダッシュする。
あんな化け物、相手してられない。逃げるが勝ちだ。
「っと、マジすかー……」
入口には、もう一匹の芋虫がいた。やはり、バカみたいにデカい。
その芋虫もヒイロの方へと向かっていて、ちょうど入口を塞がれて挟み込まれた格好になる。
芋虫の動きはゆっくりとしていて、逃げるには問題ないと思っていたその時、急激に、一匹の動きが加速した。
突然の出来事に「んな!?」と変な声が出たものの、ヒイロはとっさに体を躱す。
ヒイロの体には触れることなく、芋虫が教室の壁にめり込んだ。
「ちょ、ちょっとタンマ! それタンマ!」
突進。その言葉がぴったりの動きだった。
グっと体が一瞬縮んだかと思うと、弾けるように突っ込んできたのだ。
これを二体でやられるとちょっと怖い。いやめちゃくちゃ怖い。
もちろん話が通じるわけもなく、巨大な芋虫二匹がヒイロに向かってくる。
「……ったく、正当防衛だからな、これ!」
ヒイロは小さく舌打ちして、机を持ち上げた。
一匹が突進の動作に入ったのを確認し、机の足を持って盾のように構える。
突進が来る。瞬間、ヒイロはしゃがみこみ、足元からすくいあげる様に机の盾を斜めにずらして突進の衝撃を受け流した。
自身の突進の勢いそのままに巨大な芋虫の体が浮く。
背後には窓。その木の枠を粉砕しながら、芋虫は窓の外へと落ちて行った。
「まずは一匹!」
教室は二階だ。
あの巨大芋虫がヒイロを狙っていたとしても、すぐには戻ってこられないだろう。
数を減らしても油断なく、すぐにもう一匹に視線を戻す。
もう一匹も突進してこようというタイミングだった。
ヒイロは持っていた机をひっくり返し、今度は足を芋虫側に向ける。
一つ覚えに芋虫が突進してくる。その威力を、今度は真正面から受け止めた。
腰を落とし、重心を前傾に構える。
ガツンと襲った衝撃に吹き飛ばされないように足に力を込めた。学校指定の白いスニーカーがギュっと音を鳴らした。
机を押してくる力が弱くなり、顔を上げると、自らの突進の力で机の足を体に食い込ませ、青い体液をまき散らして動かなくなった芋虫がいた。
机越しに数回蹴ってみて反応がないのを確認すると、窓から下を見下ろす。
外に落ちた芋虫が校舎の壁を這って登ろうとしているところだった。
二階程度の高さから落ちたくらいじゃ死なないらしい。
「コイツも思ったよりしつこいな……」
どこぞの不良三人組を思い出しながら、今度は椅子を手に取り、躊躇なく窓から飛び出した。
落下の途中に椅子の足で芋虫の体を捉えながら、そのまま地面に叩き潰した。
ブヨブヨとした何かを突き抜ける感覚が椅子越しに体を伝う。青い体液が地面に飛びちった。
「だから嫌いなんだよ、虫は」
見ていて気持ちの良い物ではない。視線を外すように空を見上げる。
ヒイロはポカンを口を開けたまま固まった。
「…………は?」
そこには巨大なヒビが広がっていた。
「なんだ、これ……?」
それは異様な光景だった。
ついさっきまで晴れていたハズの青空には鉛色の雲がかかっている。
空は朝焼けとも夕焼けとも違う不気味な紅色をしていた。
何より異様なのは、そこに縦横無尽に走った黒い線だ。
空が、割れている。




