前編
さんさんと降り注ぐ太陽の光が眩しくて、少し目を細める。何処からともなく聞こえてくる蝉の鳴き声が耳に響く。こめかみから顎へと汗が流れそうになり、私は上着のポケットから白いハンカチを取り出して顔を拭った。黒いスーツは熱を吸収しつつげ、しばらく、この熱地獄からは解放されそうにない。
夏だ。雲ひとつない青空が、より一層、騒がしい季節を盛りたてている。
父さんも最後くらい、静かな季節で眠りにつけばよかったのに。
最後の最後まで、父は父らしかった。父と真夏の季節は、何をするにも派手で騒わがしい所がそっくりだ。
真っ青な空へと一筋の黒煙が昇っていく。
火葬場の空気はどこか乾いているように思えた。喉の奥がカラカラと乾いて痛い。思わず眉をひそめてしまった。今のコンディションはこの上なく最悪だ。体の水分は汗として流れ出ていて、目頭まで運ぶ余裕はない。
そんな私の姿を、遠縁の女性たちが「可愛げのない娘だ」と評しているのが、蝉の声に紛れて聞こえてきた。
「葬式」という非日常に、昼ドラのような展開でも求めているのだろうか。残念ですね、おばさま方。ご期待に添えそうにありません。
彼女たちの昼ドラの名脇役になれなかった私は、主役にされているだろう母へと視線を向けた。
「母さん」
「……今日子、お父さんね、もうあんなに遠くまで行っちゃたの」
火葬場の細い煙突からのびている黒煙を、そのか細い指でさしていた。小さい頃は何よりも頼もしく思えた母の手も、気がつけばヨレヨレなおばあちゃんの手になっている。
私が大人になったと同時に、母もまた老けた。
「そうだね」
私はどう返していいのか困り、無難に答えた。
ベンチに腰かけている母の隣に座り、横目で母の顔を見た。母は瞬きさえも忘れて、じっと空に昇っていく黒煙を、父の姿を見つめている。
その瞳に、涙の影は見当たらない。ただ、じっと、黒煙の行方を見守っている。
「母さん、父さんと結婚して幸せだった?」
ふいに、そんなことを聞きそうになってしまった。言葉は喉元まで出かかっていたが、心の奥底へと押しやる。その問いをして、母から返ってくるだろう言葉は、きっと否定の言葉だ。
私がみてきた限りで、母が父と一緒になって幸せだったとは思えないからだ。
「……ねぇ、今日子」
「何、母さん」
「お父さんの子どもで幸せだった?」
「え?」
「今日子は、お父さんの子どもで、幸せだった?」
何を聞かれているのかよくわからず聞き返すと、母はハッキリとした声で同じ問いを繰り返した。
上半身ごとこちらに向き直り、瞳の中には黒煙ではなく私の姿が映し出されている。さっきまでの呆けたような顔とも、普段の穏やかな顔とも似つかない顔をしていた。
眉は今にでも下がりそうだし、まっすぐ私を見つめる視線もどこか揺らいでいる。母は私の上着の裾を握って、「どうなの?」と続けた。
母さん、どうしてそんなに不安そうな目で私を見るの。
父の子どもで幸せだったのか。私の答えは「イエス」でもあるし、「ノー」でもある。きっと幸せだったし、たぶん不幸だった。
父と母の馴れ初めは、私にはわからない。10代で祖母の家を飛び出した父が、10年ぶり里帰りした時には、父の傍らには母がいたそうだ。
「ミヨさんは、シゲにはもったいないお嬢さんだぁ」
私は小さい頃、祖母の家に預けられることがしばしばあった。そのたびに祖母は私を膝の上にのせて、そう言っていた。
「ねぇ、ママとパパはぁーっ?」
「大丈夫、大丈夫。今日子ちゃん、大丈夫よ」
父にも母にも会えないさみしさから、私はよく愚図って祖母を困らせたものだ。祖母は大丈夫と繰り返しながら、弱々しい腕で込められるだけの力で私を抱きしめてくれた。祖母の声はいつも震えていて、自分自身にも言い聞かせていたのかもしれない。
「またお天道様が昇ったら、ミヨさんもシゲもニッコリ笑って、今日子ちゃんを迎えにくるよ」
「ほんとー?」
「おばあちゃん、嘘ついたことないだろう?」
「うん、ないっ!」
祖母は私に嘘をついたことは1度としてなかった。
「今日子ーっ!迎えにきたぞーっ!」
「お義母さん、この度もご迷惑おかけしました」
祖母の言う通り、何日かすれば必ず父と母がニッコリと笑いながら私を迎えに来る。
そういうことが小学校卒業まで、おばあちゃんが亡くなるまで続いた私の日常だった。
父は普段、残業だ出張だと忙しくしていた。けれど、日曜日だけは必ず家にいた。その日の母はいつも以上にご機嫌で、私の大好物を作ってくれたり、時間制限されていたゲームを何時間しても怒らなかった。
「今日子、何して遊ぼうか」
「あのね、あのね、スーパーファミコン」
「ゲームもいいが、こんな天気のいい夏の日はさ、外でパーッと遊ぼうぜ!」
「じゃぁ、ラジコン走らせるーっ!」
「おっし、持ってこい!」
「はーい」
日曜日だけは、父を1人占めできる魔法の日だった。木登りだって、キャッチボールだって近所の男の子に負けないほど上手かった。人形遊びやお絵かきといった女の子らしい遊びを好まなかったのは、父の影響が大きいと思う。今の趣味も、プラモ作りと男っぽい。
「今日子ちゃん、あなた、怪我しないようにね」
母はベランダから父と私に声をかけて手を振っていた。全力で遊んだあとの夕飯が生きてる間で1番幸せだと、私は大袈裟ながらそう信じていた。
私は父も母も大好きだった。
全力で私と遊んでくる父も、おいしいご飯を作って待っててくれる母も、私は大好きで仕方なかった。
3話ほどで終わる予定です。
短編にするつもりが長々と…。お話を短くできるようになりたいです……。
ここまで読んでくださってありがとうございます。