16:大海賊デッセル-5
海賊船のメインマストの上から、一人の男がオーリュメール号を見下ろしていた。その体はわなわなと怒りに震えている。
男の名はデッセル。この海賊団の頭領であり、大海原に名を馳せる大海賊である。
「お…お頭……?」
オーリュメール号の甲板では、自分の自慢の手下共が、海軍なんぞ相手に不甲斐ない様子を見せている。
「あの、お頭……?」
この程度の軍艦、いつもならあっという間に制圧している筈である。プリモナール王国の奴らに打撃を与える。それがデッセルが海の上で好き勝手に海賊行するために与えられた“条件”である。
今まで、その“条件”に見合う働きをしてきた。広い海の上でプリモナール船籍の船ばかりを狙い、年に何度か軍艦も襲う。簡単な仕事だ。それで自分達は海賊として国から狙われることもなくなり、国の港では大威張りで酒が飲める。むしろ国では英雄扱いだ。
それなのに、何故まだこの艦は陥ちていない。何だあのザマは。自分の手下共の不甲斐なさに目が回りそうだ。
この艦の奴らは他の軍艦のように、下っ端の水兵ばかりが表に出て来て斬り殺されるような事がない。それは褒めてやろう。上級軍人まで出てきて自分達と戦う根性はなかなか良い。多くの上級軍人を斬り殺し、戦闘幹部まで倒せれば、国からボーナスを貰うことができる。
デッセルにとって、プリモナールの海軍兵はただのボーナスだ。それ以上でもそれ以下でもない。
だが、今眼下の甲板では、自分の部下共が情けないザマを晒している。
上級軍人が出てくるのも、戦闘幹部が出てくるのも良い。そのせいで甲板がいつになく密集してているのも良いだろう。
だが、目の前の兵ばかりに気を取られ、ネズミに足下を掬われているとは何事だ! 俺の手下が! この大海賊デッセル様の兵隊が!!
怒りに顔色をドス黒くし、ワナワナと震えているデッセルに、すぐそばに控えている手下がヒヤヒヤしながら声をかけてくる。
「あの、お頭……。ど、どうしやすか……?」
「オレ様が降りるに決まってるだろうが! こちょこちょと人の足下を走り回るあの薄汚ぇドブネズミを、オレ様自ら木っ端にしてやる……!!」
そう叫ぶなり、デッセルはロープを伝ってオーリュメール号の甲板向かって滑り落ちていく。ガキの頃から何度もこのロープを滑空している。まだ大分手前でデッセルは滑車から手を離し、上空から甲板に向かって飛び降りた。
「デッセルだ……! デッセルが来たぞ……!!」
海軍の一人が飛び降りてきた男に剣を向けてそう叫ぶと、男達の視線がデッセルに向かった。
「デッセル……!!」
大海賊デッセルは、ただの海賊にあらず。大陸を挟んだ敵国ウォースの走狗である。海賊行為をする時、奴が自ら移船してくることはまずない。当たり前だ。大将が自ら的になりに来るなど、普段ならあり得ない。何が起きた。奴は何を考えてオーリュメール号に移船した。そんな事はどうでも良い。これはチャンスだ……!
「デッセルを討ち取れ!!」
皆がそうかけ声を上げるが、デッセルの耳には届いていないようだ。デッセルは襲いかかる兵士達の刃を物ともせず、曲刀を右に左にぶん回しながら、まるで無人の甲板を進むかのように歩いて行く。
「小童が! 良い気になるなよ!!」
デッセルはそう叫ぶなり、ヒューイの真正面に立ちはだかった。
「ヒューイ!?」
何故デッセルがヒューイを狙うのか、オーリュメール陣営にはまるで分からなかった。だが、この艦で一番年若い新人を、貢ぎ物として献上する者など居やしない。
「ヒューイ!」
艦長であるイグニスがヒューイとデッセルの間に入ろうと駆けだした。水兵長であるオンゾも、副館長であるマッシュも、艦長補佐官であるテルーも。
だがその時、ヒューイの姿が皆の視界から消えた。




