56. 托鉢の経験
もう一つの、印象に残ったこと。それは、托鉢です。お坊さんが、編み笠をかぶって、道路傍に立って、食べ物やお布施を頂いている、あれです。
しかし、この行為の真の意味は、なかなか知られてはいません。ここに来るまで、自分はお坊さんは昔から、食事も一汁一菜だとか、倹しい生活をしているので、食べ物とかも托鉢によってまかなうためのものかと思っていました。
しかしながら、本当は、自分が食べ物をもらい、自分のためにしていることではなかったのです。
高野山から、バスで京都まで移動して、朝から夕方まで、数人ずつのグループに分かれて托鉢を行います。そして、よく外で見かける托鉢は、道路傍に立ち、鉢という入れ物を持って立っていますが、私たち院生は、片っ端から個人のお宅を訪問してまわります。私たちが、もうこの時期に托鉢を、京都府内で行なうことが恒例となっていますので、一般人の方々はもうよくご存知なのです。玄関のチャイムを鳴らすと、出てきて、今年もそろそろ来ると思ってましたと言う人もいます。
しかしながら、昔からの托鉢と違う点は、食べ物はもらわずに、もらうものは現金だけです。集まった現金は寄付をするのです。それと、托鉢の一番大事なのは、お金を頂いても、一言もお礼を言ってはいけません。これは、お礼を言わないことで、くれた人は、陰で人知れず善行をしたことになり、徳を積ませるということをします。お礼を言われるような行ないは、誰にでも認められる良い行ないですが、お礼を言わないことで、誰にも知られずに善行をしたことになり、より高い徳をつませてあげるということになるので、あえてお礼を言わないのです。
結局、皆さんご存知で訪問するととても喜ばれます。最後には、かなりの金額が集まり、長い修行の一年の締めくくりとなります。




