1:囚われのお姫様
「今日も大人しくここで過ごすんだぞ」
もう何度目か分からないその忠告を、兄のディメリオが私にしてきた。
彼は亡き父に代わって王位を継承した、この国の国王。
そんな彼は王様になった途端、私の部屋に来ては朝の挨拶ならぬ忠告をしていくようになった。
私がぐっすり眠っていようがお構いなしに、自分の予定優先で訪ねてくる。
おかげで今さっき、私は起こされた。
「…………」
上半身だけを起こしてまだベッドにいる私は、気怠げに彼をジロリと見つめる。
多少の不満を込めて。
部屋の扉に手をかけたディメリオが、私の視線を何食わぬ顔で受け止める。
そしてその仏頂面のまま外に出て行った。
パタンと扉を閉めたあとには、鍵を閉める音だけが鳴り響く。
私は自分では開けることの出来ない扉を、しばらくじっと見ていた。
何も変わることは無いと分かっているのに、ただじっと……
この国の第二王女である私はーー
ディメリオの命令で部屋に閉じ込められていた。
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兄のメイドによって運ばれてきた朝食を、部屋のテーブルについて1人でいただく。
毎日毎食独りの食卓に寂しさを通り越して、もはや何も感じなくなった。
ついでに味も感じなくなったのか、最近は何を食べても美味しくない。
幸い毒は入れられておらず、食事を抜かされることも無いので、有り難がるべき所なのかもしれない……
長い孤独に思考も偏り出す。
そんな自分に気付き、「はぁっ」とクセになってきた溜息をもらした。
味気ない食事が終わると、誰に会う訳でもないのに朝の支度をする。
モソモソと動き始めた私は、洗面台に立った。
小さな頃からお世話役なんてついていなかったから、自分のことぐらいは自分で出来る。
そのことが今の環境に適応することに繋がるなんて、なんとも皮肉なものよねと思いながら、タオルで顔を拭いた。
ナイトドレスから室内用のドレスに着替え、鏡の前に座り自分で髪を梳かす。
このドレスも兄のメイドが用意したもの。
髪を梳かすブラシも……
何もかもが管理されており、それらを目に入れるのも正直苦痛だった。
けれど、この部屋には自分で用意した物なんかない。
また「はぁ」と溜息をつきながら、鏡の中の女性と目を合わせた。
ホワイトブロンドの絹糸のような長い髪に、青い瞳……母親譲りの美貌を兼ね備えたはずの王女は、暗〜い表情をしていた。
「今日はせっかくの誕生日なのに……」
思わず目を伏せながら愚痴をこぼす。
膝の上に置いた両手をギュッと握りしめながら。
ーー誕生日。
母が私をこの世に生み出してくれた日。
「ママ…………」
けれど母はもうこの世にいない。
それどころか、ここには私の誕生日を祝ってくれる人なんて誰もいない……
私は窓の外へと視線を向けた。
若い頃の母は、国を転々としていた美しい踊り子だった。
自由奔放でエネルギッシュな母は、1箇所に留まることが性に合わなかったそうだ。
彼女の細長くてしなやかな四肢で舞い踊る可憐な姿は、どこへ行っても人々を惹き付けてやまなかった。
そんな母にいたく魅了されたのが、当時この国の国王だった父。
父は、どこの国にも属さない母を手元に置くために、無理矢理娶ったそうだ。
それで生まれたのがこの私、ルティエ。
名目だけの〝第二王女〟という肩書きを背負っていた。
そんな妾の子である私は、正統な血筋の兄を支持する貴族や議員たちに、生まれながらに嫌われてしまう。
母が亡くなると、私に対する態度は更に極端なものになり、居ない者として扱われた。
父も私には興味が無く、助けてはくれなかった。
最低限の世話の他は、放任されることになったのだ。
けれどそこは、私も自由奔放な母の子。
誰も気にしないことをいいことに、私はお城をよく抜け出していた。
そして城下街に行っては、街のみんなに面倒を見てもらっていた。
私は立ち上がると、部屋からつながるバルコニーへと出た。
遠くに栄えている城下街が見える。
「……もう、あそこに行くことは出来ないのかしら?」
思わずジワリと涙が浮かんだ。
この国の人は、いい人たちばかりだ。
母を幼くして亡くした私を、みんなが優しく育ててくれた。
私のつたない踊りにも拍手をしてくれた。
けれどそれが、国民たちからの第二王女を支持する流れに繋がってしまった……
…………
そして国王の座を脅かされると考えたディメリオに、とうとう監禁されてしまったのだ。
……昔はもう少し仲が良かったはずなのに。
幼い頃の記憶の中にある兄は、城の庭園を私と一緒に駆け回って遊んでくれた。
深い池に落ちそうになった私を、助けてくれたりもした。
けれど、いつしか周りの大人たちに離されて、会うことも無くなっていった。
私はバルコニーから少しだけ見える庭園を見つめた。
大きな池に面したその庭園は、今も変わらず美しい花々を咲かせている。
あの頃と変わらない様子に、当時の楽しかった気持ちを思い出してしまう。
それと同時に、すっかり変わってしまった兄との関係性を寂しく感じた。
…………
私を閉じ込めたディメリオは、まもなくして他国との戦争を始めた。
野心家の彼は、もっともっと国を大きくしたくなったんだと思う。
そして狡猾だから、私が戦争に反対して国内で反逆が起こることを、未然に防いだのだ。
私はバルコニーの柵に手をかけて、また遠くに見える街を見つめた。
「…………みんな、ごめんね……」
そう懺悔しながら柵を握りしめる。
平和を愛し、小さな幸せに笑っていた街の人たち。
戦争なんかしたくなかっただろうに。
せめて……
早くこの戦争が終わりますように。
何も出来ない無力な私は、神に祈るように項垂れた。
街のずっとずっと遠くの空では、戦火による煙が、いく筋も上がっていた。
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今日も変わりない1日が終わり、私は眠りにつく準備をする。
ベッドに仰向けに寝そべり、天井を見つめた。
月明かりが差し込む室内は、嫌になるほどの静寂に包まれている。
自分がたてる衣擦れの音がやけに大きく聞こえて、忌々しさを感じる程だった。
そんな陰鬱な気持ちを抱えて目を閉じていると、ありがたいことに睡魔がおそってきた。
意識が次第に落ちていく。
深く、深くーー
私は夢の世界へと堕ちていった。
ーーーーーー
不思議な音が聞こえた。
遠い彼方で木々のざわめきが聞こえる。
そこで鳴いているのか、笛の音色のような聞いたことのない鳥の声。
そして、水の気配…………
「??」
いつもの部屋と様子が違うことに気付いた私は、そっと目を開けた。
「……ここは?」
寝ぼけながらも、ベッドに手をついて体を起こす。
私は無駄に広いベッドの上で眠っていた。
薄くて白い布が幾重にも垂れ下がるこの天蓋付きベッドは、私を守る繭のようだ。
優美なドレープを描くその天蓋の隙間から辺りをみると、ここは天井や柱が所々朽ちた白い神殿の中だった。
朽ちた場所には補うように木が枝を張り巡り、あらゆるところに蔦が這っている。
昔は何かの儀式を行なっていたかのような、厳かで立派な神殿だった。
「…………夢の中?」
そう呟いてもっと遠くに目を向けると、外には青い月の光に照らされた森が見えた。
神殿の柱の間からも月明かりが差し込んでおり、斜線模様を描いている。
そうして石造りの床に目線を滑らせていると、白い花が見えた気がした。
私は少しだけ天蓋のカーテンを押し上げて目を凝らす。
「わぁ……!」
何とも幻想的な光景に、私は思わず感嘆の声を上げた。
私のいる寝台の数十歩先には、白い睡蓮の花が浮かぶ浅い池があった。
建物内に造られたその池は、どうやら外から水を引いているようで、サワサワと流れている音がする。
心地の良い水音。
夜の静かな森から聞こえる不思議な音色。
それらを包む青い月の光。
神殿の外では蛍が飛んでいるのか、優しい光がフワフワと流れていく。
星が瞬いているように、時折り点滅しては他の光と戯れ合って楽しそうにダンスを踊っている。
〝不思議な夢を見ているなぁ〟と思っている時だった。
1匹の真っ白なうさぎがどこからともなく現れて、私のいるベッドに飛び乗ってきた。
「きゃっ!? ビックリした」
驚いてビクッとした私にうさぎも驚いたのか、ピョンとまた軽やかに飛ぶと、池とは反対側の神殿の奥へと向かう。
すると片耳についたピンクのリボンが、たなびく様子が目についた。
「!? 待って! あなたは……!?」
私はベッドから飛び出してそのうさぎを追った。
けれどうさぎは追いかけっこでも楽しんでいるかのように、ピョンピョンと跳ねていってしまう。
私は誘われるまま、そのうさぎを夢中で追いかけた。
あのうさぎは……
ピンクのリボンは……!!
必死でうさぎに手を伸ばし、気がつくと抱きしめるように捕まえていた。
フワフワな感触に懐かしさを感じた。
何故だか無性に切なくなって、涙が込み上げる。
けれどその途端に、うさぎは光り輝きながらパッと消えてしまった。
「あっ…………」
あとには空になった両手だけ。
ーー おめでとう ーー
どこからか、ママの声が聞こえた気がした。
私の両手に瞳から溢れた雫がポトリと落ちる。
ピンクのリボンをつけた白いうさぎは……
幼い頃にママがくれた、誕生日プレゼントのぬいぐるみにそっくりだった。