魔族と拳
ライナの一日は太陽が上ったら始まる。テントに差し込んだ太陽の光に、瞼がピクリと動いた。
「んうぅぅぅ...。」
目を開けようとしても、目がしょぼしょぼして嫌気がさす。体も重いし、なんとも言えない気だるさがある。おそらく昨夜の結界で飛び起きたせいだろう。
その後も寝袋の中でウダウダしていて、ようやく起き上がった。
「うっ、はあ〜〜。」
ボサボサの金髪を軽くまとめ、少しの間ぼーっとした後、ゆっくりとテントから這い出した。
テントの外は少し肌寒い。上着を羽織って、ノロノロと火を起こした。
「ふわあぁぁぁ」
大きく伸びをして、昨日のうちに濾過しておいた水で顔を洗った。冷たい水で、多少は頭もスッキリ。ライナは昨夜のスープを温め直した。
スープにパンをつけながら食べ、また少しぼーっとしてから、片付けを始めた。
透過防止のテントの中で下着だけ着替えたら、片付けて旅の続きだ。テントをしまって、剣を腰に下げたら結界の魔術具を解除する。手に平に収まる大きさの結界の魔術具を転がして、リュックの中に放り込んだ。
「うーん、修理に出してみようかな。...新しく買ったほうが安い?わかんないなあ。」
魔術のことはさっぱりだ。ライナは剣の柄をなぞって、再び王都への道を歩き始めた。
「ふんふ〜ん、ふふ〜」
鼻歌まじりでヴィルムラックに沿って歩く。流石に王都に近いだけあって、旅商人やたまに冒険者とすれ違う。逆に、魔物や魔獣は少ない。定期的に討伐でもされているのだろうか?
「だったら、昨日のはなんだったんだろう?魔獣、あんまりいないしなあ。やっぱり魔術具の故障かな。」
今日の夜は何を食べようかな、また魚かな、なんて考えながら歩いていると、不意に道の反対から歩いてくる人が目に入った。いや、立っているのか。こちらが近づいてるだけで。緑と青しかない湖の辺の中で、黒いローブを着て、フードも被った長身なので非常に目立つ。全然気付かなかったが。
...ん?あんなに目立つのに、気付かなかった?私が?
色んな物が新鮮で、辺りをキョロキョロ見ながら旅しているライナは、周囲の細かいところまで見ている自信がある。あんなに目立つ存在を、自分が認識できていなかったことに驚いた。
...いや、そもそもいなかったんじゃない?
そもそも、ライナが見た時にいなかったと思うほうが自然だ。しかし、この状況でライナが気付かないうちに現れるということは、瞬きのうちに移動したと言うことだ。
そのことに気付いた時には遅かった。
目の前が暗くなる。息が止まった。黒い影が、視界を覆い尽くす。
「っ!!」
地面を蹴った瞬間、靴底が砂を巻き上げる。刃を抜きながら後退するが、距離が詰まりすぎている。
近い。近すぎる。
...なにこいつ。一瞬で距離を詰められた。動く気配も感じなかったし。
一瞬見えたフードの中は真っ黒で、顔があるはずのところに顔がなかった。先程までと違い、警戒している今、よりはっきりとその人の異様さがみえる。まず大きい。ライナは女性にしては大きいのにその2倍はありそうな巨躯。真っ黒なローブには、よく見ると何やら幾何学模様が刻まれていて、不気味な雰囲気がする。
「魔物...?」
魔物とは、魔力が濃い場所や死体、負の感情から生まれる。故に肉体がなく、ライナのような剣士とは相性が悪い。要は物理攻撃が効きにくいのだ。ならどうするのか。普通は攻撃魔術が付与された魔術具を使う。けれどそれらは高価でライナはまだ持っていない。弱い魔物なら魔力の塊なので剣で霧散させてしまえばいいがここまで大きいと難しい。
切っ先を相手に向けたまま、様子を伺っても相手に全く隙がない。これでは逃げることもできない。
...どうする?相手は格上。むやみに切りかかったら死ぬ。
妙な威圧感で、嫌な汗が背中を流れる。柄を握る手が震えた。気を抜けば、座り込んでしまいそうだ。
...怖い。怖い。不気味すぎ!絶対に勝てない!だったら、
睨み合いでは拉致があかない。このままでは逃げることもできないのだ。腹をくくって柄を握る手に力を込めた。
...隙を作って、逃げるっ!
勢いよく走り出し、姿勢を低くして下から剣を振り上げた。間違いなく、剣はローブに届いたはずだった。なのに、布を裂いた感触も、肉を断つ重みもない。空を斬った音だけが、耳に残る。軽い剣を振り抜き、その違和感に驚いて切っ先へ視線を動かした。
「なっ?!」
しかし、視線を向けた先に、黒い影はいなかった。代わりに、首筋に、冷たい風が走った。無意識に姿勢を低くし、それを避ける。頭上を何かが切り裂いた。遅れて、音が来る。
ビュン――ッ!
地面が裂け、土が跳ね上がる。一瞬でも反応が遅れていれば、今ごろ自分の首が転がっていた。その事実に、心臓がバクバク音を立てる。振り向くと、どこからか現れた真っ黒で大きな鎌。自分と同じように空を切ったのに、音の重さが違う。柄を握る手が震える。
...速い。無理!無理!!
圧倒的な力の差を前に、ライナは死を覚悟した。
その時
「はっ!!」
衝撃。空気が唸る。太い声とともに、黒い影が胴が歪む。次の瞬間、黒い影は跡形もなく消えていた。姿が霞むほどの速度でふるわれた拳は、真っ赤な流れ星のようだった。
「え......。」
そして黒い影の代わりにそこに立っているのは、自分より大きい、いい身体つきをした男だった。ピッタリとした服のしたの筋肉が美しい。男は黒い影が消えた方を一瞥して、ライナの方を見た。
...魔物を殴った?!え?あの大きさ殴れるの?!
「無事か?」
落ち着いた、静かな声。全く息も上がっていない。琥珀色の瞳でこちらを見た20代後半くらいの男の手には、真っ赤なガントレットが装備されていて、尖った耳には銀の耳飾りが揺れている。短い銀髪で褐色肌の軽装備な男は荷物すら持っていない。一体何者なのだろうか?
「は、はい!助けていただいて、ありがとうございました!」
なにはともあれお礼だ。元気よくそう言うと、男は相好を崩した。
「俺は武闘家のエルディオン。ディオンでいい。君は?」
「剣士のライナ。...はあ〜、死ぬかと思った〜。」
ディオンの緩んだ顔を見て、危機が去った事を悟った。と、同時に足の力が抜ける。ぺたんとその場に座り込んだ。剣を地面に置いて、ほっと一息つく。
それを見たディオンが心配そうな目でライナを見た。
「大丈夫か?」
「ああ、うん。ちょっと力が抜けただけ。...さっきのはなんだったの?」
赤いガントレットを外しながら、ディオンは言う。
「ライナは、何だと考えた?」
質問に質問で返された。なんかめんどくさそうな人だなと思いながら答える。
「魔物だと思った...。見た目からして魔獣じゃないし。人間にしては大きいなと...。」
ガントレットを腰に下げたディオンはふっと笑ってこちらをみた。
「違うな。あれは魔族だ。」
「魔族?」
魔族と言う存在は知っていたが、見たことがなかった。あれが魔族なんだと言われても、首をかしげることしかできない。すると、ディオンが教えてくれた。
「魔族とは、人類と同等の知能を持ち、言葉を話すものだ。長命種が多く、その起源は不明だが、人類が魔法技術を身につける以前より存在し、より高度な魔法を使う。覚えておけ。」
「じゃあ、さっき私の剣が空を切ったのは、あいつの魔法ってこと?」
「そうだ。まあ、結局逃げられてしまったけどな。」
ディオンは湖の向こう、魔族が消えた方向を見ていた。
「ええ?!でも消えたじゃん!倒したんじゃないの?」
「瞬間移動とかその類だな。魔族は死ぬと、灰のように魔力の粒子になるんだ。さっきのは違う。」
世の中知らないことだらけだな、と改めて思った。それにしてもディオンは不思議な感じがする。武闘家って言ってたけど、なんか違う感じ。すっごくいい体をしているから強いんだろうけど、それだけじゃないと思う。
「ディオンはここで何してるの?私はこれから王都に行くの。」
「王都?...ああ、今はそうなっているのか。じゃあ、俺も行こうかな。」
ちょっと考えたところを見るに、ディオンは外国の人なのだろうか。確かにこの辺じゃ褐色肌は珍しいけど。
「一緒に行こう?」
「ああ。」
「やったあ!誰かと一緒に旅するの久しぶりだなあ。」
根拠もなく、なんだか楽しくなりそうな予感がした。
ライナの身長は165cm、エルディオンは185cm。




