35. 空海 弘法大師と高野山
実は、高野山は、その地形が特別で、内八葉、外八葉といって、蓮の花のように山が八つ丸く配置されており、その外からその八つをさらに囲むように、さらに八つの山が丸く囲んでおり、その蓮の花のような真ん中の盆地が高野山なのです。
いかにも、不思議な場所で、如何にも霊場といったところです。空海は唐で密教を学んだのち、帰国する際に、唐から、日本で密教の修行道場としてふさわしい場所が見つかるよう祈りつつ、密教の法具である三鈷杵を日本に向けて海に投げます。
そして、帰国後、空海は様々な場所を歩き回り、和歌山県に入り、山々を歩いていると2匹の犬に出会います。その、真っ白い犬と真っ黒い犬は、あとからついてきて、とでも言うかのように空海を道案内をします。そして、しばらく登っていくと、目の前に松の木が現れて、よく見ると、その松の枝には、空海が唐から投げた三鈷杵が刺さっているではありませんか。こここそが、空海が探していた修行道場に相応しい場所だったのです。そして、気がつくと、2匹の犬はいつのまにか消えていました。その時の松の木は、三鈷の松といって今でも高野山でみることができます。そして、その時投げた三鈷杵も現在、山内の霊宝館で見ることができます。
空海は、博学多才で、幼い頃より頭角を現し、現代でいう大学のエリートコースを進み官僚としての将来を約束されていましたが、仏教、道教、儒教、について疑問を持ち、それらを比較してその特徴と欠点について書いた三教指帰を若干24才にて書き上げ、出家を宣言をします。
そして、仏教の道を歩みますが、実は、歴史上の人物として、とても不思議なことが多く、19才からの数年間の修行の期間については、なぜか詳しいことは記録がなくて、この間は室戸岬の洞窟にて、虚空蔵求聞持法という、虚空蔵菩薩の真言を100万遍唱えると一度耳にしてだけで記憶してしまうという行法を満願し、その夜明けと共に、明けの明星が口に飛び込んだと言われます。
そして、おそらくは、霊感を持ち合わせていたという話しも、空海について造形が深いごく僅かの人たちには信憑性のある話しとして描かれていますが、一般的にはなかなか理解しがたい話しではあります。しかし、それでも、夜明けと共に、明けの明星が口に飛び込んだという下りは、空海の生涯の記録として、そのままに受け継がれているので、何かの宗教体験をしたことは否定できないと思われます。
こちらでの1年間の修行は、もちろん誰でもというわけではないですが、それ相応の志を持って、臨めば、未知の領域に少なからず触れることは可能かと思います。しかし、そのような信念と覚悟が必要ではありますが、神仏と、人間界の顕界との境、というのがあって、神仏の世界では、かなり下に位置して、我々からは、かなり上の方に位置するのかと思います。我々の修行が進んで上がり、その境に近づくことが出来れば、それに応じて神仏も下に下がってきて下さり、その境に近づいてくる、すると、接点ができて、この世の常識を越えて、不思議な宗教体験ができるのだと思います。
宗教体験なくして、真の修行者として、高きに昇ることはあり得ないと言われています。自分の親しい友人も、もちろん私も、宗教体験については、弘法大師を語る上では避けられないことと認識しています。




