20:オグール提督-2
「本当にこの子供が?」
「とても剣が振れるとは思えん」
「見間違いじゃないのか?」
そう言われることは想定内だが、それでももちろん、イグニスは良い気持ちはしなかった。
「私は間近で見ておりました。デッセルの目の前でロープを伝って帆桁に飛び移り、そこから飛び降りざまにデッセルの腕を斬り落としたのです」
「ふん、デッセルから逃げようとしたのか。たまたま帆桁から落ちた時にデッセルの腕に剣が当たったのだろう」
提督はバカにしたようにせせら笑った。
これでヒューイがもっと歴戦の勇者であったり、もしくは若くても貴族階級の出であれば、彼の態度は違ったのだろう。オグールにとって、名字もないような庶民のガキが手柄を立てるなど、あって良いことではないのだ。
だが、彼の台詞は軍人として聞き逃せる物ではなかった。
「……提督は、人を斬ったことはございますか?」
「何?」
「もしも人を斬ったことがあるのであれば、その程度の事で人間の腕が切り落とせる筈がないとご存知の筈です。それとも提督は本気で仰有っているのですか? プリモナール王国海軍第四艦隊の提督であられるあなた様が……?」
白兵戦で戦ったことなどなくても、海軍の指揮は執れる。海軍の艦長は艦を扱って敵を倒すもので、剣を手にして敵を斬り倒す物ではない。だが、誰でも最初から艦長ではなく、ましてや提督ではない。剣を持って敵と戦ったこともない者がその位に上り詰めることなどできはしないのだ。
────例えこの貴族社会において、多くの推挙を得た者が艦長候補、提督候補に挙がり、そして高い爵位を持つ者がより多くの人事権を与えられているとしても。そう、建前では多くの軍功を挙げた者が高い階級を得ることになっている。
さぁオグール提督。あなたは人を斬ったことがあるのか。剣を手に、海賊や敵国ウォースの兵と斬り結んだことが。
それとも、オグール侯爵の弟であるという唯一の功績で、その地位を手に入れたのか────。
イグニスやデーリッヒだけではなく、他の艦長達もどこか冷めた目で提督を見つめていた。口元に薄く笑いを浮かべている者までいる。
オグール提督はその視線に気づいて、わざとらしく咳払いをした。
「……運が重なればそういうこともあるだろう。だが、デッセルの腕を斬り落としたのは、まぐれとはいえお手柄だったな。報奨金を出そう」
大海賊と呼ばれるデッセルの利き腕を斬り落としたといえば、少なくとも今年一番の手柄である。信賞必罰は軍の基本。いくら平民の小僧とはいえ、褒美を与えないわけにはいくまい。
ああ忌々しい。これがオグール侯爵家の派閥に属する令息の手柄だと、首をすげ替えて報告するくらいの知恵はこの男にはないのか。仮にもボルドー伯爵家の三男なのだから、そのくらいの世渡りができないでどうするのだ。
あからさまに不満顔のオグール提督に、イグニスは今一歩踏み込んだ。
「提督、まさか報奨金のみだとおっしゃるのですか? デッセルの腕を斬り落とせる男を、水兵のままににしておく訳にはいきません」
「こんな子供が偶然しでかした事に、何を言うか」
それでもなおオグールは小馬鹿にしたような顔で嘲笑った。
ああダメだ。この人は何も見えていない。こんな男が提督か。
だが、一艦長が提督に逆らうなど、できるはずがないのだ。イグニスはぐっと怒りを飲み込んだ。第四艦隊の人事権は提督にあるが、艦内であれば下士官以下の人事権は官庁にあるのだ。ヒューイには、戦功に見合った地位を与えなければならない。少なくとも、我がオーリュメール号において、その軍功を他人に譲らされるような事は、あってはならないことだ。
「では、彼を私の従卒に任命します。よろしいですね?」
思わず強い言葉が出たことに、提督が不快そうな顔をした。だが、その場の他の艦長達が、承認以外を認めない圧を出している。イグニスを始め、艦長のほとんどは上位貴族の子弟だ。軍の中に派閥は関係ないとこになっているが、もちろんそんな訳がないのだ。
イグニスの兄であるボルドー伯爵は、提督の兄であるオグール侯爵とは派閥こそ違うが友好関係にある。ここで彼を怒らせすぎる事は得策ではない。それでも、腹立たしい事に変わりはないのだ。
提督は忌々しそうに嫌みを言った。
「ふん。貴様、そういう趣味でも合ったのか?まぁ、見た目だけなら確かにそばに置きたいような可愛い面をしている。」
「提督!」
さすがの台詞に思わずイグニスが足を踏み出すと、提督は「好きにしろ」と顎をしゃくってイグニスの退室を促した。
「……畏まりました。ヒューイを私の従卒にするご許可をいただき、ありがとうございます。後ほど正式な辞令をお持ちします」
それに対して提督は犬を追い払うような仕草で応えた。
イグニスは嫌みなほど丁寧に礼をしてからきびすを返した。後に続くヒューイはかわいそうなほど青い顔で、オロオロと二人の間に視線を彷徨わせ、慌ててイグニスの後に続いてぴょこりとお辞儀をして部屋を出たのだった。
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