解散
ソニーは日当たりのいい窓辺で体を丸め、気持ち良さそうに昼寝をはじめた。
会議は再開され、クロエの銃不法所持について商会弁護士のヒューバーが状況を鑑みて再度申告をして所持携帯の審査を受ければ問題はないのではないかと述べた。
口を開きかけた二区区長を制し、それまで黙って聞いていた公爵がクロエに尋ねた。
「距離はどれくらいだったんだ」
クロエは当時の状況を思い出し、誘拐犯の時と大狼の時の大体の距離を言った。
「ならば、外すはずはないな」
公爵はにやりと笑い、クロエも頷いた。
「アンリ……先のリヴィエル伯爵と私は狩猟仲間だったんだよ。隣の男爵領の狩場には、クロエも含めてよく行ったのだ」
通常なら令嬢が狩猟に参加することはほとんどないだろう。
だが、父は一人娘を案じて射撃や護身術などフロレンス国の貴族子息が身につけるものをクロエに習得させた。
体術はあまり上達はしなかったが、射撃は得意だった。
父には狩猟によく連れて行ってもらい、公爵とも何度か一緒になったことがある。
「クロエは飛んでいる鴨を撃ち落としたこともある。隣の男爵の倅より……」
クロエの肩がぴくりと揺れた。
公爵も元婚約者の話題を口にしかけたことに気づき、咳払いをして言葉を変えた。
「その、なんだ、クロエの腕前は確かだ。その距離なら犯人の眉間を狙える」
一度目の発砲を外したのは、わざとそうしたのだと公爵は続けた。
「警告途中の発砲も、フロレンス国の貴族では対象を逃すための常套手段だ。こちらには殺す意思はない、だから一回目の発砲はわざと数えている途中で、対象から外して撃つ。それで逃走してくれればいい。だがそれでも逃げないならこちらにも危害が及ぶので次は外さない。他国では理解するのが難しいが、これもかの国の『高貴なる者の施し』のようなものだ」
「はあ、いろんな形があるのですな」
「平民にはわかりづらいなあ」
公爵がいてくれてよかったとクロエは思った。警察でもここでも、慣習の違いを自分ではうまく説明できなかった。
「銃不法所持の量刑は?」
公爵は弁護士のヒューバーに尋ねた。
「罰金です。ただ銃の使用について加味されると禁錮もありえます。お嬢様の場合は使用時の状況もありますので、罰金が相応かと」
科料を聞いてクロエは凍りついた。二ヶ月分の生活費に近い。婚約破棄の慰謝料があっても手痛い打撃だ。
「クロエお嬢様はイレーナの命の恩人だ。私が支払いますので、気になさらないでください」
ヨハンがクロエの顔を見て心の内を読み取ったのか、安心させるように言った。
「ところでクロエ、その銃はやはりアンリの持っていたうちの一つなのか?」
「ええ、おじ……公爵様。流感に罹る少し前に買い替えたのですが、最期まで傍に置いておりました」
公爵の目の色が変わるのを見た。
「製造はどこだ」
「ロッシュ社です」
「型番は?」
「そこまでは……」
変な方向に風が吹いてしまったらしい。
クロエは、父と公爵が酒が入ると遅くまで銃の性能や製造会社の話をしていたことを思い出した。
二人とも、最新式のものから使えるのかも定かでない古い銃など、戦争でも始まるのかと思うくらい蒐集に熱を注いでいた。
「今その銃はどこに?」
二区警察署長に尋ね、証拠品保管庫にあると署長は緊張気味に答えた。
「銃の持ち込みの再申告と所持携帯の審査を速やかに手配しなさい。クロエの身元保証人は私がなる」
「こ、公爵様がですか?」
「私では不足か?」
滅相もないと二区警察署長はぶんぶん頭を振った。
執事が入ってきて公爵の次の予定が迫っていることを知らせた。
今日は事後の緊急の招集なので、今後の状況を役所に報告することで話はまとまり、解散となった。
公爵は去り際に、銃が戻ったら見せにくるようにクロエに耳打ちした。
帰りはヨハンの馬車に乗り、ホテルまで送ってもらえることになった。
玄関までマティウスが見送りに来たが、クロエとヒューバーが乗り込んでもヨハンと兄弟で話し合っていた。
「そういえば、ソニーはどこに行ったのでしょうか」
「パトリス様が西の森に帰すと言って連れてゆきました」
「お嬢様に懐いているようでしたけどねえ」
「ですが、野生のものですから。自然に帰すのがいいと思います」
「お待たせしました」
話を終えたヨハンが馬車に乗り込んできた。マティウスはこのまま宮殿に残り、業務を続けるとのことだった。
クロエはマティウスに向かって座礼をした。
「色々迷惑をおかけしてすみませんでした、マティウス様」
「いいえ、クロエお嬢様。お疲れでしょうから、今日はゆっくりお休みください」
馬車が発進してからクロエはイレーナ達の様子をヨハンに尋ねた。
家令のザッカーが治癒魔法を少し使えるので、クリスティアンとイレーナの怪我はきれいに治った。
ホテル従業員のエリーゼは午後から有休扱いにして帰宅させ、明日も休みにしたという。
イレーナはやはり事件の衝撃が大きかったようで、しばらく外出させるのはやめようと思うとヨハンは眉を寄せて言った。
家庭教師の件も様子を見てからまた連絡するとのことだった。
ホテルに着くとクロエを下ろし、ヨハン達は会社へ戻った。
総支配人が涙ながらに大変でしたねと労ってくれ、今日はゆっくりお休みできるようにと香りのいい入浴剤をくれた。
エリーゼにはいつも助けられていることを伝え、もし彼女が辛いようならしばらく休ませてほしいとお願いした。
その間、メイドは付けなくてもいい。
部屋に着くと今までの疲れが急に体にのしかかってきた。
エリーゼに代わるメイドがいたが、夕食のメニューと時間を伝えて下がってもらった。
何も考えずに一人掛けのソファに座っていたら、あっという間に夕食の時間になり、食欲はなかったが、自分で頼んだ物なので機械的に手と口を動かして飲み込んだ。
夕食後はメイドに仕事をあがってもらい、いつものようにドアに椅子をかませ、総支配人からもらった入浴剤を入れて長めに湯船に浸かって腕や足などをマッサージした。
夜着に着替え、もう今日は何もせずベッドに入って本でも読んで寝てしまおうと思っていた。