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プロローグ 『あの夏に結んだ契り』

 それはまだ彼が『俺』ではなく『ぼく』だった頃。

 右手に虫籠、左手に虫取り網――そんな夏の少年の装いで額には大粒の汗を滲ませセミを追い掛け回す。体力は無尽蔵で、乱れる呼吸もなんのその。たとえ獲物が小物だとしても全身全霊を賭してひっ捕らえに向かう。

 まだまだ純粋で人の醜悪さなぞ微塵も知らない少年。

 そんな無垢な心が在ったからこそ、少年は彼女との遭遇を果たしたのだろう。


 ――その出会いは少年にとっては偶然だった。

 ――その出会いは彼女にとっては救いだった。


 火照った身体を涼める場所として、少年が休憩場所としていつも訪れていた近所の神社。

 苔の蒸した石造りの鳥居。その額束に刻まれる名称は水祖神社。

 少年は鳥居を潜り抜け、境内へと続く不揃いの石段を一段飛ばしで駆け上がり行く。

 周囲は青々と生い茂る木々に囲まれ、隙間からの木漏れ日と吹き抜ける風が支配する聖域。境内に足を踏み入れれば、其処は何処か現実から隔離された厳かな雰囲気が立ち込めていた。

 少年は「あれ?」と声を溢して首を傾げる。

 いつもの雰囲気とは異なっているような気がしたからだ。

 ただ、子どもらしく深くは考えず、拝殿にある賽銭箱の隣に腰を下ろした。


 ちりん――と、鈴の音が鳴った。


 少年はぐるっと見回す。が、音の主は見当たらない。


 ちりん、ちりん――と、再び鈴の音が鳴った。


「――おや? 人払いは済ませていたのですが、迷い込んでしまいましたか?」


 いつの間に其処にいたのだろう。

 腰まで伸びた濡羽色の黒髪、蒼穹の如く澄み渡った双眸、透き通るような乳白色の肌――和服に身を包む女性が少年の前に立っていた。


「うわ~」


 少年は幼いながらにも女性の美貌と放たれている神秘さに感嘆の声を溢す。

 そんな姿に女性はくすくすと口元を押さえながら笑い、少年の隣に腰を下ろした。


「そんなに見詰められても何も出ませんよ?」


 ぽやーっとした表情で眺めている少年に、女性は笑みを浮かべながら言う。


「おねえちゃん、きれいだね!」

 

「ありがとうございます。彼方もカッコいいですよ」

 

「にへへ……」


 恥ずかしさ半分、誇らしさ半分に少年は鼻の下を擦りながら笑う。

 女性は笑みを浮かべたまま言葉を紡ぎ始める。


「此処は水祖神社。名の通りの神様を祀る場所。昔は石段を何度も上り下りして雨を願う儀式が執り行われている時代もありました」


 何処か懐かしむような表情で女性は続ける。


「多くの民が此処を訪れ、願いを口にし、神を進行していました。ですが時を重ねるほどに信仰は薄れ、若人はこの地を離れていきました。信仰が薄れてしまえば、神の存在意義も無くなってしまう。幸い、この神社は辛うじて氏子による管理が行われていますが、信仰という面ではあまりにも希薄となってしまいました」


 少年は黙って女性の話に耳を傾けていた。そして、不意に立ち上がると少年はポンポンと女性の頭を撫でる。


「おねえちゃん、なかないで」

 

「――え?」


 言われてはじめて女性は自身の両目から涙が溢れている事に気付いた。

 少年はずっと「よしよし」と女性の頭を撫で続ける。


「かみさまはさみしいの?」

 

「っ――⁉ そうですね、寂しいのかも知れませんね」

 

「うーん? かみさまには、ともだちはいない?」

 

「いないかも……知れませんね」

 

「なら、ぼくといっしょ! ちかくにね、こどもがぼくしかいないんだ。だからぼくもずっとひとり!」


 満面の笑みを浮かべて、少年は言う。


「……貴方は優しいですね」

 

「???」


「ふふっ、わかりませんか。ええ、貴方はその純真無垢な心を忘れないようにしてください」


「じゅんしんむく?」


 コテン、と首を傾げながら少年はそんな台詞を口にする。

 幼い少年には難し過ぎる言葉だったのだろう、女性は「ふふっ」と笑い声を溢す。


「心が綺麗ということですよ」


「うーん?」


「ふふっ、褒めているんですよ。それと折角なので貴方にはわたしの秘密をお話ししますね」


 女性は自身の秘密を語る事にした。

 別に打ち明ける必要は無かった筈だった。ただ、少年の在りように絆されてしまった。


「実はわたし、神様なんですよ?」


「かみさま? おねえちゃんが?」


「はい。水を司る神様なんです」


「ほえ~」


 理解しているのかしてないのか。少年は「神様」という言葉を聞いて、キラキラと目を輝かせて女性を見ている。

 と、少年は何かを思い出したのか、「う~ん?」と唸りながら頭を捻り出す。

 そして――、


「おねえちゃん!」


 少年が満面の笑みを浮かべて声を上げる。


「どうしましたか?」


「おねえちゃんが、ぼくのおよめんさんになったらさみしくないよ!」


「――――ええ⁉」


 女性は驚きの声を上げる。


「な、ななな、何を言っているのですか。お嫁さんだなんて……」


 ひとりじゃない。友達はいなくとも家族はいる。家族がいるから寂しくない。

 少年の導き出した答えは、そして他人が家族になる――結婚だったのだ。

 純真無垢だからこそ導き出された答えに、女性は驚きのあまり動揺する。いくら神様といえど、あまりにも乙女だった。


「むぅ~、かみさまはひとりだって。さみしいんだっていってたから、かぞくになったらさみしくないとおもったのに……」

 

 女性の驚きようを見て少年があからさまに肩を落としてしょんぼりする。


「嫌ってワケじゃありませんよ。ただ、少し驚いただけです! ええ、お嫁さんですか……お嫁さん……」


 女性は少しだけ遠くを見ながら目を細める。そして、隣で何やら期待の眼差しを向ける少年を見た。


「――貴方は、それで良いのですか?」


「ぼく、おねえちゃんがすきだよ!」


 今日が初対面であったというのに、少年は最大限の好意を伝える。勿論、それが『LIKE』なのか、それとも『LOVE』なのかまでは理解していないだろう。


「――ああ、わたしはイケナイ神様ですね」


 女性は少年へ顔を向ける。


「きっと他の神々はわたしをちょろい女神だと罵るでしょうね。ですが、わたしは貴方を受け入れましょう」


 そう言って、女性は少年の額に口付けをする。

 突然の出来事に少年は立ち上がり額に手を当てながら顔を真っ赤にしている。


「ただし、貴方はまだ若い。ですので時が訪れるまで待ちましょう」


 先ほどの口付け――言わばマーキングみたいなもの。


「時が訪れ、再会を果たした時――貴方をわたしの夫として迎え入れましょう。わたしの名は静流比売神(しずるひめのかみ)と申します」


「えーと、ぼくは――うりゅうみずき!」


 ここに契りは交わされた。

 これは2人しか知らない秘密の契り。

 小指を絡めて強固に交わした番の契り。

 この日以降、時が訪れるまで2人が顔を合わせる事はなかった。


 

 ――そして、あの夏から年月が経った。

 『ぼく』から『俺』となった17歳の少年――雨柳水樹(うりゅうみずき)は運命の(ひと)と再会する。

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