10-⑤.邂逅と会合
孤児院の正面からは見えなくなっている部屋。裏側に面した窓をクロエが静かに開けると、林を通って部屋に向かって吹く風が部屋に充満していた強く重たい臭いを流していく。
足の短い小さなテーブルに香炉が置いてあるのを見つけたファインはしゃがみこんで鼻を近づけ、犬のようにクンクンと嗅いでいる。臭いの元は明らかにこの香炉なのだが、一般的なお香のように煙が上がっているわけではなかったため確認をしているようだった。
「あんまり直接嗅ぐんじゃねぇぞ。いくらお前が丈夫でもこんなところで発情させれたらたまったもんじゃねぇ」
「やだなぁゼン……ボクはいつでもゼンに発情中ダヨっ」
ファインの瞳孔がうっすらと揺らいでいる。大丈夫そうに見えるが、臭いを発している物に魔力があるせいなのだろう……わずかに影響が出ているようだ。ゼンは呆れて大きなため息をつく。少し俯いた視線の先……横たわる少女と目が合う。部屋の空気が清浄になり、虚ろだった少女の目に光が宿り始めているようだった。
「クロエ」
珍しく名前を呼び、左手にうっすらと巻き付いている鎖をクンッと何回か引く。すると、クロエの首輪から下がっている鎖が引っ張られるように上下した。特に反応はしなかったが、クロエはベットの陰に頭を抱え縮こまっている中年の男に向かってゆっくりと歩き……
「ごきげんようズィリック?どうなさったのです?そんなに震えて?」
寄り添うように……肩を抱え優しく囁くクロエ。ズィリックと呼ばれた中年の男はその声に反応し、びくっと全身を大きく振るわせたあと、添えられたクロエの腕を振り払った。
「よ、寄るな!触るな!露出狂の年増め!汚らわしい!!」
「……いけませんわ?そのように汚い言葉を使うなんて……弱き者の最愛の父であらねばならないのに…………堕ちたものね」
顔から出る粘液をすべて垂れ流したぐずぐずの崩れた顔をしたズィリックは、口から唾を飛ばしながらクロエを罵倒し、再び頭を抱えて小さくうずくまった。が、そのままでいさせることを許さない。
細く薄くなった頭頂部……その髪を力強く掴み上げ頭を上げさせる。そのままクロエは立ち上がり、ズィリックを引きずってゼンの前に引っ張り出した。
「や、やめっ!いだいぃぃ!抜ける!減る!やめてぇ…………へぐっ!!ウヒィィ?!」
「抜けてもよろしいでしょう?その程度の『再生』なら容易い。まぁ……あなたの態度次第ではありますが」
少女を見つめたままのゼンの真横に乱暴に投げられたズィリックは、顔の右半分を床にドグッと鈍い音を立てこすりながら転がった。自分の頬を撫でながら起き上がる……目線の先にはゼンの足。立て続けの衝撃に怯えた声を何度も上げる。
「やかましいぞ。ガキが起きるだろうが」
「ひぃいひいっ……うっ、うぅぅだって……だてぇぇぇ……っ!」
「やることやってるいい大人が赤ん坊みてぇに駄々こねてるんじゃねぇぞ!!」
右足でズィリックの顎を蹴り上げ、またしても無様に転がった。
「や、やめ……や…………クソ……!!!クソがぁ!!!」
声を荒げながらズィリックは床を叩き……ズタボロになった顔を上げ、ゼンを睨み……
「こうなったのはお前が勝手に俺の体を!命の在り方を変えたせいだろう!!何十年も経って会いに来て態度を改めろというのか?!もう遅い!遅いんだよ!!!バカが!!!全部お前のせいだゼン・セクズ!!!ハハハハ!!!」
罵倒というよりも開き直り……発しながら立ち上がるズィリックの傷が徐々に治り始め、スムーズに動けるようになったところで警戒しながら少しずつ後ろにさがり、距離を取って逃げる素振りを見せた……扉に近づいたところでゼンが口を開いた。
「言いたいことはそれで全部か?なら俺の質問に答えろ」
ズィリックはピタッと止まる。
逃げる選択は延命……ただ死が待つだけの行動……だが、この『質問』の選択によってはもしかしたら自分の命が助かる可能性が数%はあるからだ。己が吐いた汚い言葉は気に留めていないことにも安堵しゼンの言葉を待った。
「あの花は?」
「あ、あれは貴方のおかげで魔力を持った特殊な花にかわったのですええ!あの小娘のおかげで!町も潤い……王にも認められた素晴らしい合法の薬へと変わりました!」
返事はない。
「地下にいたのはその娘か?」
「え……あ……まぁ……きょ、今日!今日着替えと風呂の日ででして!たまたま!!あ、あなたがくることがわかっていたらもっとめかしこんでいたと思うんですけれどね?!」
見られていた。
彼女をゼンから任されていた事をすっかり忘れ、力だけを搾取し続けていた事を思い出し取り繕い、どうにか誤魔化そうと早口でまくし立てるように言い訳を言うしかなかった。
「それだけわかればいい」
振り返ったゼンと目が合い、ズィリックは体をこわばらせる。
「クロエ」
「決まりましたか?」
2、3歩前にでるクロエはゼンの次の言葉を待つ。
ズィリックも待つ……自分のこれからを決めるひと言を。
「命を作れ」
「へ?」
その答えにズィリックは口角が上がる……許されたと……その場にへたり込んだ。
「ふふふ……よかったですねズィリック……」
「アハ!……ゼンって意地悪で……優しいネ」
ファインも、クロエも笑っている……ズィリックもその様子をみて誘われるように笑いだす。
「あ……はは……あはは……よ、よか――」
「良かったなズィリック」
ゼンの声で笑い声は止まり、ズィリックは囲まれ見下ろされ……3人の顔は無表情。
「人間として死ねることを喜べズィリック」
「あ……は?」
ドクンと心臓が異常な跳ね方をし、呼吸が乱れ始めていくズィリック。
「はっ……はっ……!!な、なんで……許され……?」
クスクスという声が上から降ってくる……その声もだんだんと聞こえにくく、こもっていく。
「お前がしたことに対してのケジメと俺が招いたことのケジメだ」
「ズィリック……安らかにお眠りなさい」
「ばいばい~!変態おじさーん」
体から水分が失われていき、皮膚も頭皮もどんどんと老化が進んでいく。
「あ……なんで……な……」
「自壊しろズィリック」
「おま……えさえ……こな……けれ……――」
生き長らえるための命を作り出したわけではない……本来あるべき命の形に戻しただけ。
過剰に与えられた命がマイナスに、元の寿命に限りなく近く戻され、今この時代にあるべき肉体の姿になっただけ。
「骨もカスカスで粉になっちゃった……元々そんな長生きじゃなかったんだネ」
「元々中年でしたし……あとはここの施設をどうするのかとこの子をどうするかですね」
「監視役を作り出すのも悪くはないが」
ズィリックだったモノを踏みつけながら少し考えたゼンはファインに命令をした。
「お前の眷属の中に従順で裏切らず何も考えていないメスはいるか?」
「ゼェン……結構難問ダヨ?」
香の匂いに少しあてられ、ぼんやり加減のファイン……ゼンの要望に応えようと数秒唸り、答えを出す。
「アメーバとかスライム系はどうかな?姿も変えられる上位種……性別がそもそも存在しない方……どう?」
「朝までに用意しろ」
「はーい」
世界中に散らばって生息するファインの眷属……召喚の方陣展開し、瞬時に呼び寄せた。
「ある程度……ここの施設を管理するための教育を致しましょう……お任せを……」
「簡単に意識には刷り込んでおいたし、クロエちゃんの言う事聞くようにしといたヨ!」
施設の管理者が急にいなくなること……ここで生活をしている子供は不安に思うだろうことは確実だ。
この夜あったことを隠さなければならない。
ズィリックは国の要請で急遽ここを離れることとなり、代わりの管理者として呼ばれたのが今、姿を変えているファインの眷属。
「ゼン……あの子はどうしましょう?」
「なにもなかった」
「わかりました、ゼン」
眷属の仕立てをしながら施設を後にしようとするゼンに問いかけ、クロエはゼンを見送り扉を閉めた。
村の中心地へ戻る途中、ファインはゼンの腕に絡みつきながら耳元で囁いた。
「ね……ゼン?クロエちゃん……気を利かせてくれたと思うんダケド……?」
「そうじゃなくても黒ブタじゃ足りねぇよ」
まるで恋人のようにすり寄り、ファインは頬を染め笑みをこぼす。
「簡単にこわれるんじゃねぇぞ」
高級宿に入り、月が沈み、うっすらと朝焼けがカーテンの隙間から部屋に差し込んでもなお……艶やかな吐息と甘い声が漏れ続けていた。




