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29:従卒のお仕事-3

「さぁ、座学はこの位で良いだろう。この後はお楽しみの剣術だぞ」

「はい!」


 剣術と聞いて、ヒューイの顔が目に見えて明るく、楽しげな物に変わった。なんだかんだ言っても、やはり座学は苦手なのだろう。その正直さが微笑ましい。


 夕飯を食べて、勉強の続きをして。本当ならこの後は部屋でゆっくりと体を休めたり、陸にいる今なら町で少しくらい羽目を外す事もできるのに。これから剣術と聞いて嬉しそうにするヒューイはさすがに剣術バカと言われても仕方がないような気がする。

 だが、上に行く者は大抵何かしらの線が緩んでいるものだ。ヒューイのような剣術バカだったり、アーレスのように航海術バカだったり、かく言うイグニスも艦隊戦術マニアだという自覚がある。彼は古今東西の名だたる海戦はほぼ全て頭に入っており、それを試してみたくて溜まらないタイプだ。もちろん、剣術も決して嫌いではない。この時間からヒューイと2人で剣術の稽古をするのを「私も楽しみだ」と言ってしまえる程度には。


 2人で練兵所に行き、軽く体を動かしてから、刃を潰した剣を取る。素振り千本とまでは行かないが、300ほど素振りをしてからお互いに向かい合う。


 ヒューイの顔つきがすっと変わる。

 この瞬間を見るたびに、イグニスの中に、何か言いようのない感情が湧き出てくる。


 さっきまで少年然としていたヒューイの顔が、一気に大人びた物になる。剣を構える姿勢に力みがないが、どこから打ち込んでも即座に反応されると、もうイグニスは知っている。


「はっ!」


 イグニスがまず最初の一太刀を振り上げた。彼の身長に見合った長剣で、重みのある一振りだ。だが、ヒューイはそれを簡単に剣で受け、その反動を利用して即座に撃ち返してくる。

 ヒューイの剣は大きく振りかぶる事は少なく、最低限の動きで技数を多く繰り出してくる。だが、その剣は決して軽くはないのだ。いや、イグニスの剣よりも、鋭く、そして重い。


 これが16歳の剣か? 彼は海軍に入ってまだ一年にも満たないほど幼いのに。


 何合も、何合も撃ち合う。剣が火花を散らし、受け方を間違えると、イグニスの腕が悲鳴を上げる。

 くそ、この年で力みなく剣を振れるだけでもすごいのに、この剣の重さはどうだ……!


 イグニスも、自分の剣の腕には一廉の自信がある。だが、ヒューイと撃ち合っていると、その自信は何だったのだろうと思えてしまうのだ。自分が16歳の時、こんな風には戦えなかった。こんな風には動けなかった。この私と撃ち合っても、どこまでもついてこれるだけの持久力。まだあんなに細いのに。


 そうだ。ヒューイは物心ついたときから魔獣と戦ってきたのだ。ああ。ヒューイは一体どれだけこうして戦ってきたのだろうか。


 先ほどの台詞を思い出す。


『お、俺は、そんな、見た目ほど子供じゃありません』


 ああ、そうだ。彼を子供だと侮ってはいけない。彼は立派な剣士なのだ。オーリュメール号の中で、彼ほど踏んだ場数も戦った相手も、際立っている者はいないだろう。


 言葉もなく、2人の撃ち合いはしばらく続いた。正統派のイグニスの剣は豪剣と呼ぶにふさわしく、ヒューイの鋭い剣は相手を殺傷する事に特化している。お互いがお互いを相手にしていなければ、すぐに勝負はつくだろう。だが、相手がヒューイだから、イグニスだから、2人はいつまでも終わらない剣術に身を投じられるのだ。


 そのとき、宿舎の塔からカンテラの光が3回、5回と点滅した。その光が見えてようやく、2人は剣を下ろした。

 就寝時間の半刻前の合図だ。2人が剣術の稽古をするようになってから、デーリッヒ副艦長が練兵所に向かってもカンテラで合図を送ってくれるようになった。合図がなければ2人はいつまでも撃ち合ってしまい、寝る時間がなくなってしまうのだ。


「ああ、時間か。よし、今日はこれまでにしよう」

「ありがとうございました!」


 剣を下ろしたヒューイは、いつもの屈託のない笑顔に戻っていた。

 あれだけの剣術の後に、数度の深呼吸で息を整えて笑顔を浮かべられるヒューイにイグニスは内心で舌を巻く。


 そうして2人で剣を拭い、軽く汗を拭いてから、宿舎に向かって並んで歩く。


「ああ、そうだ。ヒューイ、その……」


 歩きながら、イグニスは少し言いづらそうに切り出した。


「ええと、その……部屋を、私の部屋のそばに変えた方が良くないか? 皆と起床時間が違うから、生活しづらいだろう……?」

「え?」


 部屋を? 今ヒューイは最初に与えられた一般兵士用の宿舎にある、新兵達の大部屋で暮らしている。だが、艦長であるイグニスの部屋のそばだというのなら、軍本部の士官用の宿舎に移らなければならないだろう。


「いや、他意はないんだ。ただ、君はその……私の従卒だから……」


 少しだけ言いづらそうにするイグニスに、ヒューイは朗らかに返した。


「いえ、新兵ですから、大部屋で十分です! お心遣い、ありがとうございます!」


 それを聞いてイグニスは、かなりがっかりしたような、それでいてちょっとだけほっとしたように不思議な気持ちになった。何だろう、この気持ちは。彼を自分のすぐそばの部屋に住まわせたいような、いやそれだと逆に少し心配なような……。


 ん? 心配?


 何の心配……?


「そ、そうか。だが、艦が出航したら、私の続き間に部屋が変わると思っていてくれ。艦の上は陸とは違う。従卒は、艦長の手足となって働いてもらわないといけないからな」

「分かりました。よろしくお願いします!!」

「ああ……」


 何となくイグニスは黙ってしまい、その様子を見てヒューイも足下に視線を向けて口を閉じた。

 練兵所から宿舎に向かう道は暗くて、月の光も建物の陰には届かない。


 届かなくて良かった。


 2人はお互いに頬が火照っているのを感じながら、ただ宿舎への道を急いだ。


 頬が火照るのは、体が熱いのは、さっきまで剣を振っていたからだ。


 誰に聞かれたわけでもないのに、そんな言い訳をしながら────。




  ◇◇◇ ◇◇◇

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