10:彼女を信じて
僕は焦る心を抑えて馬を走らせた。
目指すは敵の国の中心地。
ありがたいことに、行く道の先々で敵兵がバタバタと倒れていく。
そのため、敵の国境内に入った僕を邪魔する者は、一切いなかった。
戦場である平原を超えると、栄えた街が見えてきた。
その奥には白亜のお城が。
朝日を浴びてキラキラ光るその城から、ルティエの歌声が聞こえていた。
いつもは異国の言葉の歌詞なのに……
何故か今日はその意味が伝わってきた。
彼女の悲痛なほどの想いを乗せて聴こえてくる!
♪〜
Μυνινακυ ξοκεογορυ
καναμαε
Νομοιξυ ογιρυνορο
Ορκέληςηο δόριψαρεμα
τυψαε
Ψυετυνα σοεοε
μομαρυτομι
Κανατεκοροψυ
κομενεκώωσ
Τοτα ναδανόκυτι
υτονοκύτιμα
Τοτα σενοκύτι
αδαρινο κυτιμα
Ψυρακάβε τυτοιρυνα
♪〜
ルティエの元へと僕は急いだ。
彼女の国の人たちも、何事かと家から様子を窺いにチラホラ出てきている。
こちらの世界で祈りを捧げるルティエの歌は、みんなにも聞こえているようだ。
城の方を見て歌に聞き入る彼らを尻目に、僕は馬を急がせた。
恋焦がれている女性にやっと会えるというのに、城に近付くにつれて胸騒ぎがする。
街を駆け抜けて、やがて立派な城門が見えて来るころ、ルティエが珍しくここの言葉で歌い始めた。
『貴方だけを愛しています』
『これからもずっと』
それを最後に歌は止まってしまった。
ますます胸がざわめいた。
「ルティエ!!」
城の敷地内に押し入って、彼女がいる場所をキョロキョロと探す。
すると使用人たちがみな、ある場所を呆然と見上げている様子が目に入った。
僕もその視線を追って屋根の上を見る。
……そこには、屋根から身投げした女性と、それを追いかける男性の姿があった。
「あぁぁぁああ!!」
「ルティエ姫様!?」
「国王様ぁ!!」
使用人たちが悲鳴を上げた。
〝やっぱりこの国の姫がルティエなんだ〟
頭の隅でそんなことを思いながらも、目の前の光景に釘付けになる。
真っ逆さまに落ちていく2人。
追いついた国王が、ルティエを守るように抱きかかえる。
そして……
大きな池へと落ちた。
水飛沫が舞い上がり、降り注ぐ雨のようになる。
数名の使用人たちがそろそろと池に近付き、ゆらめく水面を見守った。
僕もルティエの無事を祈りながら、少し落ち着き始めた波紋の中心を凝視する。
…………
けれど……
水面から勢い良く顔を出したのは……
ディメリオ国王ただ1人だった。
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「ふぅ。何とか落ち着いてきましたねー」
さっきまで机に向かい、何やら記入していた側近のクリストが、筆を放り出して伸びをする。
長らく続いた執務作業で、固まった体をほぐしているようだ。
ここは城内の執務室。
自国に戻った僕は、戦後の処理に明け暮れていた。
残すは書類仕事のみになり、今まさにひと段落ついた所だった。
「そうだね。弟のルーカスも軌道に乗ったようだし」
僕も筆を置くと窓の外を眺めた。
その方角の彼方には、ルティエの国があった。
ーー池に落ちたはずのルティエは、忽然と姿を消していた。
後日、池の底に沈んでないかと捜索したけれど、何も見つからなかった。
ルティエと一緒に身を投げたディメリオ国王は、自分の腕の中で最愛の妹が消えたものだからか、抜け殻のようになっていた。
そんな彼の証言を信じるなら、ルティエは光に包まれたかと思うと、泡になって消えたらしい。
結果として敵国の王族の1人が失踪し、王が腑抜けになってしまった。
しかも1人で駆けつけた僕を追って、クリストが軍隊を率いてついてきてしまったので、ルティエの国を制圧する流れになった。
無事に戦争が終結し、属国となったルティエの国は、僕の弟のルーカスが治めている。
ディメリオ国王は幽閉し……ルティエは行方不明のまま。
けれど、2人が飛び込む様子を見ていた使用人たちの噂が市中に広がり、ルティエは燃え盛る炎で身を焼かれ、池の中に葬られたことになってしまった。
実際に彼女は国民たちの前に姿を現さない。
そのことがますます、彼らに噂を信じさせた。
国民たちは、ルティエ王女を敬愛していた。
そんな彼女を失ってしまった国民たちは、王女の死を語り継いだ。
長く続く戦争に嘆き悲しんだルティエ王女が、国の行く末を悲観し命を絶ったと。
彼女の最期の願いが天に届き、兵士たちが眠りについたことで、犠牲者を最小限に戦争を終わらせたと……
誰もが……ディメリオ国王でさえも亡くなったと受け止めている中、それを全く信じていないのは僕1人だけだった。
だってルティエは言っていたから。
『貴方だけを愛しています』
『これからもずっと』
あれは彼女からのメッセージだ。
本当に死ぬ気でいたのなら、ルティエは『これからもずっと』なんて言わない。
ルティエの国の方を見て彼女に想いを馳せていると、僕はつい呟いてしまった。
「待ってるのにな」
「……だからって一生結婚しないのは、やめてくださいよ」
クリストがブツブツと小言を言う。
「でもルティエは今もどこかで生きてるよ。僕だけでも待っててあげないと」
振り向いた僕は、不貞腐れる側近に向けて笑いかけた。
でも彼は〝ダメだな、これは〟という冷めた目つきをして、次の仕事に移ろうとする。
だから僕は少しだけ意地になった。
「ルティエの歌声を聞き逃さないように、いつだって耳を澄ましてるんだ。今だってほら……」
少しオーバー気味に言い張ると、僕は目を閉じて片耳に手を当てた。
聞き入っている仕草のまま続けて喋る。
「こうすると彼女の歌声が…………うたごえが……」
僕は目を見開いて床のある1点を凝視した。
そうすることで耳に意識を集中させる。
鼓動が早まり、動揺で瞳が揺れた。
じわりと涙がこみあげ、見ていた絨毯の模様が滲んだ。
「レイユ王子?」
クリストが心配そうに僕の様子を窺う。
「歌声が……聞こえるんだっ!!」
「えぇ!?」
その途端に僕は部屋を飛び出した。
「夕方に公務が入ってるんで、戻って来て下さいよー」
背後から呑気な側近の声がした。
僕は微かに聞こえる彼女の歌声を、まるで追いかけるように走った。
「待って、待ってくれ! 止まらないでくれ!!」
ルティエの歌声は聞こえるだけで……僕を呼んでいるものじゃなかった。
違う誰かに歌っている?
本能でそう感じ取った僕は、無理矢理彼女のいる場所へ行こうと考えた。
……ルティエに呼ばれて転移する時、必ず水の中に入る感覚がした。
……彼女は池に飛び込んでどこかに消えた。
ルティエがいる場所と、僕がいる世界を繋ぐものは……清らかな水!!
城内を走り抜ける僕を、使用人たちがみな一様にギョッとして見送る。
そんな彼らの間をすり抜けて外へ出ると、急いで城の裏手に出た。
そしてその勢いのまま、そこにある湖へと飛び込んだ。




