2:舞い踊り歌を捧げる
「さっきのはいったい……?」
あの白いうさぎは、ママがくれたぬいぐるみ?
夢の中だから、不思議なことが起こっているだけかしら?
私はしばらく両手を見つめたまま考え込んでいた。
けれど指で目尻に浮かんだ涙を拭うと、気を取りなおして周りに目を向ける。
すると、狭い場所に迷い込んでいることに気付いた。
そこは神殿の奥にある小さな部屋だった。
こぢんまりとした机と椅子があり、簡易的な書斎のようだ。
その机の上には2段の小さな本棚があり、古めかしい本が数冊並んでいる。
その中の1番大きな本を手に取り中を開くと、5本の横線と音符が目に飛び込んできた。
薄いブックのようなそれは、ある歌の楽譜だった。
「『Ψυρακάβε ναυτο』……?」
楽譜のタイトルを読み上げた私は、首をかしげながらもいったんそれを本棚にもどし、他の本に手を伸ばした。
次に選んだ本は3センチほどの厚さがある革張りの本で、文章がびっしりと並んでいた。
私は表紙をめくって読み進める。
「…………えっ??」
文字を追っていた目の動きが思わず止まった。
中身を理解した瞬間に、衝撃で動けなくなってしまう。
その本は……
私と母のルーツを説明している本だった。
【オルケリス】
古くに存在した、舞い踊ることにより奇跡を起こす一族。
そんなお伽話の一種だと思われている民族が、母と私の起源だった。
私は本を無我夢中で読んだ。
部屋の中に差し込む月明かりを頼りに、はやる気持ちを抑えて文字を追う。
……この本に書いていることは本当なの?
ここは夢の中じゃ……?
私が見せている壮大な夢!?
意識の端でそんなことを騒がしく思いながらも、ページをめくる。
パラリパラリと一定間隔でめくられるページ。
夢中すぎて、どのくらい時が経ったのかも分からなくなっていた。
そうして周りの音も聞こえなくなるほど本の内容にのめり込むと、めくった先が突然真っ黒になった。
同時に視界も暗転し、さっき見た真っ黒が裏表紙だと気付いた時には………
私はいつもの部屋で目を覚ましていた。
「!?」
飛び起きた私は、ドキドキと早鐘を打つ胸が落ち着くのを待った。
足にかかるブランケットをギュッと握りしめ、目線を彷徨わせる。
夢!?
……すごく……感覚だけはリアルな夢だった。
…………
ちょうどその時にガチャリと扉が開いた。
反射的にそちらを見て待ち構える。
現れたのは、いつものように私をチェックしにきた兄のディメリオだった。
私の視線に気付くと、彼が少しギョッとした。
「今日は起きているんだな」
「…………」
「どうした?」
「……いいえ。何も……」
私はディメリオから目を逸らして、首を横に振った。
「…………しばらく城を開ける」
ディメリオの抑揚の無い声が私に向けられた。
兄が私に喋りかけてくるなんて珍しい。
私は俯きながらも、ディメリオの次の言葉を耳をすませて待っていた。
戦場と城を忙しく行き来していると聞く兄だけど、とうとう戦場に入り浸りになるようだ。
それだけ戦争が激化しているのだろう。
「…………」
どれだけ待っても続きの言葉が無かったので、私は思わず顔を上げて彼の様子を窺った。
「……今日も大人しくここで過ごすんだぞ」
けれどディメリオはいつもの忠告をすると、さっさと出ていってしまった。
**===========**
それからも私が眠ると、決まってあの幻想的な世界の夢を見た。
その世界に3日もするとすっかり慣れてしまい、今では伸び伸びとベッドに寝っ転がっていた。
そこで神殿の奥から取って来た本を読む。
ここには私以外誰もおらず、咎められることもない。
いくら行儀が悪くても、グチグチと嫌味を言われる心配も無かった。
…………
そっか。
誰もいないんだ。
はたと気付いた私は、頭元に重ねてあった本の束から、あの楽譜を手に取った。
体を起こして、ベッドの上でペタンと座りこむ姿勢になる。
「uh〜〜♪♪♪」
まずは音程のみを拾い、ハミングで歌ってみた。
伸びやかであり、ところどころ跳ねるようなリズムの曲。
どこか懐かしくて暖かい気持ちになる。
「これにこの歌詞をつけるのね……」
私は音符の下に書いてある、見慣れない言語を思わず睨みつけた。
オルケリスの言語だそうで、私には全く読めない。
「……けど、こんなものも見つけたのよね〜」
私は違う本の間から出てきた紙を、いそいそと広げた。
そこにはオルケリス語にフリガナを振ったメモが書いてあった。
「何世代か前のオルケリスが書いてくれたのかしら? ママだったりして」
私は久しぶりにフフッとほほ笑んだ。
永い時を受け継ぐ私の特殊な血筋。
それは誰かと繋がっている証のように感じられて、とても嬉しかった。
今の独りの私には何とも心強い。
「しーら、かーば、てぃてぃりなー♪」
私はつたない発音で何となく歌ってみた。
どんな歌詞の意味なんだろう。
きっと『悦びの歌』だから、何かを祝福しているのかな?
…………あれ?
どうして楽譜のタイトルは読めたの??
確かオルケリス語で書いていたよね……
そう思ってタイトルに目を向けようとした時だった。
神殿の中にある池の水面が、突然まばゆい光りを発した。
一瞬で収まったものの、驚いて池を見てみると、真ん中に四角い床が迫り上がっていた。
池の縁から1メートルぐらい内側に出来た床。
他の床と同じように白い石で出来たそれは、池の中のステージのようにも見えた。
それを見た瞬間に私はピンときた。
ーーあそこで祈りを捧げるのね。
私たちオルケリスは、歌い踊り、月の女神に祈りを捧げる。
そうすることで〝願い〟を叶えることが出来る魔法使いのような民族だった。
なんて手の込んだ設定なのかしら!
私の心は弾んでいた。
不思議なことが起こり続けるこの世界が、とても好きになっていた。
例え私の頭が見せる都合の良い夢だとしても、現実のあの息が詰まる部屋よりも、何倍も何倍も楽しかった。
私はベッドの縁から足を垂らして靴を履いた。
それからスッと立ち上がると小走りし、池の上の舞台へとジャンプした。
白いナイトドレスがひらりと舞う。
舞台の真ん中に立つと、誰もいない前方の森に向かって、私はペコリとカテーシーをした。
夜空を見上げると、返事かのように星たちが煌めいている。
踊るのはもちろんーーーー
ママが教えてくれた特別な踊り!
私がニッコリとほほ笑んで目を細めると、その拍子に何かが見えた。
「??」
驚いて目を見開き辺りをみると、白く輝いている光の流れのようなものが薄っすらと見える。
これは……
月の光の魔力?
漂っている糸のような光の1つに、私は触れてみた。
しっかりと触れることが出来たそれを、思うがままに手繰り寄せる。
すると、魚のひれのように光の尾が閃き、宙になみなみ模様を描いた。
それが私のそばまで来ると弾けるように消えてしまい、体の中がほんわりと暖かくなる。
「分かったわ! これを集めればいいのね」
思い立った私は軽やかにステップを踏んだ。
クルクルと回っては、光の糸を撫でるように手繰り寄せる。
次々と弾けて消える光は、まるで私の体に還っていくかのようだった。
「あはっ♪」
私は自然と笑みをこぼしながら、誰もいない月夜の舞台で光たちと踊り続けた。
……全部は覚えていないけど、歌ってみようかしら?
気分が乗ってきた私は、こうだったかなと記憶を辿りながら『悦びの歌』を奏でる。
『シーラ カーヴァ ティティリナ〜 ♪』
『ミニナキー ソーケオリー カナマエ〜 ♪』
ママも……
昔のオルケリスたちもここで歌って踊っていたのかな?
月を仰ぎ、女神に向けて歌い上げる。
夢の中の設定のはずなのに……私は祈りを捧げる儀式に心地良さと同時に切なさを感じていた。
そうやって初めてながらも一生懸命歌い踊っていると、誰かに見られている気がした。
……誰?
踊りながらもそちらを意識して見ると、視界の端に人影が映った。
私はピタリと踊りも歌もやめて、その人物と目を合わせる。
踊ったばかりなので、肩を大きく上下させ、口でも深く息をして呼吸を整えながら。
私の見据える先にはーー
いつの間に神殿の中に入ったのか、呆然と私を見ている男性が佇んでいた。
黒い軍服の上に白いマントを羽織った気品溢れる彼は、どこかの王子様のように麗しい。
初めは驚いて目を見開いていた彼が、止まった私に気付くと、その目を閉じるようにニッコリと穏やかに笑った。
「すごく綺麗だね」
「っ!?」
自分の夢の中で作り出した人物なのに、私は顔を赤くして盛大に照れた。