6:溺れていく
「…………」
今日の天気は大荒れのようで、窓に打ちつける雨の音で私は目を覚ました。
外を見ると、朝なのに夜のように真っ暗で、降り注ぐ雨が窓の模様を忙しなく変えていた。
……この雨だと、戦場も急戦状態かしら?
起き抜けの頭でそんなことを考えてしまい、ついレイユを思い出す。
さっきまで夢の中で会っていた人。
ずっと彼と触れ合っていたからか、1人の今は妙に寒く感じる。
ベッドの中にいる私はブランケットを被り直し、横を向いて丸まった。
「…………」
レイユのことを考えていると、彼を助けてしまった罪悪感も蘇った。
夢の世界でいた時よりも強く、重く感じる……
自分の国へと戻ってきたからかもしれない。
現実では、私はこの国の第二王女。
もし、兄が戦っている敵国の王子を昨日葬ることが出来たのなら……
今日には戦争が終わっていたかもしれない。
多くの国民の犠牲を、これ以上増やさずに済んだかもしれない……
「……でも、あのレイユは夢の中の人だもん……」
私の涙声の呟きは、誰もいない静かな部屋に吸い込まれていった。
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それからも〝夢の中だから〟と自分に言い聞かせて私は逃げた。
逃げ続けた。
嫌な現実は見ないフリをして、私はレイユに会った。
毎日毎日。
夢の世界で大切な人と幸せな時間を過ごす。
ゆっくりゆっくり水の中に沈み込むように、彼に溺れていく。
レイユの姿が見えるだけで胸が高鳴った。
レイユに名前が呼ばれると、嬉しさで自然に笑顔が溢れた。
レイユに愛されると……
ため息が出るほど心が歓喜した。
彼に夢中になればなるほど、王女である私の部分は苦しかった。
彼に溺れて……息が出来なくなる。
けれどそのたびに心の中で唱える。
レイユは私が作り出した夢の中の住人。
今日もまた……
私は夢幻を見ているの……
青い月明かりが照らす森の中。
半分朽ち果てた白い神殿。
建物と共生するかのように木々が生い茂り、睡蓮の浮かぶ池に影を落とす。
中には緩やかな風に吹かれてそよぐ、白い天蓋のベッド。
そこからは、愛する人を切なげに呼ぶ声が今日もしていた。
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私の監禁生活は、相変わらず何も変化がなく続いていた。
喋るのは食事を運んでくるメイドと、湯浴みに連れ出してお世話してくれるメイドぐらい。
……普通の人なら精神を病んでるわね。
私は人ごとのように思いながら、今日も1人で夕食を食べていた。
「……ぅう。でも最近気分が悪くて、そんなに食事が食べられないわ……」
やっぱりこの生活に参ってきているのかな?
私はカトラリーを一旦置いて、ナフキンで口を拭った。
すると部屋の外が騒がしくなった。
バタバタと足音がこちらに近付いて来ている。
何事かと思い身構えていると、部屋のドアが荒々しく開け放たれた。
「!! お兄様!?」
「ルティエ! お前、身籠ったというのは本当か!?」
すごい剣幕のディメリオが、私の腕に掴み掛かった。
呆然としている私は、彼に無理矢理グイッと引っ張られて立たされる。
その勢いに、机に置かれていた食器が床へとひっくり返った。
「えぇ!? 何のことでしょうか??」
私は兄の発言に驚いて目を白黒させた。
「お前付きのメイドから報告を受けたんだ。最近のお前の様子から、身籠ったかもしれないとな」
「…………」
私は驚いた表情のまま固まった。
ディメリオの目を見つめ返しながら思案する。
……確かに月のものが来ていない……
そしてこの気怠さや食欲の無さは……
つわり?
青ざめてしまった私は、思わず兄から顔を逸らした。
……じゃあ、夢の中の出来事は……
現実で起こったことと同等!?
私は頭を殴られたようなショックを受けた。
レイユが実在する人物だとは、正直分かっていたことだ。
けれど……
夢の中だから、意識だけがそこに存在するだけで、まさか肉体ごと転移しているだなんて思わなかった……
そりゃぁ、やけにリアルな感触だなーとか、翌朝体痛いなーとか思ったけど……
思ったけどー!!
私はディメリオに掴まれていない方の手で口を覆った。
動揺しすぎて、何か要らぬことを喋ってしまいそうだから。
私はこれでも必死に大荒れの心を隠そうとしていた。
でもその様子に兄が激怒する。
「ルティエ!? 相手はどこのどいつなんだ!?」
私は小さく深呼吸してから、兄に向き直った。
「何かの間違いでは無いでしょうか? 私がメイド以外の人と接触が無いのは、お兄様がよくご存知でしょ?」
首を傾げ、すまし顔で続けた。
「それに……何でお兄様がそんなにお怒りになるの? こんな所に閉じ込めて、私が弱り果てて死ぬのを待っているのでしょう? 王位を脅かされないために……」
私は皮肉をたっぷり込めてニヤリと笑った。
話を逸らそうと背中では冷や汗をかきながら。
するとディメリオが以外な反応を返した。
「ちがっ……戦争の混乱に乗じて、お前が他の男に誑かされないように……」
狼狽えながらモゴモゴ弁解する珍しい様子の兄に、私は眉をひそめてた。
そして私の腕を掴む彼の手に力がこもったかと思うと、不機嫌な表情でキッと睨まれる。
「この戦争が終わったらお前は王妃になる。それまでは城下街なんかに行かず、ここで大人しくして欲しかったんだ!」
「え? 王妃?? 何故でしょうか?」
「そんなの決まってるだろ。俺と結婚するからだ!」
「!?!?」
ディメリオの発言に一気に鳥肌が立った。
体から血の気が引いていくのを感じながらも、何とか言葉を絞り出す。
「私たち、兄妹よ!?」
「…………お前と俺は血が繋がっていない。ルティエの父親は前国王ではなく、実は王弟だった人なんだよ」
兄がゆっくりと私の腕を離した。
流石にすまなそうな表情を浮かべたディメリオが、目線をフイッと逸らす。
「そんな!? ママはそんなこと一切言ってなかったわ……」
震える声でそうこぼしながら、だから前国王から可愛がられた記憶が無いのねと妙に納得もしていた。
「お前の母親は、確かに父である前国王に娶られていた。けれど王弟と恋に落ちたらしく……2人はひっそりと会っていたんだ。どんなに監視をつけても、それを潜り抜けて……」
「!?」
ディメリオの説明に私は気付いてしまった。
ママも……ママたちもあの夢の世界で会っていたんだわ!
兄が「だからルティエもそうならないように、心配で閉じ込めているのに……」とボソボソ呟く。
それどころではない私は、必死に思考を巡らせていた。
……本当のパパは王弟だった人。
私が物心ついたころに、病弱で早くに亡くなった人だと聞いたことがあるわ。
……パパ……
朧げな記憶の中、拙い踊りを披露した幼い私に、優しく笑い返す男性の様子を賢明に思い出していた。
その人は……
ベッドの上で何とか起き上がり、そばに座るママと手を繋ぎ寄り添っていたかも……
私は感傷に浸りながらも、少しだけ父を覚えていた事と、自分は愛し合う2人から生まれた存在だという事に、言いようのない幸福を感じていた。