5:それでも私は
「…………」
今日は天気が悪いのか、空は少しどんよりとしていた。
そんな薄暗い朝、私はいつもの部屋で目を覚ました。
そしてまた目をギュッと閉じた。
恥ずかしさでタオルケットを引き上げて、頭まで被り直す。
…………
またすごい夢を見てしまったわ。
なんかすごくイチャイチャしてた。
思う存分、戯れ合っていましたよ。
…………願望?
………………
私はのそのそと起き上がり、寝起きのままバルコニーに出た。
身なりを整えていないけれど、そんな気分じゃないし、誰も見ていないでしょ、と思いながら。
遠くにはいつもと変わらない城下街が見える。
私は視線を移し、ずっとずっと彼方を見つめた。
灰色の雲が覆い尽くすその先を。
ーーーーーー
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毎日のルーティンは偉大なもので。
眠くなってしまう時間も必ず来てしまうもので……
私はいつも通り、夢の世界に来ていた。
今日は池の舞台の真ん中にしゃがみ込んで、さっきからずっと考え事をしていた。
…………歌う?
今日も呼ぶ?
でも流石に気恥ずかしいな。
どんな顔して会えばいいんだろう?
昨日のことを思い出して、勝手にポポポと頬を赤くする。
そんな自分の両頬を手で押さえながら、目を閉じて考え続けた。
でも会いたいな。
現実では部屋に1人で過ごしているからか、めちゃくちゃ寂しがり屋になっている。
…………
夢の中の人だし。
私が好きな時に会って何が悪いの!?
最後は恥ずかしさを強引に誤魔化した。
その勢いのままスクッと立ち上がると、口を大きく開けて歌い始めた。
『Νομοιξυ ογιρυνορο〜♪』
『Ορκέληςηο δόριψαρεμα〜♪』
だいぶ間違えずに歌えるようになってきた『悦びの歌』を、丁寧に一音一音奏でる。
もし本当にレイユが歌に呼ばれているのなら……
どうか届きますようにーー
その時、近くでドサリと何かが倒れる音がした。
「!?」
驚いた私は、すぐさま歌をやめてそちらを見る。
「レイユ!?」
彼は神殿に立ち入った所で仰向けに倒れていた。
そして遠目からでも分かるほど……
お腹に大怪我を負い、血を流していた。
「大丈夫!?」
レイユに駆け寄った私は、しゃがみ込んで彼の様子を窺う。
苦しそうに眉間にシワを寄せた彼は、意識を失っていた。
「レイユ? レイユ!?」
何度か呼びかけると、彼はゆっくりと目を開いた。
「…………歌で……呼んでくれてありがとう。……間一髪の所……だったから…………」
何とか地面に手をついて起き上がるレイユ。
そのお腹には大きな切り傷が。
黒い軍服から覗く赤い線から、ポタポタと滴り落ちるほどの血が流れている。
「…………っ!!」
このままではレイユが死んでしまう!
傷の大きさと流れる血の量にそう直感する。
私は彼の腕を掴み上げて、その下に潜り込みながら口早に話しかける。
「ひとまずベッドに行きましょう」
レイユを脇から抱えて、非力ながらも彼が立ち上がるための手助けをする。
ふらつきつつどうにか立ってくれた彼を支えて、私たちは移動した。
白いベッドにレイユを横たわらせると、彼の衣服の前を開ける。
腰に携えている剣も外した。
…………
以前はハッキリ見えなかった剣の柄の先にある紋章が、嫌でも目に付いた。
私はこの紋章を……
知っている。
「…………」
キュッと口を引き結んで気を取りなおすと、天蓋の一つに手をかけた。
力強く引っ張ると、天井の枠の所で破れた。
それを細長く切り裂き、レイユのお腹の傷に巻きつける。
気休め程度だけど出来るだけ止血をした。
「…………待っててね。私が治してあげるから」
眉をひそめて苦悶の表情を浮かべるレイユにそう声をかけると、私はきびすを返して池のステージへと向かった。
トンと軽やかにジャンプをして舞台に立った。
青い月明かりが私を勇気づけるように、優しく降り注ぐ。
私は祈りを捧げようと右手を振り上げた。
その瞬間、さっきの紋章が頭をよぎる。
「…………」
けれど同時に、私のナイトドレスについた彼の血痕が目に入った。
白いドレスを鮮やかに染める赤。
彼の、命のカケラ……
「…………」
私は静かに目を閉じた。
迷いを振り払い決意を固めると、目をパチリと見開き高らかに歌い始めた。
『♪〜 Ψυρακάβε τυτοιρυνα』
『♪〜 Ψυρακάβε τυτοιρυνα』
『♪〜 Μυνινακυ ξοκεογορυ καναμαε』
現実の部屋でやることの無い私は、実は密かに踊りの練習をしていた。
誰も周りに居ない時は、こっそり歌の練習も。
『♪〜 Νομοιξυ ογιρυνορο』
『♪〜 Ορκέληςηο δόριψαρεμα τυψαε』
それが今回役に立って良かった。
間違えずに、いつもより速いテンポで祈りの儀式を行える。
『♪〜 Ψυετυνα σοεοε μομαρυτομι』
『♪〜 Κανατε κοροψυ κομενεκώωσ』
私は汗を薄っすらかきながらも、一生懸命踊った。
クルクルとターンを踏みながら、光の糸に手を伸ばす。
強い気持ちを乗せて喉を震わせる。
『♪〜 Τοτα ναδανόκυτι υτονοκύτιμα』
『♪〜 Τοτα σενοκύτι αδαρινοκυτιμα』
すると私の想いに呼応するかのように、月の魔力がキラキラ光っては次々と私の中に収まった。
眩しい光が高まっていき膨れ上がる。
どうか。
どうかレイユが助かりますように……っ!!
『♪〜 Ψυρακάβε τυτοιρυνα』
歌い上げ最後の振り付けを舞うと、神殿内が明るく光った。
真っ白な光が辺りを包み込み、何も見えなくなる。
祈りが通じて魔法が発動したのを感じた。
けれど一瞬の出来事だったので、すぐにいつもの静かな夜の森へと戻る。
「…………ハァ、ハァ」
踊り切った後の舞台には、私の荒々しい息遣いだけが聞こえていた。
「レイユッ」
私は弾かれたように、彼のいるベッドへと向かった。
するとそこには、穏やかな表情で目を閉じているレイユがいた。
眠っているのか意識が無いのか分からないけれど、ひとまず呼吸はしている。
けれどそれだけでは、ちゃんと魔法がかかったか分からないから、止血していた布を外して傷を確認した。
「っ良かったぁ…………」
レイユの傷は綺麗さっぱり消えていた。
私は脱力してベッドに緩く伏せながらも、まだ整っていない呼吸を落ち着けようと、大きく息をする。
するとベッドが軋んで、彼がモゾモゾと動き出すのが分かった。
私がゆっくり顔を上げると、目覚めたレイユが上半身を起こし、自分のお腹を見下ろしていた。
彼は戸惑いながらも傷があった場所に直に触れて、今は何もないことを確かめる。
「治ってる……すごい」
そうレイユが呟いたかと思ったら、私に手を伸ばして両脇をかかえた。
彼にされるがままに持ち上げられた私は、自然な流れでベッドによじ登る。
そして気付くと、そのまま彼の腕の中にすぽんと収まっていた。
「ありがとう。本当にありがとう!」
レイユが声を弾ませながら、私の頭に頬をくっつける。
「レイユが死ななくて良かった……」
私もゆるゆると彼の背中に腕を回して、しがみつく。
ギュッとレイユの胸にくっつけた頬が、彼の肌の温もりを感じ取った。
〝そういえば、前を肌けさせたから素肌に触れてるんだ……〟と途端に照れてしまう。
「ルティエは眠っている時にここに来るって言ったよね? 起きてる時はどこにいるの?」
レイユが私を抱きしめる力を緩めて、顔を覗き込んできた。
「…………」
嫌な予感がした私は、黙って彼を見つめ返す。
「君に会いに行きたい。僕はーー」
「それ以上言わないで」
私は慌てて顔を左右に振って続けた。
「夢の中だから……何もしがらみ無く会えるのよ」
そして悲しげに笑いかけた。
レイユは何かを感じ取ってくれたのか、私の要望通り、続きを喋ろうとはしなかった。
その代わりに、彼は微笑みながら優しく聞いてきた。
「じゃあこれだけは言わせて」
「??」
レイユに熱心に見つめられた私は、その翠色の目に惹き込まれながらも続きを待つ。
「ルティエがどこの誰だとしても愛してるよ」
「!!」
私は目を見開いた。
その瞳にみるみる涙がたまる。
彼の……レイユの、覚悟を伝えられた気がした。
今の私には、とても心に響く言葉だった。
感極まった私は、ギュッと目を閉じて涙をボロボロ流しながら伝える。
「わ、私も……愛してるっ!!」
幼い子のように泣きじゃくる私を、レイユはまた優しく抱き込んでくれた。
そうしていると、まるで何もかも許されたかのように、お互いがしっかり存在しているのを感じた。
ーー夢の中なのに。
ーーーーーー
少しだけ泣き止んだころに、レイユがそっと体を離して私の様子を窺った。
私もまだ涙が浮かぶ目でレイユを見つめ返した。
そしてお互いが顔を寄せてキスを交わす。
1度言葉にしてしまった想いが、とめどなく溢れ出す。
もっと触れ合っていたい。
愛しい人をそばで感じていたい。
この気持ちを伝えたい……
唇を重ねて。
呼吸を重ねて。
肌を重ねて……
たゆたう意識の中、私は彼を何度も呼んだ。
不安そうな私にレイユは優しく応えてくれた。
私が手を伸ばすと、彼は指を交差させてしっかりと握り返してくれる。
私は安堵のため息をついた。
……けれど心の奥では分かっていた。
彼の名前だけを呼んで、打ち消したかったのだ。
レイユ王子。
敵国の王子である彼の正体を……