15. 日本人との別れ
それから、1ヶ月も過ぎた頃でしょうか、やっとここでの暮らしにも慣れてきて、海外の生徒たちともだいぶ仲良く話せるようになってきました。英語でコミュニケーションをとるのは、まだなかなか慣れないですが、それぞれの国のことを話題にだしながら、少しずつ会話できる時間を増やそうとしていました。
ホームシックになることは、あまりなかったですが、どうしても、言葉だけはホームシックになってしまう。日本語がしゃべりたくなってしまう。それで、必ず日本人のご夫婦のところに行ってしまうのです。すると、とめどなくしゃべってしまうのです。やはり、これが、自分の1番の清涼剤に なっていました。こんなに、日本語をしゃべりたくなるなんて、自分は海外には住めないな、と、つくづく思いました。
そして、ある日、一緒にいた日本人のご夫婦が、シバナンダを去るという。自分は、お2人は、てっきり卒業まで一緒にいると、思っていたので、本当にショックでした。
しかし、ここにいたことは、お2人にとっては目的ではないのです。実に、この後、帰国するまで、約20年に渡り、ヨーロッパや中国などを巡っていたということです。ここを去ることを知った私は、これから、日本人ただ1人で、無事に卒業ができるのだろうかと思っていました。
そして、色々と考えてみて、本当なら、最初から、日本人なんて誰もいなかったのですから、ここまで、ここの生活に慣れるまでの手助けをしてくれたのだから、これ以上、そんな弱気なことを言っていたのではいけないのでした。
ここまできたら、あとは、本当に自分1人で頑張っていかなければいけないのだと思いました。本来なら、入学してから、そして、卒業までは、日本語がなくて当たり前、日本人とも会えなくて当たり前、だったのです。お2人がいなくても、卒業まで頑張っていきます、と、伝えて、お別れをしました。
しかし、その後、数日間はちょっと元気がなくなっていたようで、他の生徒たちから、2人がいなくなって寂しいだろうけど、元気で一緒に頑張ろう、と、何人からも元気づけられたのでした。自分では、元気で頑張っていたつもりでしたが、側からはそうは見えなかったようでした。そして、日本語の言葉のストレスを補うために、その頃から、日本語の独り言がとにかく多くなってしまい、でも、それが日本語のホームシックを癒してくれたのです。知らないうちに、ホームシック解消のためにやるようになっていたのでした。つくづく海外には住めないと、また改めて実感しました。




