白の魔女と黒の魔女 上
どれほど昔のことだろうか。ある誰も近づかない森の奥深くに、白の魔女と黒の魔女が暮らしていた。二人は同じ小さな木造の家に住み、別のベットで眠っていた。しかし白の魔女はいつも怖くなってしまうので、結局黒の魔女のベットに潜り込む。黒の魔女は夏だろうが何だろうが引っ付いてくる白を蹴っ飛ばすことも時々あったが、たいていは、白の魔女のことを優しく受け止めてくれるのだった。二人は特にこれといった喧嘩もせずに、幸福も不幸もなしに、平和に生活していた。
二人は魔女と言ってもまだまだ未熟者。朝起きて、ご飯を口に詰めるとすぐに師匠の下に向かう。師匠とは二人の魔法の先生だ。巷で有名な、あの大魔法使いである。今日も師匠は、熱心に弟子たちに魔法を教えていた。
「ちがう、そうじゃなくてもっと魔法は繊細に扱いなさい...あれ?あの二人...ちょっと君たち
、こっちに来なさい」
師匠は手招きして白の魔女と黒の魔女を呼んだ。
白の魔女が訊いた。
「なんですか、師匠」
「お前たち、また遅刻しただろう」
師匠はやれやれと首を振って言った。二人は遅刻常習犯なのである。
「でも師匠、私たちは寝坊もしてないし、なんなら早起きして皆より早く家を出て20分遅れですよ。ちょっと厳しすぎやしませんかね」
こう答えたのも、白の魔女である。黒の魔女の方は自分は関係ないと言わんばかりにそっぽを向いて眠そうにしている。師匠はちょっと諦めたように溜息をついた。
「まったく、なんであんな辺鄙なところに住んでいるのかねえ」
師匠の教え場であるここも、二人の住みかと同じく森の真ん中ではあるが、それにしたってもう少し街には近い。白の魔女と黒の魔女の家の周りは、本当にひっそりとしているのだ。
「それは、こちらの方に訊いていただかないと」
白の魔女と師匠が黒の魔女を覗き込むと、彼女はようやくこちらを見た。いつもの通り、なんだか不機嫌そうだ。
「...騒がしいんですよ、街に近いと」
黒の魔女は、本当に億劫そうに答えた。白の魔女は満足そうに笑って、師匠を見上げた。
「だそうです、師匠」
白の魔女は、黒の魔女が大好きだった。黒の魔女と一緒にいれば、心細いと思うことはなかった。魔法の訓練がどんなに大変でも、彼女と支え合っていればいくらでも楽しくやっていくことが出来た。実際、師匠の教えの場で最も優秀だったのは(遅刻を抜きにすれば、)白の魔女と黒の魔女だった。白の魔女はその事実に少なからず誇りを持っていたし、こんなことできて当然、と思う節すらあった。ちっとも、寂しくなかった。
そしてこの日、そんな彼女の幸せは終わったのである。
それは、師匠に魔法を教わった帰り道のことである。その日もいつものように、白の魔女は黒の魔女とともに真っ暗な森の中を歩いていた。
「もう、いつまでつまんない魔法ばかりやらせるのかな」
白の魔女は言った。
「早く火の魔法とか水の魔法とかやらせてくれないかなあ」
「そうだね」
黒の魔女と何度も肩がぶつかりっこする。冬が近づいてきた、肌寒い夜だ。黒の魔女が訊いた。
「このまま順調にいけば、私たちは数年で一人前の魔女になれる。そしたら、何したい?」
「えー、うーん」
白の魔女が将来に胸を膨らませていたその時、二人の視界に、何か異様な光が写った。その光はあまりにも微かだったので、そのまま素通りしてもおかしくないはずだった。しかし二人が思わず立ちすくんでしまったのは、自分たちの目の前に立ち塞がるそれが、恐ろしく凶暴な敵であることを直感的に察知したからである。
白の魔女持ち前の陽気さも、黒の魔女お得意の無関心も、この物理的に危険極まりない魔獣を目の前には通用しない。それどころか、今の自分の実力では対等に戦うことすら叶わないのではないか。白の魔女は、ついさっきまでの自分を恥じた。よくもまあずけずけと、あんな自分の力を過信した話ができたものだ!
白の魔女は恥ずかしさで沸騰しかけたが、こんなことしてる場合じゃないと思って邪念を追い払った。
(とにかく、ここから逃げて師匠の元へ戻るしかない)
じりじりと近づいてくる魔獣から距離を取りつつ、白の魔女は黒の魔女に目配せした。目が合った彼女の顔は、覚悟が決まっていた。それで白の魔女も勇気づけられた気がした。
白の魔女は杖を構えて呪文を唱え始めた。先程彼女らがお喋りしていた、つまらない基本的な魔法である。
そうすると二人と魔獣の間に白い光が出現し、両者の視界を隔てた。光が魔獣の視界を圧倒すると共に、魔女二人は逃げ出した。
二人は障害物と化した木と木の間を火事場の馬鹿力で飛んで行った。
一気に解放した魔力の消耗は酷く、乗ってる箒はみしみしいって限界が来そうだ。
二人が師匠の教え場を視界に収めたその時である。ああ、なんということだろう!白の魔女の箒が、壊れてしまったのだ!
白の魔女は、落っこちて地面に叩きつけられてしまった。
白の魔女は目を覚ました。ぼんやりと霞んだ視界の中で、よく見慣れた天井や壁を見た彼女は安堵した。
(よかった、まだ生きていたんだ...あの静かな家に、また戻ってこれたのね)
起き上がろうとすると、びっくりするくらい体が重く、頭はズキズキ痛い。不意に手で抑えると自分の頭に包帯が巻き付けられていることに気がついた。
「あ!起きた」
ドアを開けて黒の魔女が入ってきた。黒の魔女はとてもホッとした様子で、嬉しそうに駆け寄ってくれた。
「覚えてる?魔獣に襲われて、あなた箒から落ちちゃって...それで、頭噛まれちゃったこと」
白の魔女は目をぱちくりさせた。
(あたし、よく生きてたもんだ)
「でも、すぐに師匠が駆けつけてくれて、魔獣を追い払ってあなたの治療もしてくれた。ほんとうに、助かって良かった」
黒の魔女は白の魔女の手を握って言った。白の魔女も、あなたが無事で良かったと、黒の魔女に言おうとした。すると、口を開こうとした瞬間、何か得体の知れない気持ち悪さに襲われて、咳き込んでしまった。黒の魔女は慌てて白の魔女の背中をさすって、落ち着くと水を飲ませた。白の魔女はそれから1週間、ずっと熱にうなされるようになった。
彼女の不幸は、この高熱に留まるだけならまだ良かった。問題は1週間後からの生活にあった。というのも、突然、なんの気力も無くなったかのように、なんにもしなくなったのだ。
「おーい、今日も師匠のところ行かないのー?」
「うーん...」
「風邪治ってないの?」
「んー...」
「置いてっちゃうからねー」
「......」
バタン、と家の中で一番重いドアが閉まった音がした。白の魔女はベットから起き上がった。
朝の光を入れるためにカーテンを開けるのも面倒で、ベットで上体を起こしたまま、白の魔女はもう一度寝るかどうか考え始めた。
うなだれたまま横の鏡を見ると、大して何もしてないくせに、妙に疲れた顔の自分がいた。いつもだったら、鏡なんて見る間もないほどに朝は忙しかったのに。この鏡を壊してしまおうか、とも近頃は考えるようになった。しかし本当に壊すことはなかった。
とりあえず台所で水を飲もうと思って、瀕死のスライムみたいにベットから立ち上がり、のそのそ自室を後にした。前のように黒の魔女の部屋に眠りに行くことは、なくなっていた。
白の魔女は台所に立ったままコップの水をちびちび飲んだ。一息ついて、黒の魔女が開け放したであろうカーテンから、日光が注がれた部屋を見て考え事を始めた。
(あたしって、こんなにも体たらくだったかしら)
白の魔女は片足のつま先を支点にして、かかとを上げて左右にグリグリした。彼女の考える時の癖である。床はひんやりしていた。
(あたし、自分はもっとできる子だと思ってた。こんなちょっと、魔獣に襲われたくらいでへこたれないし、もっと頑張れば一番すごい魔女になれたし、やるべきことはちゃんとやるし、なんだってできるって...)
今度は使っていた足をやめて、もう片方の足でグリグリし始めた。
(でも確かに、体たらくの才能は昔からあったのかもしれない。おかあさんには、いつも諦めが早いって言われてたし、おとうさんには、もっとちゃんと計画を立てなさいって言われてたし、姉には、いつも長く続かないって言われたし、妹からは、「お姉ちゃん、だらしない!部屋片付けて!」)
そこで白の魔女は足の動きを止めた。いつの間にか落ちていた視線を上げて、まだなくなっていないコップをゆっくり水場に置いた。そして、悲鳴のように叫んだ。
「あたしは、なんて体たらくな魔女なの!」
どこかで、獣の鳴く声が聞こえた。
体たらくな白の魔女は、それでもやっぱりちゃんとしなければと思って、様々な努力をした。朝起きるのがしんどければ、ものすごい語彙で自分を鼓舞したし、魔法を練習したくなければ、家事や筋トレから始めたし、何もしたくなければ、絵を描いたり歌を歌ったりして、なんとかこの地獄のような現状を突破しようとした。
しかし、どれこもれもが、どうしても中途半端に終わってしまったのだ。白の魔女はもうどうすればいいのかわからなかった。
黒の魔女や師匠も心配していた。あの魔獣の呪いがまだ消えていなかったのかと検査もした。白の魔女はただただ恥ずかしかった。この病気のような自分の怠惰は、きっかけこそ魔獣であっても、本当の原因は自分のせい以外の何物でもないと自覚していたから。何せ自分は、今までもずっと、ちょっとつまずいただけで全部放り出すようなことばっかりやってきたのである。最近になって魔法が多少上手に使えたというだけで、調子に乗っていた自分はてんでお馬鹿さんなのである。
黒の魔女は無理に白の魔女を魔法の練習に連れていこうとはしなかった。無理矢理連れて行って、白の魔女がもっとこじれるのを恐れたのである。しかし白の魔女としては、身勝手とはわかっていながらも、無理矢理連れて行ってもらった方がずっと良かった気がしていた。
日々気だるげになっていく白の魔女は、次第に、毎日顔を合わせ、一人で師匠のもとへ通う黒の魔女に、引け目を感じるようになっていった。
そんなある日のことだった。朝(と言ってもほぼ昼)にグダグダ起きた白の魔女は、いつものように台所へ入ろうとした。が、入り口のところで足を止めた。とっくの前に師匠の教えばに行っているはずの、黒の魔女が、ソファに座って本を読んでいたのだ。その分厚い本は、魔導書だった。白の魔女はうつむいて台所に入った。
白の魔女は黙ってコップに水をつぎ、ちびちび飲みながら、黒の魔女を背中のソファ越しに眺めた。黒の魔女が魔導書のページをめくる音が、いちいち自分のことを責めているように聞こえてきた。白の魔女は何度も自分に、「そんなわけないわ。そんなの、ただの被害もーそーよ!」と言い聞かせるのだが、もう一人の自分は、全く耳を貸そうとしない。
(なんだか、あたしってみじめだ...)
白の魔女が、ついに泣きそうになってしまったその時、黒の魔女がこちらを振り向いた。
「...今日、師匠がお休みなんだ」
そう呟いた黒の魔女の表情や声は、努めて平静で、愛想ないものだった。
「あ、ああ...そうなんだ...」
白の魔女は顔を上げることができなかった。そして自分でもわからない衝動で、今すぐこの場から離れたいと思った。
「あ、あたし...」
「え?」
黒の魔女は、白の魔女の声がよく聞こえなかったので立ち上がって近づこうとした。
「あ、あたし、四時には帰るから」
突然そんなことを言い出したかと思うと、白の魔女はコップを乱暴に置いて部屋から飛び出て、かかとを踏んづけながら靴を履くと、何かに追われるように家から駆け出した。行くあてもなしに、ただ逃げることだけを考えながら。
一目散に走りまくった白の魔女は、己の体力が切れて脚がガクガクになった頃に、道端に転がる箒を見つけた。今度はそれに乗って、魔力の方を頼りに飛んで行った。
(...あたしは一体、どこへ行ってしまうのだろう)
既にここは、彼女の知る道ではなかった。知らない匂いの林、見たことない土の色、馴染みのない遠くからの声...白の魔女はだんだん不安になってきた。しかし、帰れるわけもない、とも思った。力が無くなるまで遠くへ行こうと思って、目の前に現れる道を進んだ。
疲れ果てて箒から転げ落ちたのは、すっかり辺りが暗くなってからだった。月明かりを頼りに当たりを見回してみたが、月は欠片のように薄く小さかったので、イマイチ分からなかった。いよいよどこも何も分からなくなって、どうしたものかとうなり始めたが、疲れ果てていた白の魔女は、いつの間にか眠ってしまった。
次に白の魔女が目覚めたのは、花畑の中だった。
(え、あたし、とうとう死んでしまったの?)
と思って白の魔女は震えたが、昨日は真っ暗で見えなかっただけで、長い旅の果て寝落ちしてしまった場所が、単にここであっただけらしい。
白の魔女は、綺麗なお花畑のど真ん中で、腕を組み足を組み考え始めた。
(ここはどこなのかな...何せ、近くには看板も家も見当たらない。でも、林の向こうから街の気配はする...)
白の魔女は、いつもみたいに考え事のときに足が動かないよう、意識しながら思案を巡らせていた。だって、立っているのならまだしも、座って貧乏ゆすりなんかしちゃうと、黒の魔女に怒られてしまうんだもの。
するとうんうん悩んでいた白の魔女のお腹から、ヘンテコな音が聞こえた。
「うう、お腹すいたあ」
ついにひとりごとを言い出した白の魔女は、誰も見てないのを良いことに、エンジンが入ったごとく急に立ち上がって大声で叫んだ。
「くよくよ悩んでても仕方がない!人のいるところに行こう!」
『人間は、命の瀬戸際になると否が応でもパワフルになるものである』
これは、白の魔女が師匠に教えてもらった偉人の言葉である。白の魔女は街に向かった。
街は賑やかだった。すがすがしい青空の下、はしゃぐ子供連れの家族や楽しそうなカップルが大通りを練り歩く。
(この雰囲気じゃあ、今日は休日なのかもしれない)
白の魔女は師匠のところに行かなくなってから、今日が何日などてんでわからなくなっていた。街を歩きながらよく観察していると、同じ歳ぐらいの女の子たちが笑いながらお店に入っていくのが見えた。白の魔女はなんだか申し訳ない気持ちでいっぱいになった。
(こんな美しくて幸せなところに、あたしなんて場違いじゃないかしら)
実際、場違いっちゃあ場違いであった。
こんな街中に、白の魔女が、見るからにボロボロな格好でウロウロしていれば周りの気を引く。視線に気が付き始めた白の魔女は、さらに居心地悪くなってきた。
(地元を離れるって、こんなに大変なのね)
白の魔女は、出来るだけ早く用事を済ませて、とっととあのお花畑に戻ろうと決心した。
白の魔女はまず、木製のベンチに座っているご婦人に目をつけた。ステッキを股の間について、噴水の周りを駆ける子供たちを見守っている。
白の魔女はゆっくり近づいて、腰を落として話しかけた。
「あの、すみません」
「なんだい、白の魔女さん。珍しいね、こんなところで見かけるなんて」
「ええ、ちょっと事情がありまして...あの、何か今日できるお仕事とかってありませんか?」
「今日できる仕事かい?また、急だねえ」
「ええ、ちょっと事情がありまして...あの、皿洗いでも、床拭き掃除でも、あたしができることなら何でもいいんです。お駄賃をいただけるようなお仕事なら」
ご婦人は必死そうな白の魔女を見て、やわらかく笑った。
「白の魔女さんなら、仕事に困ることなんて無さそうだけれど」
ご婦人は少し考えたようにうつむいて、それからヨイショと立ち上がると、レンガの道から外れた一本の木をステッキで指した。
「あの木、今にも倒れそうだろう?しかも、歩道側の方向に」
見るとなかなか大きい木で、白の魔女は首が痛くなるまで顔を上げなければいけなかった。確かに、いつこちら側に倒れて来るからわからないし、この整えられた街に古びた大きな木というのは、どうにも不格好な気がした。
「この木を伐採してくれないかい?そしたら、お駄賃あげるよ」
危ない仕事だと思ったが、この街がより美しくなるし、何より、白の魔女は今日分の食事代を稼がねばならなかった。白の魔女は覚悟を決めた。
「わかりました...では、斧かノコギリはありましか?」
そう訊くと、ご婦人は白の魔女を見上げて不思議そうにした。
「え?魔法でやってくれるんじゃないの?」
白の魔女は急に心臓を鷲掴みにされた気がして、ご婦人を振り向いた。
「あ...いや、その魔法は、まだ使えないんですよ」
「え?あなた魔女じゃないの?」
ご婦人の目に、初めて曇りが浮かんだ。
「いや、魔女なんですけど、木を切る魔法は、まだ使えないんです」
白の魔女は、自分で言っててものすごくみじめになるのを感じた。自分が、練習をやめたからだ。
「じゃあやっぱり、魔女じゃないでしょう?」
「いや、魔女です」
「でもこんな魔法も使えないくらいだったら、魔女なんて恥ずかしくって名乗れないでしょう」
白の魔女は、ぐうの音も出なかった。
(素人が、何言ってんのよ)
とかも思ったが、言い返す自信がなかった。
「で、でも、魔法がなくても、斧かノコギリさえあれば、気を切り倒すことはできます」
白の魔女は必死になってご婦人に取り付いた。しかしご婦人は、呆れたようにため息をついた。
「何言ってるの、危ないだけよ。任せられるわけないじゃない」
白の魔女は、がっくり肩を落とした。あまりに自分に非が多すぎる。ついに諦め、会釈だけしてとぼとぼ歩いていく白の魔女を、流石に可哀想に思ったのか、ご婦人はちょっと乾いた低い声で白の魔女の背中に訊いた。
「じゃあ、何ができるんだい。魔法で」
白の魔女はピタッと足を止めてぐるんっとご婦人を振り返ると、しばらく考えてからこう叫んだ。
「ほんのちょっとだけ、音楽を作る魔法ができます」
するとご婦人は、目を見開いて固まってしまった。どうしたのだろうか、聞こえなかったのだろうかともう一度口を開こうとすると、
「なんて救いようがない!そんなの、なんの役に立つってんだい!」
そう叫んで、怒ったような変な歩き方で、どこかへ去ってしまった。
白の魔女はひとり、ぽつん、と突っ立っているだけだった。他の人に頼んでみても、みんな、ご婦人と同じように白の魔女を突き放した。
白の魔女は、今度はもう少し街のはじっこ行くことにした。
こちとら生きるか死ぬかである。あんなちっぽけなことでいちいちくよくよしてられぬ。
やや早足気味でしばらく歩いていくと、先ほどの賑やかな街の音をかき消す住宅街に出た。代わりに聞こえてきたのは、カードゲームを地面にたたきつけて遊ぶ子供の声、親の談笑、それと俺も混ぜろと飼い犬がわんわん吠えるなごやかな生活音であった。お日様は空のてっぺんまで上り、ここの住民を見守っていた。白の魔女は、自分がなんだか場違いな気がしてきて、早くここから出たいと思った。
そのとき、買い物袋を両手に引っ提げて、えっちらおっちらこちらに向かってくる主婦が目に止まった。白の魔女は、今度はこの人に訊いて見ようと考えた。
「あの、奥さん、少しお尋ねしたいことがありまして」
「あん?なんだい?白の魔女じゃないか。手短に済ませとくれよ」
主婦は浮浪人のような姿の魔女を疑るように、頭のてっぺんからつま先まで見回した。
(こんなにジロジロ見られたら、なんだか寒気がする)
ゾワゾワっと体が反応したがるのを堪えて、白の魔女は言葉を続けた。
「今日中に稼げる仕事を知りませんか?あたしにできることがあるなら、なんでもします」
「ああん?あんた、魔女のくせに職がないのかい」
主婦に吐き捨てるように言われて、白の魔女はさっきのことを思い出した。
白の''魔女''だとバレるから、なんでも魔法でできると思われる。つまり、魔女だということがバレなければ、もっとマシな仕事を貰えるのではないか。
(そうよ...この服装さえ変えれば!)
こんな簡単なことに気づかなかったなんて!白の魔女はとたんに気が楽になった気がして笑みがこぼれた。
「な、なんだい。急に嬉しそうにして...」
白の魔女は青い空を見上げた。ペンキで塗ったみたいに濃く澄み切った青に、横線が一つ二つ引かれて白い洗濯物が干されていた。
(そう、あんな普通の服さえあれば...)
そこで、一転して白の魔女の顔は曇った。
(あれ!?お金ないと服買えないじゃない!)
とんでもない重要な事実に気づいて、白の魔女は上を向いたまま固まってしまった。一体今まで自分はなんて恥ずかしいことを考えていたのだろう。
「一人で表情コロコロ変えて、何してんだい」
主婦の呆れた声で白の魔女は我に返った。とにかく今は、仕事を得ねば。
「な、何か仕事はありませんか」
「何か仕事をって言われてもねえ。こっちはただの主婦だし...どんな魔法を使えるんだい?火を出す魔法とか、水を出す魔法とか」
「...実はあたし、魔女じゃないんです」
白の魔女は、嘘をつくことにした。
「魔女じゃないのかい。じゃあ、その格好は?」
「ああ、これは...コスプレです」
「コスプレ?」
「そうです。コスプレ」白の魔女はちょっと食い気味に言った。
主婦はため息をついて、今度は冷たい目線で白の魔女を見つめた。
「職ないくせに遊んでる暇あったら、そんな服売り払っちまいな」
主婦は唾を吐くように言い残すと、くるりと白の魔女に背中を向けてスタスタ住宅街の奥に入ろうとしてしまう。慌てて白の魔女は叫んだ。
「すっ、すいませーん!嘘でーす!ウソウソ!」
白の魔女は猛ダッシュして主婦の目の前に立ち塞がった。
「あ、えーと、その重そうな荷物、お持ちしますよ」
これくらいを魔法で運ぶくらいなら、白の魔女にだってできる。簡単そうに見えて、こんな単純な魔法でも、習得するにはかなりの時間が必要だが。
(ものを移動させる魔法だったら、今でも黒の魔女より上手くできるかもしれない)
そんな気持ちが、何故か今になって自分の脳裏を掠めたのを、なんだか情けなく、悲しく思って頭を振った。
「いいよ、そんなに重くないわ...どんな魔法を使えるのか、言ってみなさい」
根負けした主婦がだるそうに白の魔女に尋ねた。白の魔女は、希望の光でも見えたかのように目を輝かせた。
「絵を描く魔法です!」
「絵を描く魔法...?」主婦は食い気味にオウム返しした。したと思ったらしかめっ面で白の魔女をまじまじと見たまま黙ってしまった。それにしても、凄い近くで顔を見つめてくる。鼻がぶつかりそうである。
「あの、聞こえてましたよね。絵を描く...」
「アンタ、馬鹿じゃないの」
突然顔面に叫ばれて、白の魔女は弾け飛ばされた気がした。
「もっと、役に立つ魔法を言いなさいよ。まったく、最後までずっとふざけた子ね。魔女って、みんなこうなのかしら」
白の魔女は驚きのあまり何も言い返せなかった。
「そんなにふざけたいなら、娼婦にでもなって遊んでりゃいいのよ。絵ぇ描いてダンナ様を喜ばせられるわよ」
主婦は、ふんっ、と鼻を鳴らすと、今度こそ住宅街の奥に姿を消してしまった。
先程から、ずっと子供たち親たちの楽しげな笑い声が響いている。主婦が居なくなって、白の魔女はまた、自分の場違いに緊張感を覚え始めた。洗濯物を吊るすロープに、小鳥たちがとまって鳴いていた。
白の魔女は再び、為す術もなく、ぽつん、と突っ立ていた。他の住民に頼んでみても、みんな、あの主婦と同じように白の魔女を突き放した。
白の魔女は、いっそのことこの街から離れることにした。住宅街を突き進んで開けた畑にたどり着いた。その頃にはすでに日は傾いていた。白の魔女は、濃い長い自分の影を見つめながら、一人畑沿いを歩いた。
すれ違う人は一人もおらず、農家さんの家がぽつんぽつんと散らばっているだけだった。日の落ちる速度がなんだかとても速く感じる。それにつられて白の魔女の歩く速度も速くなってきた。
(このままじゃ食いっぱぐれてしまうわ...もう、そこら辺に生えてる実でも採っちゃおうかしら...毒があるかもしれないけど)
影は周囲の暗さに紛れ始め、もはや仕事がどうこうなどと言ってる場合ではなくなった。泊まれる場所を探さなくては。それも、タダで。
そんなかんや考えていると、ふっと、誰かが横を通り過ぎた気がした。まさかと思って振り返ると、農家さんらしき格好の人がてくてく歩いていくではないか!
このチャンスを逃すまいと、白の魔女はとっさに走って農家さんの肩をがっしり掴んだ。当然農家さんはびっくりして
「ぎゃあーーーーーーーーー」
「あ...すみません」
「なっ、なんだね君は!」
農家さんは自分の肩をなんらかの餌食にしようとした犯人を睨みつけた。白の魔女は慌てて両手をあげた。
「あっ、あたしは怪しいものではありません。その、宿を探している浮浪人です」
「浮浪人?」
農家さんは首をかしげた。
「夕闇でもわかるぞ、君は白の魔女じゃないか。どうして、こんな田舎を浮浪なぞしているのだ?」
ああ、今日だけで何度この質問を耳にしたことか。
白の魔女は、大変げっそりして酷く顔をしかめてしまったが、この暗さのおかげで農家さんは気づかなかった。
「いいえ、その...とにかく、今日の眠る場所を探さなくては行けないのです。でも、お金もなくて...あの、もし良ければ、農家さんのお家に泊めていただけませんか?何かお手伝いできることがあれば、もちろんするので...」
「うーむ、泊めてやりたいのはやまやまだが、家もせまくてなあ...君、手伝いって何ができるんだい?」
「ええと、お皿洗いとか、お家の掃除とか、お洗濯とか...」
すると農家さんは、暗闇の中で首を振った。
「そんな家事、慣れてるわしがやった方が早いわい。もっとこう、魔女ならではの、できる、派手なことを言っているのだよ」
そう言われると、白の魔女はやっぱり困ってしまった。
「そんなの、ありません」
「ない?君は、白の魔女じゃないのかい?」
「いいえ、白の魔女です」
「じゃあ、何かやって見せなさい」
白の魔女は、ちょっと泣きそうになった。しかしぐっとこらえて、地面にあった花を指差した。そして、呪文を唱えると...
「なんだか、花がぐしゃぐしゃになっていってるな」
「はい、花を枯らす魔法です」
「な、なんて素晴らしい!」
白の魔女は、パッと顔を上げた。涙がほろほろ流れてきた。白の魔女は、今日一日中人々に魔法を披露し、全ての人に一蹴されてしまったのだ。自分の魔法を褒めてくれる人など、もうこの世界のどこにもいないのではないかと疑い始めていたのだ。しかしたった今、その疑いは目の前に立つ一人の農家によって打ち砕かれた。
「な、なんで泣いているのかね」
「い、いえ、気になさらずに」
「君の魔法があれば、この農地一帯、すぐに野菜を成長させて収穫することができるぞ。そしたら、あんな狭い家じゃなくて、もっと広い豪邸に住めるわい。さあ、帰るぞ」
農家さんは白の魔女の腕をぐいっと引っ張って自宅への道を進んで行った。急にご機嫌そうになった農家さんを見て、白の魔女はちょっと困惑した。
(あれ?花を枯らす魔法って、野菜育てられるっけ?...まあ、もう泊まるとこは決まったんだし、どうでもいっか)
白の魔女は、もう大変疲れていたのである。引っ張られて歩きながら、何度もあくびをした。
しばらく歩いてると、すっかり当たりは暗くなり、前も後ろも分からなくなった。雲がやってきたようで、月も星も見えなかった。
ふと、農家さんが口を開いた。
「ああ、人と一緒にうちで寝るなんて、何十年ぶりだろう。家内は、もう亡くなってしまったもんでね」
それを聞いて、白の魔女はちょっとしんみりした気持ちになった。
「そうですか...ひとりで眠るのが、寂しい時もありますよね」
白の魔女は、かつて一緒に眠っていた黒の魔女を思い出した。自分の不甲斐なさが恥ずかしくて顔を合わせられないだけで、本当はずっと、一緒にいたいのに。
「ああ、君は、わかってくれるか」
農家さんの声がうわずった。息の音まで聞こえてくるようだった。
「あの、農家さんどうかしたんですか?」
急に白の魔女は不安になった。緊張もしてきた。
「え?ああ、少し舞い上がってしまってな。なにせ、どうやらわしは、もうすぐでお金持ちになれるようだし...今夜は、''若い女の子''と一緒に、同じベットで眠れるようだから」
白の魔女の全身が凍りついた。恐怖のあまり声が出ない。いや、叫んだとしてもこんな畑の真ん中じゃ誰も気づかないだろう。
(こいつ、あたしの体を買おうとしてる!)
「おや、どうしたんだい?」
農家の、本気で心配するような声がした。農家は白の魔女の顔を覗こうとした。その一連の動作で、白の魔女の恐怖心は、一気に怒りへと変換された。
「放して!」
白の魔女は己の拳で農家の顔面にパンチを喰らわせた。もはや魔法もへったくれもない。
農家がよろめいた隙に腕を振り切ると、一目散に走って逃げた。
(違う違う!一体あたしは、何をしているの?)
白の魔女は、暗闇の中を、走って走って走りまくって、遂に地面へぶっ倒れてしまった。地面の味を噛み締めてうめいた。でもそれじゃ仕方ないので仰向けになった。星の光は一個も見えなかった。本当に、寂しいと思った。
白の魔女は泣いた。怖くて、惨めで、寒くて、悲しくて涙が止まらなかった。そうやって泣いているうちに、いつの間にか眠ってしまった...
次に目覚めたのは、辺りがほんのり明るくなってからだった。
(もう朝...?)
起き上がると、白の魔女は何かが不自然なことに気づいた。白の魔女の近くは地面に咲いている花の種類がわかるほど明るいのに、あっちの遠くではまだ真っ暗闇の夜なのだ。
一人首をかしげていると、背後から走り寄ってくる足音が聞こえてきた。この不自然な光は、きっとこの人の仕業だと、何となくわかって、(あの農家じゃありませんように!)と祈りながらその人の方へ振り向いた。
「何してるの?こんなとこで」
魔法の匂いがした。二つ眼が青いほど落ちてきそうで、その人の真っ白な顔が白の魔女の顔を少し上で見下ろしていた。
「月光の魔法...」
白の魔女がそうつぶやくと、その人はちょっと驚いたように、
「知ってるの?じゃあ、君も魔女なんだね」
と言って笑った。
「とりあえず、家へ来なよ。そんなボロボロで、訳アリでしょ?」
白の魔女はその人に言われるがまま、彼女の自宅に連れていかれた。
レンガ造りの家は、外見の割に中が広く見えた。暖炉に火をくべている少年が一人と、他には誰もいなかった。少年は主人が部屋に入るなり、振り返って無邪気な笑顔で迎えた。
「おかえりなさい!あれ?その女性は?」
「花畑でぶっ倒れていたところを連れてきたの。誘拐なんて言わないでよ」
少年はくすくす笑うと、火の方に向き直ってまた作業を始めた。
(お花畑って、あたし、振り出しまで戻ってきちゃってたのね)
ここで助けて貰えたのなら、わざわざ移動して仕事を探す手間など、かける必要もなかった気がしてきた。白の魔女は余計に疲れてきた。あたしったらホントに、一体何をしてたのかしら。
火の勢いが良くなったようで、少年は服についた木クズを払って立ち上がった。するとこちらにやって来て、何も知らないはずの彼は、その小さな手で白の魔女のボロボロな手をとり、大変でしたね、今夜はどうぞここにお泊まりになってください、と言って部屋から去っていった。
「大分ませてるでしょ、あの子」
彼女は少年が去った後の暖炉に寄って手を温めた。(おそらく魔法の力によって)明るい部屋で見ると、彼女がいかに美しい人かがよく分かった。年齢も自分と余り変わらないようだ。そして服装からして、彼女も白の魔女のようだった。
「あの、あなたは...」
「ああ、名乗ってもなかったね。わたしは、オリバーと言います」
「オリバー...」
「そう。さあ、今日はもう寝よう。君はそのボロボロの体を洗ってからね。お湯を用意しておくから」
オリバーはそう言うと、火の上にお鍋を置いて、水を注ぎ始めた。白の魔女は黙って突っ立っていた。




