79. 交通事故の少女
ある日、帰宅すると、近所で、交通事故があったという。そして、その事故のことは、夕方、近所の人から詳しい話しを聞きました。
その、交通事故にあった女の子は、近所に住んでいる小学生の女の子で、朝、通学中に、主婦の運転する軽自動車に引かれて即死だったということです。女の子は友達と歩いていて、轢かれたということでした。
その道路は昔から事故がよく起こり、それなのに歩道を設けることもなく問題になっているということでした。
私はすでに神主だったので、すでに、霊のことや供養についても、様々な知識を勉強していたので、自分に出来ることはないかと思い、供養のための祝詞があるので、それを、その現場で定期的にあげると供養にもなるし、その現場も浄化されて、今後の事故も減ってくるだろうと思い、続けてやることにしました。
自分は休みの日に事故現場に行き、祝詞を30分ほどあげることにしました。さすがに、休みの日以外は帰宅が遅いので無理でしたが、月に3〜4回くらいはあげていました。
そして、それから、2年ほどたったある日、私の勤める神社に、たまたまお参りに来ていた30才くらいの女性がいて、私が境内を掃いていると、その女性に話しかけられて、神社のことを説明し、時々お参りにくるようになっていました。
その方は、自宅から車で30分ほどかけて、来ていたのですが、その人は、実は、かなり霊感がある女性で、たまたま、ここに偶然通りかかって、時々来るようになったということでした。そして、その人は、霊をみることも声を聞くこともできるということを聞いて、私は早速、例の事故現場に彼女を連れていき、誰かいないかみてほしいと頼んだのです。
すると、小学2年生くらいの女の子がしゃがんでいるというのです。もちろん、私にはみえませんが。そして、しばらく、そこに、私と一緒にいて、その子の様子をもうしばらく見てほしいと頼みました。
すると、女の子は、近所の、犬を散歩させている人に、遊んで、と話しかけている、というのです。だけど、誰も、女の子の声も聞こえないし、姿も見えないので、誰も気がつくことなく、悲しそうにして、1人で遊んでいるということでした。
そこで、自分は、事故の後、供養のために祝詞をもう2年近くあげていることを話しました。その女性は、特に、神社やお寺とかに関連した仕事をしているわけではないのですが、これまで、色々なケースをみてきて、相談にのることもあり、霊の状態をみたりするだけで、様々なことが判断できるようになっていました。
すると、彼女によると、残念ながら、意外にも、そこまで供養になっていないというのです。そんなに長くあげていたなら、もっと効果がでて、もっと救われてもいいはずだけど、とりあえず、事故の苦しみからは逃れることができたようにはみえるので、2年間は全く無駄ではなかったと思う、と言われました。
それから、この子は、1人で、非常にさみしさのあまり、同じ現場で、他の通る車を事故を起こそうとしているということでした。そして、しばらくいたら、女の子が車の事故を起こそうとしているのを、彼女は見た、というのです。
自分は、驚きのあまり、耳を疑いました。私も、そのようなことが実際にあることは知っていましたが、こんなにリアルに遭遇したことは初めてで、実際に、ここで起こっていることを耳にして、驚きと、悲しみがあふれて仕方ありませんでした。しかし、その女性もとても驚いていたのですが、小さな女の子が、そんなことできるわけもない、するわけもない、と、そんな気持ちを持ちながら、しかし、今、ここでその事実を目の前にして、あり得ないと、ショックを受けていました。
人は亡くなると、霊界での苦しみというのは、一度苦しくなると、この世では例えようもなく苦しくて、苦しみが自分の世界になってしまう。そして、例えるならば、この世だと、何か、嫌なこと、苦しいことがあると、苦しくなるけれど、お腹がすくととりあえず、苦しいことは横においといて、ご飯を食べる。すると、また苦しくなるかもしれないけど、お腹がいっぱいになって少し気持ちが楽になることもある。少なくとも、食べている間は、苦しみから、たとえ少しでも逃れることができる。
それは、この世界では、みんな苦しくても、悲しくても、同じ世界にいるから、他の人とふれあったりして癒されたり、苦しみを減らすことも失くすこともできるし、苦しみは、自分にかぶさったり、乗っかったりしているだけで、自分は、苦しみそのものではないので、苦しみは、あくまでも対象物にしかすぎないから、自分から離すことができると。
ところが、霊界では、苦しむと自分が、苦しみそのものとなってしまい、苦しみから逃れることはできない。苦しみが、自分の世界になってしまう。逃れるためには、供養をしてもらい、自分自身が苦しみそのものでなくなるしか方法はないのです。
というわけで、その女の子の苦しみは半端ではなくて、その死に苦しみから抜け出るためには、霊となった人は、自分の力ではどうすることもできず、供養してもらうとか、回りからの力でしか救われることはできないのです。
そして、自分が救われるためには、苦しまぎれに、人に助けてほしいと訴えるためには、どんなひどいことでもどんな悪いことでもしてしまうという。死んでしまうと、もうすでに、生きている人間とは、感覚も違ってしまうのと、如何にその苦しみが大きいかということなのです。それが、たとえ家族であっても、身内であっても、自分が救われるためなら、切羽詰まって人を殺すことも平気でできてしまうと、私も説明をしました。
ただ、2年間祝詞をあげてきたことで、事故直後の苦しみからは、とりあえず開放されたようです。その女性の話しだと、やはり本当なら、供養がある程度できて救われていけば、自然に事故現場から離れて霊界の高い世界へと行って、生まれ変わるまでの間、霊界でのやるべきことをして過ごすということなのですが、2年間も過ぎたのに、事故現場から動くことができないようで、とにかく1人でいることが寂しくて、ひたすら悲しみに浸っているということです。つまり、満足な供養ができていないということを強く感じました。
そして、それから7年が過ぎた頃、もうじき亡くなって10年になろうとしていましたが、亡くなった現場には亡くなった日にはいつも花が供えてありましたが、その頃には、もうそれもされなくなっていました。しかし、自分のお参りは数少ないとはいえ、細々と続いていました。
そんな頃、たまたま事故死した女の子のお父さんを見かけました。さすがに、事故のことからはもう立ち直り、他に子供がいるし、幸せに暮らしていました。
それで、また、思い出して、事故現場のことが気になって、例の女性に再び頼んで、連絡をして、事故現場を7年ぶりに見てもらったのです。すると、女の子がいないというのです。じゃあ、救われて高いところに行けたんですね、と言うと、しかし、そんな感じはしないというのです。しばらく、ここにいて様子をみましょう、と言うので、1時間か2時間くらいか、もう戻らないのかなと思った頃、戻ってきましたよ、と彼女。
えっ、どんな感じですか、聞くと、だいぶ落ち着いた感じで、もちろん10年近く時はたっても、女の子は2年生のままです。当たり前のことなのですが、それを聞いて、なんか涙が出ました。それから、現場から少し離れたところまで行かれるようになって、ここにいることも少なくなっているということですが、やはり、基本的には現場からはあまり離れられないようです。もう10年が経つのに、意外にも何も変わらず、悲しくて仕方ありませんでした。自分のお参りも、どれほどの効果があるのかと考えてしまいました。
早速、霊能者の彼女に、このことを話すと、家族愛が強くて気持ちが離れられないと、この世に引っ張られて高い霊界に上がれずに、その場所から動くことすらできないらしいです。やはり、このことから、女の子は成仏できないのです。いくら、祝詞をあげようともこの世の思いに引っ張られていてはどうしようもない。それに、家族の供養があまりにも足りないのだというのです。しかし、家族が亡くなった時、家族が供養することが一番の供養であり、家族の供養が供養の一番の早道だと、彼女からききました。
よく幽霊が出る場所とかで、浮かばれていない霊とかは、亡くなってから100年以上経っているにもかかわらず、100年前と全く同じ状態で苦しんでいるということも、けっこう多いようです。しかし、そこで、彼女から言われたのは、私は、神主なので、一般人が供養するのとは、わけが違い、その効き目は違ってくるのではないかとも言われ、ほんの少しだけではありますが、救われたような気がして、家族の協力も期待できないとわかった今、もう少し頑張ってみようという気持ちになりました。
しかしながら、ある日、その霊能者の女性は、関西に引っ越すことになり、会えなくなってしまったのです。つまり、今後は、女の子の様子をもうみることはできません。
そして、その後、さらに7年が過ぎて、自分も仕事の都合もあり、様々な言い訳もあって情け無いのですが、最早、月に1回くらいの回数に減っていました。
そして、ある日、近所の主婦の会話をたまたま聞くことがありました。最近、あそこ事故がなくなったと思わない、と、それに対して、相手は、そうよね、私もそう思う、やっぱり皆んな気をつけるようになったのかしら、本当になくなったわね、と答えていましたが、これまでの事故は、気をつけるだけで減るようなものではないので、今更ながら、お参りの効果があって、少なくとも、あの女の子が事故を起こさないようにはなっているようで、ひょっとしたら、やっと霊界に行かれたのかもしれないと思い、やっとお参りの効果が現れてきたのかもしれないと、なんとなく納得している今日この頃です。
しかし、残念ながら、その後、女の子はどうなったかはわかりません。でも、少なくとも、女の子が事故を起こさなくなったとは思うので、少しずつ何かが良い方に変わってきたのかもしれません。
とにかく、今回のことで、改めて、浮かばれない霊というのは、その苦しみから、自分からは逃れられず、そこから逃れるためには、小さな子供であっても、平気で人を殺してしまうようにもなってしまうということがとても恐ろしく、とても悲しくもあり、同時につくづく、いかに供養が大事なのかと感じました。
その後、私は、偶然にも、その女の子の家で、庭に物置を建てるということで、お祓いを頼まれました。そんな偶然に訪れる機会があって、仏壇にある遺影で女の子の顔を初めて見ることができましたが、これが、私が長年供養をしてきた女の子だったのだ、と、うかつにも、何も知らないお母さんの前だというのに、涙してしまいました。
そして、その子のお母さんから、あの子は、いつまでも私たちの家族なんです、と、その子の部屋をみせてくれると、今でも、そこに、その子がいるかのように、部屋の中は、亡くなったそのままになっていました。もうすでに、亡くなった時から10年はたつというのに、これこそが、家族が、女の子をこの世から離さない1番の原因なのだと確信しました。今は、無事に成仏しているのでしょうか。私は、そのまま、涙を隠しながら、お祈りをしたのでした。




