44.育ち始めた、終わりへの道
「遅かったわね、ゼン」
「ん」
少しふらつきながら、ゼンが寝室に戻ったのは明け方近くになってからだった。
「珍しいこと……そんなになるまで飲むだなんて」
「俺にだって、不安に思うことのひとつやふたつある……それを払拭する為にしたことに、巻き込んだ奴に……洗われるなんてな」
「気分良く飲めたと……そう……」
ゴロンとベッドに横になり、うとうとしながら吐露するゼンの横に座り、そっと額を撫でるクロエ。
「なら……私は必要ない、かしら、ね」
「…………性悪女が」
鎖を使う事はしなかった。
ゼンは自分の腕と手で、クロエの顔を引き寄せ、強引なキスをする。
「アダルヘルムを取られて、待てができなくなったのか?」
「そんな訳ないわ……私は、私のすべてはあなたのものだもの……私は、それだけの存在価値しかないでしょう?」
「そう……そうだ。お前はそうやって、俺を責めればいい」
クロエを押し倒し、上着を脱ぎ捨てるゼン。
「お前が誘ったんだからな」
「断る事なんて簡単なのに……優しいのね、ゼン……愛しているわ」
「どの口が……――っふ?!」
「ゼ……ン…………きて……っ」
ゼンの口を塞ぐ。これ以上、余計なことは言わせないと、強引に。いつになく、自分から動こうとするクロエ……表情も、声も、まるで人を抱いている時のように、温かさを分けあおうとしていた。
アダルヘルムと話したことで拭えたものもがあったのを知りながらも、クロエはクロエなりに、ゼンの心を埋めようと思ったのかもしれない。
でもそれは、ゼンにとって、重く、辛いものを背負わせるだけの行為。それを拒まないのは、本来の自分を取り戻してくれるのが、クロエという存在であり、必要であるからだった。
月と太陽が混ざり合う朝焼けが、顔を出す。
汗を拭う事なく、酔いと疲れで伏したまま、ベッドで眠るゼンを撫でてから起き上がるクロエ。
浴室でシャワーの温かいお湯に打たれながら、浴室内の鏡を覗き、小さな赤い痕が付いた自分の首すじ、胸元、下腹部……すべてをなぞっていく。
「ふふ……お互いに、意地悪が過ぎたわね」
普段の格好で、情事の証を隠すことは難しい。クロエはひとつずつ確認しながら肌を『作り』治し、元に戻していく。
徐々に消えて無くなっていく……クロエの顔も、曇っていく。
「不要な感情を抜いて作らされた心…………慰めるために作られた道具……私は都合のいい、人形」
そう、命令され、自らを『作った』。
それでも時折、ツクンと胸の奥に感じる小さな痛み。
「……やめましょう……ゼンを苦しめるための存在になってはならない、私はまだ……人形でいなければ」
より強い、痛みが走る。
「……まだ?なぜ?」
自然に口から出た自分の言葉の理解ができないクロエ。どこにも吐き出す事ができない違和感の正体がわからず、鏡に拳を当て叩き割っていた。滴る血が、湯に溶け流れていく。
「死人のような肌……流れるのは赤い血……ねぇゼン……私は生きているの?死んでいるの?ふふ……ダメね…………いつか答えを……」
付いた傷と鏡を『作り』直した。
ひと息吐いてから体を磨き、汗を流す……不安と疑問も一緒に。
ただひとつ、流して消せなかったのは、不要なものとして、一度『破壊』された感情。
クロエ自身もまだ確かに感じようとしてもできはしない程小さな、無意識の中で『作り』出されていっている、愛という名の感情。
それから数日間、島でゆっくりと過ごしたゼン達。
サリエルを倒したことで、残っていた依頼は、ゼンの力が届く範囲のものはすべてその場で終わらせた。数件残ってしまったものの、支部と連携を取って冒険者に任せる方向になった。
依頼を済ます事を言い出したのはゼンだった……ここでの休息をしっかり楽しめるように、アダルヘルムの仕事を減らす為に、ハネムーンをハネムーンらしくさせる為、自ら動いたのだった。
「おかげでアデルとの時間も長く取れる、ありがとうゼン」
「はっ!いいからさっさと遊んでこい」
返答は相変わらず素直ではない。変わらないそれが、アダルヘルムを安心させるものでもあった。
笑顔で応え、砂浜で遊ぶアデル王子の元へ。
「お前はいかないのか?ミウ」
「ミウ……思った」
「なんだ?」
「ミウ、そこまで……子供じゃないっ」
「散々遊びまくってから言うことじゃねぇぞ」
この数日、昼間はずっと、アデル王子と共に砂浜を駆け回り、城を作ったり、泳ぎ、素潜りで魚を獲ったり……散々遊び尽くしていた。
森で暮らしていた事も関係しているのだろうが、さすがにはしゃぎすぎたせいで飽きてしまったミウ……そんなところも、まだまだ子供と思われても仕方がない。
「ミウ」
「クロ、なに?」
ミウを呼び寄せ、耳元で内緒話をするクロエ。
「せっかくの水着よ?ゼンにしっかり見せたの?」
「ん……これ、ゼンがくれたから……見てるより、知ってると……思う」
クロエの質問に不思議そうに答えるミウ。それはクロエも同じで、少し違和感を持ったクロエは、カマをかけた。
「……女らしくしてみたりは?」
「?……なんで?」
その違和感は確信に変わり、寂しそうにしながらも口角は自然と上がっていく。
「罪な女……」
「クロ、なんか変……ゼンと、喧嘩でもした?」
「なんでもないわミウ……そうね、なにかしたいことはあるかしら?」
「果物……一緒に、採りにいこ?」
手を繋ぎ、果実が実る木々を求めクロエとミウは森の中へ。
「な〜んか」
その様子をゼンの隣で寝転びながら見ていたファイン。体を起こし、手を振ってふたりを見送りながら言った。
「女同士って怖ぁいネ〜」
「んなもんお前に分かるのかよ」
「性別を超越しているボクだから言えることだよ〜」
ふふんっと鼻を鳴らし、得意げに話すファイン。そして、ハッとする。
「もしかして久しぶりのふたりきりじゃナイ?!」
「別になにもしねぇぞ」
「ぶ〜……じゃあ〜……少し、お話しよ、ゼン」
片膝に手を添え、こてんっと頭を乗せ、ゼンの顔を見つめる。
「迷いは消えた?」
「迷ってねぇ」
「強がって、かわいいね、ゼン?ボクはそんなゼンがだ~いすき」
「趣味が悪いな」
「そんなこと言わないでヨ?ボクは、ゼンがなにを考えて、なにを心のうちに秘めているのか、知りたい……ボクが最も人間らしいと思う君の、ネ」
スルスルと指でゼンの体をなぞり胸元まで持っていき、心臓の鼓動を感じ取ろうと手を広げ優しく押しつける。
「人でありながら人であろうとする君は、とても魅力的……その上、ボクの存在も消すことができる……そんな君にならなにをされてもいい」
「お前も俺を慰めようとしてんのか?ほんと、バカばっかだな」
「バカだから魔族でしかも魔王なのに、ゼンについてるんだヨ〜?みんなに先越されちゃったかもだけどもうちょぉっと喜んでくれてもいいのに……」
「そんなに喜んで欲しいならその辺の魚と交尾でもしてこい、笑ってやる」
とんでもない事を言われ、ファインはショックを受けた。が、少し考えて出した答えは、
「面白いかも……」
「ほんとにバカだな、冗談だろ?どこいくつもりだ?ここにいろ」
「あはっ!その呆れた顔も大好きダヨ、ゼン」
ふらりと立ち上がって海を真剣に見始めたファインを止めたゼン。おかしなやりとりではあったが、ファインなりに自分の覚悟を改めて伝えつつ、ゼンから離れることはないと、教えていた。
何度目かの偽り美しさを見せる夕焼けの空。
穏やかな休息は、あとわずか……終わりを告げようと、暗い地下から這い上がり始めたのは、異形の魔物だった。




