02:王宮での噂話
今回舞台が王宮となっておりまして、少し長くなっております。
よろしくお願いします。
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プリモナール王国はガローラ大陸の西北に位置する、ほどほどに大きな王国である。東南には山岳地帯があり、魔獣の被害が続いている。王都はデネグフト。王都の中心である王宮では今、国の上層部が声を潜めて、それでもある話題で持ちきりである。
「ねぇ、お聞きになった?」
「あら、あのお話かしら?」
「ええ、もちろんですわ」
さやさやと、さやさやと、城のあちこちでさえずりが聞こえる。
それはお喋りな宮中雀……使用人という名目で行儀見習いに来ている貴族令嬢ばかりではなく、近衛隊の練兵所でも、厨房やリネン室でも、大臣の執務室でも。
「剣聖・ユグノー・アル・オニールが騎士団を辞めたというのは本当なのですか」
財務省の執務室。三人いる財務補佐官の一人がそう言えば、副大臣が慌てたように補佐官の脇腹を肘で打った。すぐ傍にいる財務大臣も聞こえないふりをしながら、ピクリと肩が動いている。副大臣は大臣を気にしながら、部下の口を何とか閉じさせようと顔を顰めた。
「おい、その話はするな」
「ですが、第一騎士団は、団長である剣聖が辞めてしまってどうするのですか? オニール団長は現存する三剣聖のうち最も若いが、建国始まって以来の使い手ではありませんか!」
王宮の話題はここのところ、ずっとこの話である。
剣聖ユグノー・アル・オニール。第一騎士団長にして、国一番の魔法剣士。幼い頃から莫大な魔力を持ち、在野から拾い上げられて王子達と共に王城で育てられた彼は、魔獣を狩ることに於いてはプリモナール王国のみならず、このガローラ大陸一の腕前と言えるだろう。彼が“剣聖”の称号を与えられたのは当然のことだ。
そんなユグノー・アル・オニール団長がいきなり第一騎士団を放り出して出奔した。
あり得ない。なにかの冗談ではないのか。
最初は皆そう言って引き攣ったような笑いをこぼしていたが、段々それが笑えない状況であると分かってきた。……それでもその影響の大きさを考えると未だ公表することは出来ず、とにかく彼らは「何の冗談です?」と言い続けるしかないのだ。
しかも、この話には身分の上下無く大喜びしそうな艶聞も含まれているのだから、口を塞ぐのは至難の業だ。
「あの、大臣、アスター殿下がオニール団長に求婚したというのは本当なのですか?」
とうとう補佐官の一人が大臣に直接声をかけた。
王族の結婚に関わる話など憶測で語れるものではないが、事情を知っていそうなのは王族とも直に話をすることができる大臣位だろう。
「それはさすがに疑わしいかのではないか。何しろアスター殿下には、ここだけの話だが、テレンス王国から縁談が持ちかけられたと聞いているぞ」
筆頭補佐官がひっそりと補佐官達に言葉をかけながら、ちらりと大臣を伺う。大臣は少し口を噤んだが、結局小さく頷いた。もうどうにもこれ以上、黙っているのは無理だと判断したのだろう。
「ああ、まだ公にはしていないが、テレンス王国からはアスター殿下に、マデーリア王太女殿下と結婚してゆくゆくは王配となり、共に国を治めて欲しいと申し出があった。王妃殿下はことのほかお喜びだ」
大臣がそう言えば、補佐官達はわっと興奮に顔を染め、互いをつつき合っては手を打って頷き合った。
「だからオニール団長は身を引こうとして身を隠したのですね?」
「それは懸命な考えでしょうな。団長は王城で殿下達と共に育てられ、廃絶された男爵家を継いだとはいえ、元々どこの誰とも知れぬ平民。いくら第一騎士団長だ、剣聖だと言っても、アスター殿下と結婚など……身分が違うでしょう。オニール団長が身を引くのは当然ではありませんか」
「それで出奔したと? しかしだから言って、あの団長に限って第一騎士団を放り投げるなどありえないではありませんか。私は内密の勅命があったと聞きましたぞ?」
「そんなの、殿下の外聞を憚っての言い訳でしょうに」
ガローラ大陸の多くの国では、同性婚が認められている。特に貴族の間では、跡取り問題、領地問題の関係から、次男以下は男性と結婚することが慣例となっていた。これは、間違っても子供ができ、後継者争うなどに発展しないように、という考えからである。子供が増えたところで渡せる領地も財産もない以上、次男以下の子供達は平民に落とすか、神殿に入れて神と婚姻させるか、男同士で婚姻させるかしかないのだ。
もちろんスペアである次男を女性と結婚させるケースもあるが、それは彼らがスペアだからだ。
親としては、今まで貴族の子供として育ててきたのに、急に「今日からお前は平民だ」と言って全ての権利を取り上げるのも、一生を神殿の中に閉じこめ、俗世の生活を捨てさせるのも、心情的にあまり良い気分はしない。それならスペア以下の男子は男同士で結婚させ、一代限りの“貴族階級の息子”として今まで通りに暮らさせ、次代には消え去って貰うのが一番良いと、そういう話になるのだ。
男同士で結婚すれば、当然あぶれる女性が出てくる。だから多くの貴族女性は裕福な平民と結婚する事となり、さらにあぶれた平民の女性は女性同士で結婚するケースが多い。
ということで、子供を作ることの出来る男女の夫婦は比較的裕福な家が多く、そうした家だけが家系を繋ぎ、生き残っていく。特に都市部は裕福な商家が多いために働き処も多く、生活水準は高いのがこの大陸の特徴だ。
だがアスター殿下はプリモナール王国の第三王子だ。貴族の三男とは話が違う。もちろん国王達は有力な貴族の令嬢や外国の王族との縁組みを画策してきた。
しかし当のアスター本人が「自分は後継争いに加わるつもりはない。剣聖・ユグノー・アル・オニールと結婚し、一生をプリモナール王家の為に尽くす所存」と表明してしまったのだ。
驚いたのは国王夫妻を始めとする王族や国の重鎮達ばかりでなく、当の剣聖も目を見開いていた。確かに彼は国王の息子達と共に育てられ、竹馬の友である事は間違いないのだが、まさか平民出身の自分が第三王子の伴侶になるなどと思っていなかったのだろう。
だが、今までどんな美姫にも目を向けず、どんな名門家からの結婚話にも興味を持たなかったアスター第三王子の執着は重い。アスター殿下の世界には、オニール団長しか存在していないのだ。きっと彼の目にはオニール団長以外の人間は全て棒人間にでも見えているのだろう。
それなのに、剣聖は突然、国王にすら何も告げずに出奔した。
アスター第三王子の嘆きは深く、彼は荒れに荒れている。オニール団長の出奔したのをこれ幸いと、テレンス王国との結婚をまとめようとしていた者達から見れば、まさかの事態である。
部下達が深刻そうな顔で、だが内心この醜聞にウハウハしながら話をしているのを聞きながら、財務大臣は舌打ちした。慌てたように副大臣が諫めにかかる。
「おい、いい加減にその話はやめろ。仕事中だぞ」
だが、興奮した彼らの耳に、副大臣の声は届かない。
「しかし殿下の将来を考えれば、確かにオニール団長が身を引くのが筋でしょう? 例え殿下が団長を諦める気はないのだとしても」
「ええ、諦める気など無いのでしょう。確かにオニール団長は見目の良い方ですからなぁ」
「だが団長は、前から殿下に気のない素振りではありませんか」
「それが良いのでしょうよ。殿下にしてみれば、自分になびかない人間など、さも」
「やめろ! 殿下の耳に入っては、ただではすまされんぞ!」
さすがに副大臣が大きな声を出せば、部下達は慌てたように口を閉ざした。
「剣聖が軍を出奔など、そのような事があるはずがない! 他国に聞こえれば、我が国の防備が下がったと攻め込む隙を与えるような物だ! 良いな、お前達。騎士団からの発表では、剣聖の不在は軍の特殊任務に就いている為となっているのだ。陛下もそれを認められた。ならばそれが事実だ。これ以上余計なことは口にするでないぞ!」
「畏まりました」
補佐官達は慌てたように頭を下げた。
もちろん、誰一人そんな事を信じてはいない。騎士団も軍部も、水面下で剣聖の捜索を続けているという話だ。もちろん、アスター殿下も。
「あ、おいっ」
副大臣が補佐官の脇腹を肘でつついた。窓の外に、噂のアスター殿下が数名の部下と共に、地図を眺めながら回廊を歩いて行く姿が見える。一瞬でも時間が惜しいらしい。なるほど、殿下の顔は険しかった。
「……あの様子では、捜索は芳しくないのでしょうな……」
「ああ、だが殿下は決して諦めはしないでしょう」
「それでは、テレンス王国との婚姻は?」
彼らはそっと顔を見合わせ、沈痛な面持ちで首を振った。
そんな会話が、城内ではあちこちで交わされていた。
剣聖・ユグノー・アル・オニールの失踪。この国始まって以来の醜聞である。
「……何事も、無ければ良いが……」
財務大臣はアスター殿下が去って行った方を見つめ、そっと独りごちた。
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前回の後書きで、署名が登録名と相違していたため、後書きの署名を登録名に合わせて直しました。
大変失礼いたしました<(_ _)>
また、次回から海軍のヒューイのお話に戻りますのでよろしくお願いします。
前回、初回にもかかわらず評価いただきありがとうございました。
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苳子拝