25:安藤さん目覚める
「うぅ……」
安藤は旧校舎の廊下で目を覚ました。
「……ハッ! 新藤テメェこら!」
威勢よく起き上がり、目の前にいるハズの生徒の名前を叫ぶが、その名前の主はすでにその場所にはいなかった。
「チッ、逃げられたか……」
安藤の側には取り巻きの二人も一緒に仲良く廊下でノびていた。
「大村、藤田! おい、起きろ!」
ペチペチと二人を叩き起こす。
「う……安藤さん? ハッ、新藤は!?」
「ん……安藤さん? あっ、新藤は!?」
二人そろって似たようなリアクションをする。
こいつらは双子か何かなのだろうか。
「逃げられた。ったく、逃げ足だけは速い奴だぜ」
苦虫を嚙みつぶしたような顔で吐き捨てながら、安藤は落ちていた木刀を拾い直した。
「くそ……新藤め! 安藤さんから逃げ切るとはやりますね!」
「安藤さん、次はボコボコにしてやりましょう!」
三人そろって喧嘩に負けた、という自覚は全く無いらしい。
ヒイロが逃げた、という認識である。
「次こそシメてやるからな、新藤め」
安藤は次の機会に向けて既に闘志を再燃させる。
「あ、シメると言えば、俺ら、メシまだでしたね」
大村がそれっぽく言うが、全然関係ない話題だった。
どれだけ気を失っていたのだろうか、たしかに安藤も腹は空いていた。
昼休みの始まりを告げる鐘と同時にヒイロを襲撃に向かい、そのままここでノびていたのだ。
昼食を食べる暇などなかった。
「おう、確かにな! 学食でも行くか。つーかよ、今、何時だ?」
安藤の問いかけに大村と藤田が同時に携帯を開いた。
そして同じ言葉を口にした。
「あれ、携帯おかしいな」
二人で顔を見合わせる。
「お前もか? 電源がつかねぇぞ」
「俺もだ。うんともすんとも言わねぇ」
「何やってんだお前ら」
二人のやり取りを見て、呆れ顔で安藤も自分の携帯を開いた。
「あ? 何だぁ?」
安藤の携帯も壊れていた。
電源が入らない。
「う、ウソだろ……?」
しばらく三人で色々と操作してみるが、携帯には全く反応がなかった。
こんな偶然あるだろうか。
いや、無い。
「これは……間違いない」
安藤が導き出したのはたった一つのシンプルな答え。
「新藤の野郎だ! あの野郎の仕業に決まってるぜぇ!」
「まじすか!? 新藤の野郎、何てことを! 安藤さんは携帯、変えたばっかりだってのに!」
「なんて野郎だ! 鬼だぜ! 安藤さんは画面の保護シートすらまだ付けたままだってのによぉ!」
機種変更したばかりの最新機種だ。
壊れるハズがない。
「新藤の野郎! 絶対に許さねぇ!」
安藤が怒りに任せて木刀を振り回す。
が、別に窓ガラスを割ったりと物に当たることはない。
幼いころを家庭の事情により貧乏な家庭に育った安藤は物を大事にするタイプなのである。
善良な不良であった。
「あ、安藤さん! 落ち着いてくださいよぉ!」
「め、飯いきましょう! 腹が減っては戦は出来ぬですよぉ!」
とはいえ側にいる二人にとっては危ないったらない。
なんとか宥めようと声をかけた。
「あぁん!?」
ギロリと、鈍く光るナイフのような安藤の視線が二人を睨みつけた。
「ひぃ!」
「ひぇ!」
思わず二人の体が縮こまる。
こう見えて、新藤ヒイロが転校してくる前までは、この学校ではそれなりに恐れられていた真宵ヶ丘一の不良である。
それなりの威圧感は備えていた。
「よし、とりあえず飯いくぞ! 明日の作戦会議だ!」
が、基本的には単純な性格であった。
二人がほっと胸を撫でおろす。
怒らせると怖いが、悪い人ではない。
二人が安藤に着いて回るのも、ただ悪ぶっていたいわけではなく、純粋に安藤という人間が好きだからだ。
安藤と過ごす二人の学園生活は楽しいものだった。
真宵ヶ丘は進学校だ。
自らの意思で学びに来る生徒もいれば、親や周囲の大人が敷いたレールに乗るだけの生徒もいる。
大村と藤田はまさにレールの上に居た。
漠然としていて朧げな将来のために勉強をする。
中学校時代から続く、わけもなく暴れ出したくなるようなつまらない学校生活が、この高校でも続くかと思っていた。
それが変わった。
周囲に反発する事が正しい事ではない事くらいわかっている。
それでも楽しくなった。
それは新藤が転校してきてもそれは変わらない。
特に意味もなく追いかけまわし、逃げられ、学食で反省会をする。
安藤は絶対にめげない人だった。
「しかし新藤のヤツ、度胸あるよな。全然ビビらねぇ。せっかく木刀まで持ってきたのによう」
「確かに、何なんすかね。アイツ、喧嘩の強さとかちょっと人間離れしてる感じありますよね」
「まぁ負けねぇけどな!」
「というか安藤さん、良く木刀なんて持ってましたね。しかも三本も」
「あ? お前ら修学旅行で買わなかったのかよ」
「俺ら沖縄だったんで。というか、いや、普通一本しか……」
「いやいや、流行ってただろ、三刀流。男なら三刀流だろ、やっぱよぉ」
「えぇ……」
だからって普通は三本も買わない。
二人に比べると安藤はバカだ。
なんでこの学校に入学できたのか不思議に思う時もある。
けれど、そんな事は関係ないと知る。
授業の成績だけが人間の価値ではないと安藤が教えてくれた。
二人は勝手にそう思っている。
だからこそ、全力で安藤との時間を楽しんでいた。
出会ってまだ数カ月だ。
これから夏休みに入り、もっと楽しくなる。
そんな予感を胸に抱きながら、自分たちの置かれている状況など、知らずに居た。
最初にソレに気が付いたのは大村だった。
もともと気配りが出来るタイプで、周囲に良く目が届く男だった。
「……あれ? 今、外になんかいませんでした?」
「あ? どこだ?」
旧校舎の窓の外を、何か影が横切った気がした。
人間の子供くらいの大きさだろうか。
背は低めだが、小動物のような小ささではなかった気がした。
「なにもいないぞ」
藤田が窓を開けて外に身を乗り出すが、何も居ない。
「おいおい、からかってんのかぁ~?」
笑いながら振り返った藤田の体が、突如としてグイと外に引き込まれた。
「うわああああああああ!!」
「藤田ぁ!!」
安藤が叫び、咄嗟に手を伸ばす。
足を掴み、止めようとするが、止まらない。
安藤の体ごと、藤田の体は窓の外へを引っ張られていく。
「た、助けっ……!」
「しっかりしろ、今助けて……うがっ!」
窓の枠に思いっきり体をぶつけ、そのまま窓の外に放り出されるようにして転がった。
「安藤さんっ!」
藤田を掴む手は放れてしまった。
「な、なんだ……これ……」
空に浮くように上へと昇る藤田の体を見上げて、安藤は絶句する他になかった。
その遥か上空には見たこともないようなヒビ割れた空が広がっている。
そのヒビ割れを模倣するかのように、旧校舎の周囲に白い線が走っていた。
張り巡らされた己の巣に座すは、その主。
それは巨大な蜘蛛の姿だった。




