4:惹かれ合って
「…………」
清々しい朝。
私はいつもの部屋で目を覚ました。
目線の先には毎朝見ている天井の木目。
何となくそこに焦点を合わせてみる。
そうしながらも、頭ではさっきまで見ていた夢の出来事を思い返していた。
…………
すごい夢を見てしまったわ。
めちゃくちゃカッコイイ男性が現れた。
夢の中の人なのに、一目惚れしてしまうほどに。
願望?
私の願望なの??
しかも初対面の彼とキスまでしてしまった……
それも私の願望なの!?
ーーどうなっているの!?
私はくるりと反転してうつ伏せになると、顔をベッドに伏せて、足をバタバタさせて……思う存分もだえた。
ひとしきり暴れると、大きく息をつきながら大人しくなる。
そして誰に言う訳でもなくそっと囁いた。
「……また会えるかしら?」
夢の中の人に会いたいと願うなんて、虚しい行為だとは分かっていた。
けれど心を揺さぶられる出会いだったから……そう思わずにはいられなかった。
**===========**
その日の夜。
眠りにつくと、やっぱりいつもの夢の世界に来ていた。
天蓋付きのベッドで目覚めた私は、すぐさま身を起こして辺りをキョロキョロ見渡す。
けれど夜の森の静けさの中、不思議な鳥の鳴き声と池の水音が聞こえるだけで、他に誰もいなかった。
…………
戦場で忙しいのかな……
あっ。
夢の中の人なのに、現実的なことを当てはめてしまっていることに気がつく。
私は顔を軽く振って、それ以上は考えないようにした。
けれど無意識に切なげな笑みを浮かべてしまう。
…………
私はベッドから降りると、彼と過ごしたガゼボへと向かった。
昨日お喋りをしたガゼボのベンチに座り、目の前の池を静かに眺める。
白い睡蓮の花が咲き誇り、水面にゆらゆら浮かぶ様子はなんとも神秘的だ。
そんな池の上を、2匹の蛍が儚く光りながら横切っていった。
寄り添う光を見送っていると、寂しい気持ちが湧き起こった。
現実の部屋ではいざ知らず、ここではそんなこと無かったのに……
彼に会いたいなと切に願っていると、レイユが言っていた言葉を思い出した。
『突然、歌声に呼ばれたと思ったらーー』
「…………そっか。歌……」
私は大きく息を吸った。
目を閉じて池に向かって歌う。
『Ψυρακάβε τυτοιρυνα〜♪』
『Μυνινακυ ξοκεογορυ〜♪』
オルケリス語のこの歌を想いを込めて紡ぐ。
すると昨日よりも歌の意味が何となく分かった気がした。
この歌は……
愛しい気持ちを歌ったもの。
その気持ちが抱ける相手が居ることへの〝悦び〟の歌……
伸び伸びと気持ちよく歌い終わると、森に優しい静寂が戻った。
青い月明かりを浴びる池は、変わらずに美しく煌めいている。
やっぱり……何も起こらないわよね。
と落胆している時だった。
背後から忍び寄った誰かに、両手で目隠しをされた。
「呼ばれたから来てみたんだけど……誰でしょう?」
クスクスと楽しそうに笑いながら、後ろにいる彼が言った。
「フフフッ。レイユでしょ?」
私も釣られて笑いながら答えると、正解を示すかのように目隠しの手が離れた。
私は嬉しさで笑みを抑えられずに、くるりと振り返る。
そこには私と同じように嬉しげに笑う、レイユが立っていた。
私たちは池のほとりをゆっくり歩いた。
お互いの歩調に合わせるために、チラチラ様子を窺い合っていると視線がぶつかった。
思わず照れ隠しに2人で笑い合う。
そんな幸せな瞬間を過ごせて、私の胸は喜びで溢れていた。
「昨日は肩を治してくれてありがとう。帰ったら仲間たちが驚いてたよ」
レイユが私に向かって優しく笑いかけて続けた。
「どうやって治したのか聞かれたから、綺麗な女神様が治してくれたって答えたんだ」
「…………」
ニコニコ笑うレイユに対して、私は頬を赤くして照れた。
「そしたら、僕が庇って助けた友人がすっごく感激してさ。泣いて喜ぶものだから……」
「ちょっと待って、友人を庇ったから怪我をしたの?」
私は思わず彼の話を遮る。
「うん。そうだけど」
「…………」
きょとんと答える彼に対して、私は口をつぐむしかなかった。
……レイユに怪我をして欲しくないからって、友人を助けないでとか言えないわ。
それに……生きるか死ぬかの厳しい戦場で、他人の事まで気にかけるなと切り捨ててしまう私は、随分冷たい人間なのかもしれない。
自分の冷淡さにシュンとして目を伏せると、ホタルが私の顔の近くを横切った。
「キャッ!」
驚いた私は足を滑らせてしまった。
「ルティエ!?」
池に向かってよろける私に、レイユが慌てて手を伸ばす。
けれど2人で、もつれるようにして池に落ちた。
バシャンと水飛沫があがり、水面に波が広がっていく。
ーーーーーー
幸い池の浅い部分だったらしく、座り込んだ状態のレイユにいつの間にか抱きかかえられていた。
腰のあたりまで池に浸かってはいたけれど、彼のお陰で全身がずぶ濡れになることを防げたのだろう。
私はすぐに体を起こしてレイユを見上げる。
「ごめんね。どこか怪我してない??」
心配する私の視線を受け止めたレイユは、一瞬の間を開けたあとに、右目を押さえてうつむいた。
「いたたたた……」
「目が痛むの?」
「何か入ったようで……」
そう言った彼の前髪は、確かに水で濡れていた。
水飛沫を浴びて、池の中の何かが目に入ったのかもしれない。
「えぇ!? よく見せてっ」
私は目を押さえている彼の手を退けて、頬に両手を添えて真剣に覗き込んだ。
しばらくその綺麗な翠色の目を、念入りに見つめた。
するとレイユが「フハッ」とたまらずに吹き出す。
そして次の瞬間には、顔を寄せてきたレイユにキスされていた。
唖然としている私を彼はギュッと抱きしめ、おでこをくっつけたまま告げられる。
「はぁ。僕を心配するルティエが可愛い過ぎて……目は見つめられたら治ったよ」
レイユが全く悪びれずに冗談を言う。
「……め、目が痛かったのも嘘よね?」
真っ赤になりながらも、彼の頬に添えたままの両手をゆるゆると下げた。
「んー?」
レイユはフッと笑いながら、また私にキスをしてきた。
軽いキスを何度もされて、頬や耳たぶにもされる。
何だか宥められている気もしたけれど、たくさんの愛情を伝えられているようで嬉しくもあった。
……私も返さなきゃ。
そう思った時には、私もレイユを抱きしめ返していた。
彼が一瞬動きを止める。
その隙に私からもレイユにキスをした。
唇が触れるだけの軽いキス。
「…………」
照れながらも彼を見ると、驚いてその翠色の瞳を大きくしていた。
「……?」
私は〝何か間違ったかな?〟と頬を赤くして顔をかしげる。
すると途端にレイユが破顔し、愛おしげに私を見つめてより一層強く抱きしめられた。
レイユが私の首元に顔を埋める。
私も彼の胸元に頬を寄せる。
胸はいつになくドキドキしているのに、こうしていると……レイユと触れ合っているとすごく落ち着く。
ーーずっとこうしていたい。
そう思えるぐらい、彼のことが愛おしくて仕方なかった。
いいよね?
会ったばかりの人だけど。
いいよね?
だって夢の中だもの。
私とレイユは、どちらからともなく顔をあげて見つめ合った。
そしてゆっくりと目を閉じる。
遠くでは笛のような不思議な鳥の鳴き声が、相変わらず優しく響いていた。