27:並木の下で
「アンタだけでも先に行きなさい……!」
悲鳴の主を探して、ヒイロとメオンは旧校舎へと続く並木に入り込んだ。
日々トレーニングに励むアスリートも顔負けの運動神経を誇るヒイロに比べ、運動は出来るほうとは言え女子であるメオン、それも腰を抜かしたばかりの状態では当然ながら差がついてしまう。
ヒイロはメオンに速度を合わせ、その代わりに周囲への警戒に意識を割いていたが、メオンはそれを良しとしなかった。
「アンタだけなら間に合うかもしれないでしょ!?」
そうしたいのはヒイロとてそうだ。
だが、そうも言えない。
「バカか。お前を一人で置いて行けるワケないだろ」
「……へぁ!?」
時と場所が違えば、言っている本人ですらまさに赤面ものの台詞である。
メオンも一瞬、勘違いして赤面するところだったが、当のヒイロの視線の先を見れば、その真意はすぐに汲み取れた。
旧校舎付近の木の陰から、既に見慣れてしまった芋虫の姿が現れていた。
「コイツら、こんなところにも……!」
「どうやら日陰か、それか隠れられる場所が好きらしいな」
やはり外には居ないから安心、などという簡単な話ではないようだ。
もしそうならば、そもそも悲鳴すら聞くこと必要は無かっただろう。
この並木道にも芋虫の群れが潜んでいる。
「時間が惜しい。まっすぐに突破するぞ!」
「わかってる……!」
「お前はまっすぐ走れ! 道は開く!」
「う、うん!」
メオンはヒイロを信じて前だけを見た。
前方に飛び出してきた個体をヒイロの振るう純白の剣閃が薙ぎ払う。
飛び散った体液が地面を青く染めた。
ヒイロはそのまま足を止めることなく左右へ、背後へと動き回り、圧倒的な戦力を発揮して迎撃するが、数は減るどころか増えて行く。
「間違いないな……」
ヒイロは一つ、確信に近い物を感じていた。
芋虫達の反応が早い。
一番初めにこの芋虫と遭遇したのは旧校舎だった。
その時は教室内で接近されるまで、攻撃態勢を見せていなかった。
だが今は明らかに教室の一部屋などよりも広い範囲からワラワラと集合してきている。
その中心はヒイロとメオンだ。
間違いなく、そして正確に狙われている。
「やっぱり匂いか……?」
確かめている暇はないが、恐らくはそうだろう。
一度ついたフェロモンは水を浴びる程度では消えない。
現状、二人はフェロモンの有効範囲に入ってしまえば隠れることは出来ないことになる。
「だったら……!」
ヒイロは駆けまわる動作をそのままに、芋虫の群れごと周囲の並木の幹までまとめて切り裂いた。
「こっちだ!」
「ひゃあ!?」
唐突にグイと腕を引かれ、メオンの体がヒイロに飛び込むようにつんのめった。
そのすぐ後ろに、切られた木の幹が倒れ込んできた。
倒れた幹で背後の道を封じるように、足止めの代わりにして先へ進む。
これで少しは時間が稼げるだろう。
芋虫たちの動きは直線的で頭は悪い。
「大丈夫か?」
「う、うん……」
抱きしめられるような形になり、メオンは不覚にもドキリとしてしまった。
「どうした? どこか打ったか?」
「な、なんでもないわよっ! 変態!」
一瞬思考が停止しかけたメオンの表情を覗き込むように、ヒイロが顔を寄せてくる。
メオンは慌ててそれを払いのけた。
「なんでそうなる!? って言ってる場合じゃねぇな! 行くぞ!」
ヒイロに背中を押され、メオンも再び走り出した。
なんでこんなに意識しなければならないのか。
自分でもわからないままに、しかしヒイロの何も気にしていない素振りに妙に腹が立つ。
なんだか釈然としないが、今はそれどころではない。
足を緩めないよう、全力でヒイロの背中を追った。
「大村あああああああ!!」
再び声が聞こえた。
それはこの世の終わりを嘆くような絶望的な響きだった。
「見えた!」
並木の終わりがすぐそこに来ていた。
旧校舎の側に、倒れ込んでいる男が居た。
ヒイロが見慣れた金髪頭の男が、許しを請うように天を仰ぐ姿が見えた。
並木が開き、ヒイロとメオンもその視線の先の光景を捕らえた。
天空に居を構えるが如き巨大な蜘蛛の姿と、それに引き寄せられる男子生徒の姿だ。
「間に合え……!」
ヒイロは槍投げの要領で剣を構えた。
メオンの作り出した長剣であれば、当りさえすれば一撃で仕留める自信があった。
相手は巣の上で今まさに捕食にかかろうという隙だらけの状態だ。
トンボ野郎とは違う。
絶対に外す気はなかった。
「きゃあ!?」
事実、外すことなどなかっただろう。
その背後から、メオンの悲鳴が聞こえなければ。
その瞬間、ヒイロの判断が遅れた。
背後を振り向く事もなく危機を察知し、それ故に手にした武器を捨てることを躊躇してしまった。
「クソっ!」
一瞬の間、それを消し去るようにヒイロは全力で剣を放った。
風を斬る切先が巨大な巣を切り裂いて、旧校舎の壁に突き立った。
一瞬の差だった。
巨大な蜘蛛は糸で引き付けた男の体を器用に前足で掴み、咄嗟に巣の上を移動した。
巣が壊れ、蜘蛛がバランスを崩す。
蜘蛛が巣を離れて陸上に降り立つが、それでも捉えた男子生徒の体は離さない。
焦りが投擲の軌道を乱してしまった。
振り返れば、メオンが膝をついて座り込んでいた。
その横には切り裂かれた芋虫の死体が体液をぶちまけている。
すぐに群れが押し寄せてくるだろう。
このままメオンを放っては行けない。
だからといってあの蜘蛛を放ってもおけない。
捕まった男子生徒が捕食されるのを見過ごせない。
どちらも救うには、もう間に合わない。
ヒイロは選ぶしかなかった。




