カザノヴァ回想録 極私的、カザノヴァ試論 性的自叙伝の白眉としてのカザノヴァとは?
カザノヴァという身長、なんと2メートルにもなろうかという巨漢のベネチア人が
17世紀のヨーロッパを恋と冒険とお金と名誉を求めて駆け巡っていた。
だがこの男、いわゆる歴史に残るようないわゆる「偉人」でなんかはない、
18世紀の典型的な「自由人」であるところの
ジャコモ・カザノヴァ(カサノヴァ)という男がかってこの世に生存したという証は
その膨大な回想録によって世に知られているわけだが、
さて?もしもこの稀代の冒険家、旅行者,浮世の観察者が
この回想録を著わさなかったら?
誰もこんな男がこんな奇想天外な一生を送ったなんて天から知らなかっただろう。
というのは彼は有名な政治家でもないし、
高名な学者でもないし
大文学者でもないし、
その当時はただの道楽者、賭博士、浮浪人?一介のイカサマ師にすぎなかったからだ、
とはいえ、、彼はパドバ大学も出てますし教養は相当あります。
だから宮廷や王族とも対等に話ができたのです、
だがそうはいっても生まれは下層階級だし
たとえこのような人物がどんなに数奇な一生を送ろうが、
死ねばやがて忘れ去られる運命だったのだ、
例えば、、
まあ一般人が一世を風靡して時の脚光を浴びて時代の寵児となっても、
死ねばやがて完全に忘れさられる。それと同様でしょうか?それが通例ですね。
世界にはきっとカザノヴァ以上に数奇な一生を送った人だっていっぱいいたでしょうが
彼ら(彼女ら)は自伝なんて残さなかった、、だから死ねば完全に忘れ去られたのだ。
だが、、このカサノヴァは、、違った。
何が?
それは、、自分で自分の一生の冒険を、栄光を、色恋話を人物群像を当時の世相風俗を。
事細かに3500ページにもわたって、書き残したのである、。
まあ
こういうケースはまずないでしょう。
だからこそこの稀代の人物の冒険譚が色恋話が浮世の噂話が
残ってそれがやがては、出版されて彼の名を永遠に歴史にとどめたのです。
つまり、、彼には書くべきことが山のようにあった人生だったということ、
そして彼にはそれを書きつづる能力・文才もあったという
この二つがそろうという正に奇蹟?が起こったということです。
まあ世の中にはつまらない人生を送ったにもかかわらずいけしゃあしゃあと、「自分史」なんかを書いて自費出版するお方もいますがそんなつまらないもの誰が読みますか?ッテハナシですよね。
だが
カサノヴァはすごい波乱万丈の、まさに「語るべき」人生を送った。そして。それを書き綴った。そういう奇蹟が起こったということです。彼には語るべきことがいっぱい、、そう、山のようにあったのだ。
この回想録を読むとそこには様々な興味深い人物が出てきます、
なかには歴史に残るような人物も出てきます。
ボルテールとか、当時の枢機卿とか、王族とか、、、
だが
多くは無名の庶民一般大衆ばかりです
ダンサー、俳優、イカサマ師、、むしろそういう名もなき当時の一般人のほうが
今読むととても興味深いです。18世紀の庶民群像が知れてとても貴重な資料です。
こういう資料って案外ないものなんですよ。
カザノヴァ回想録というとエロ本と思う人が多いと思うが、実は
この回想録の内容はざっと色恋話が30パーセント、冒険譚が30パーセント、
残り40パーが世間話的な当時の世相風俗人物記録です。
一般人が想像するようないわゆるエロ話はむしろ、少ないのである。
この回想録には、
彼がヨーロッパを渡り歩いていたころの市井の世相風俗が手に取るように詳細に描かれ記録されている、
正に当時の世相風俗の一代絵巻、玉手箱、といったところでしょうか。
別の言葉でいえば、その当時の、
「世相風俗大百科事典」です。
その当時庶民や一般大衆がどんな暮らしをしていたのか
世相や風俗、器物、家、服装、習慣などが
カサノヴァのおかげで、手に取るようにわかるのです。
そういう意味でこそ、この回想録は貴重なものです。
ほかにこういう資料はないからです。
ただしこの回想録はカザノヴァが老年になってから書かれたものですから
書かれていることが全部事実かといわれると、
おそらくたぶんに美化、、脚色が意識的にせよ無意識的にせよ
施されているのが実態でしょう。とおもいますよね?
誰だって自分を美化したいでしょう?
自分の悪さを露呈したくはないでしょう?
カサノヴァ自身はここに書かれたことは事実ですといっているが、、。
ところが、、カサノヴァ研究者によると、なんとほとんどが事実に近いのだそうです。
つまりほとんどウソがない、ということだそうです、
ということは、これはまさに「事実は小説よりも奇なり」
の見本じゃないですか
コレッテすごくないですか。
この本が初めて出たころは内容があまりにも奇想天外で場面もヨーロッパじゅうにまたがり
出版当時はこの本はフィクションだと思った人が多かったそうです。
さて、やがて研究者によってその内容が事実だとわかったとき、こんな興味深い今はもう誰も見知らない18世紀のヨーロッパの世相裏話、人情風俗、
しかも膨大な物語を庶民群像を
サテ彼以上に描き切った人がいるでしょうか。
この当時ヨーロッパの各国の宮廷やサロンに出入りして妖しい儲け話で王族を篭絡したり、貴婦人に占いや貴金属を売りつけたり、怪しげな病気治療をしたり、世間の情報を提供したりする放浪の「自由人」が結構いたようです。
今に名が残る有名な人物としては「カリオストロ」「サンジェルマン伯爵」などがいますが
彼らの詳細は不明です。
カサノヴァの回想録には、サンジェルマンやカリオストロに出会ったという記述が出てきます。
カリオストロについては種村季弘の「山師カリオストロの大冒険」に詳しく出ていますのでそちらをどうぞ、
ところで、一般に「カサノヴァ回想録」はエロ本?という?のが私たちの先入観ですよね
でも彼の語るのはそういうわれわれの期待?を裏切って?
多くは冒険や賭博や世相描写や、裏話や旅行や、様々な当時の人物描写に費やされている。、
色恋話はむしろごく少数派で、ごく少ないとさえいえる。エロい場面は回想録全体の10パーセント以下です。
だからむしろ、「カサノヴァ回想録」とは冒険小説的だといった方が正解かもしれない。
あるいはビルドウンクス・ロマン(教養小説)的でさえある。(ちょっとほめすぎかな?)
例えば冒険ということでは
イタリアで鉛屋根の監獄にぶち込まれて、一生出てこれないといわれた時でも彼は絶望したりしない。
必死に脱出を考えてそれを完全に実行するのである。その脱獄の詳細な過程は今読んでもわくわくものです。この場面だけをまとめて生前にカザノヴァは出版していますね。彼は結構文才もあってイコサメロンというSF小説も書いています。だからこの回想録も記述できたのでしょう。
「冒険家は天成の楽天家でなければ務まらない」
という格言がある(らしい?)
そういう意味ではまさにカサノヴァこそがそうであり彼はどんなときも楽天家である。
今我々がこの膨大な回想録を読んでも飽きずに結構楽しめてしまうのは?
引き込まれてしまうのはただエロ系?だからだけではないのである。
そうではなくて
次第にこの楽天家が羨ましく思えてくるから不思議である。
というかこの詐欺師であり女たらしで、ギャンブラーで、、しょうもない?道楽者キャラが好きになってしまうから
不思議である。
これが当時も人々をカサノヴァに引き付けた彼の魅力なのだろう。
こういう人間的な魅力で彼は世の中を渡っていけたのだろう。
賭博士で女たらしで詐欺師でどうしようもないヤクザな奴なんだけども
いわゆる「憎めないやつキャラ」、、それがカザノヴァなのである。
根っからの悪人ではない、こいつ「いいやつ」って誰も思ってしまう、そういうキャラがカザノヴァなのである。事実、、この回想録を読んだ限りでは決闘を除いて彼は殺人は一回もしてませんし、悪事で人を陥れて破滅させたというようなこともないはずです。悪事に関しては彼はあくまでも『小悪人」にすぎないのです。
そんな大悪事とか、悪どいことはしてないからです。だから読者が彼に魅了されるのでしょうね。
ところで
同じような自伝文学であるルソーの「告白」を読むと
その自意識過剰の、しかつめらしさや、くどさに、自省癖にほとほと嫌気が差してしまうのだが
ルソーの自意識過剰は、、今の読者には、読み通すのには苦痛?ですよね?
読んでるこっちまで暗ーくなってしまいます。、
あくまでも楽天的なカザノヴァとは大違いです。
あるいはもっと後世の性的自叙伝としては、有名な
「わが秘密の生涯」マイシークレットライフがある。これも、膨大さではカサノヴァに引けを取らないが、、
だがこれは全編、ソレのみである、延々とセックス話のみは、これはキツイですよね?
ほかの描写は皆無だ。当時の人物伝とか、風俗習慣とか、歴史的な叙述は皆無。
延々とセックス描写のみ、ただそれだけ、
冒険も無し、脱獄も無し、ヨーロッパ放浪も無し、面白い人物描写も無し、
ただ延々とソレのみ、、、
これはやがて読むのが苦痛になる。
というかうんざりして放り出したくなる。ほとほと嫌気がさしてしまうのだ。
これに対してカサノヴァはもっと広く当時の、、今では珍しいような世相風俗人物などを活写しているので
けっこう楽しく?読み通せる歴史絵巻なのである。冒険あり、脱獄あり。放浪あり、おも白い人物描写あり、
カザノヴァ回想録とは期せずして18世紀ヨーロッパの研究書?となっているのだ。
あえて言うならば、、
「中世の秋」ホイジンガー
「イタリアルネサンス期の文化」ブルクハルト
などのような時代を活写し得た歴史書と匹敵する、と
激賞してもいいくらいなのです。(ほめすぎかな?)
さて、、
カサノヴァはあくまでも身軽で、いけしゃあしゃあとしていて。、
時代を軽々と楽天的に渡ってゆくという、まあその天性の渡世術?
そしてなによりもカザノヴァというキャラの「人好き」されやすさである。、
彼はあくまでも「憎めないやつ」、、なのである。
根は善人?で天性の楽天家だから読者もついつい彼に同化してしまって、まるで自分がカザノヴァになってその時代を生きてるみたいな錯覚にとらわれて、引き込まれてしまって。この膨大な回想録を読み浸る?という状態になるのだろう。
そして彼の関心の多様さである。彼は何でもいろいろと幅広く興味を覚えて飛びつく、
そしてそれを回想録に活写する。
エロ系のみだったら?3500ページも、、読むふけるなんてそりゃあもう、無理でしょう。
この回想録は先にも述べたように、当時の歴史的なめずらしい風俗習慣。人物群像などがいろいろ幅広く記録されているからこそ、
もっとも魅力があるからこそなのです。
冒険冒険また冒険
ヨーロッパじゅうを放浪、ロシアイギリスイタリアフランス、、、、。スペイン
詐欺
投獄、脱獄
ギャンブル
ある時は占い師に化けて
魔術師になり
カバラの達人
色事師で数百人の女をたぶらかし、
世相風俗描写
庶民史
庶民群像
とくに女性群像はそこらのありきたりの恋愛小説100冊分くらいの迫力があるし、、
そしてちょっとエロ話も、
正に18世紀ヨーロッパの当時の一大「風俗百科事典」の名に恥じない実に豊富な内容だからなのです。
ところで
彼の色恋の手管はこれはという女に巡り合ったらあくまでも相手から求めるように仕掛ける?という方法です。
酒に酔わせてとか、、金で買う、、という方法はカサノヴァの最も嫌うところだったのです。
ましてや力づくで無理やり、、、などは絶対にしていませんね。
あくまでも相手の気持ちで同意するというのがカザノヴァの恋路の規律なのです。
もちろん女に対してはケチなことはせず高価な贈り物もするしお金も大金を援助しますがね・
だからカサノヴァと関係した女たちは後々まで彼に感謝こそすれ、恨んだ女なんてたぶん?居なかったはずです。別れるときは大金を持たせてやったりさらにはなんと、適当な夫まで見繕ってあげたりしているほどですから。
だが
カザノヴァは本当にほれ込んだ女でも、さて結婚ということになると、自由人の血が?騒いで結局逃げ出してまた放浪と冒険の旅に出発してしまうのです。
まあ、これだけ「種まき」?したカザノヴァですから、、こんなエピソードもあります。
とあるとき、、かわいいむすめに
出会って一目ぼれ早速言い寄るのですが、、さてこの一件の仰天な「オチ」とは?
何だと思いますか?
実はこの娘、、その昔関係して女と別れた後にその女が産んだカザノヴァの「実の娘」だったのです。
近親相姦、、ですよね?当時は法律的にどうだったのでしょうか?
数ある
色恋譚では CCとMMという二人の修道女との禁断の恋が面白いエピソードでしょうね。
あとはカザノヴァが純情をささげたの永遠の女性アンリエットとの長い関わりのエピソードも興味深いです。あるいはカザノヴァのカバラ(魔術)にすっかり洗脳されて大金を貢いだ侯爵夫人とかもね。
この膨大な回想録はカサノヴァが晩年になり、目もかすむ状態で病気がちでドックスの古城の召使でやっと糊口をしのぐ環境から思い余って。その悲惨さを紛らすために
あの若くて、輝かしい青春の冒険と恋と旅行の全盛期を回想して
せめて今のあまりにも悲しい老年の孤独を紛らさそうとコツコツと書きためたものなのだ。
彼は書くことで輝かしいおもいでを反芻して書くことでとで自分を救済したのだ。
70歳のカサノヴァはもう書くことでしか生きがい、というか自己救済を見いだせなかったのだ、
書いているときだけ彼は30歳の輝かしい成年だった、
書いている間だけは彼は思い出のなかで若くて恋とお金に恵まれていた。
彼は書いている間だけは、今の悲惨な孤独と老耄の境遇を忘れられたのだ。
だがこの膨大な全六巻3500ページの回想録は、ある日ぷつんと49歳ころの記述あたりで中断されてしまう。
彼は言う、
「ここから後の人生ではもう書いても苦しいことばかりで私もそして、読者もうんざりするばかりだろうからこれ以上はもう書きたくない、」
「わたしは読者を楽しませ自分も楽しむために書いている」
と、、カサノヴァは自ら記しています。
もっと先のことまで書くつもりはあったようですが。。
確かに晩年のカザノヴァは追放と貧困と裏切り老化。浮世の身過ぎ世過ぎのための密偵稼業とばっかりで、もう輝かしい恋も冒険も皆無ですから
49歳までで断筆したのもうなづけますよね。
晩年は各地を当てもなく放浪してその間文筆で稼ごうといろいろ出版していますがどれも失敗でした
ところで、
この回想録があらわされるにあたってはカザノヴァ自身が語っているように、
かれの晩年の孤独と不遇が原因?であるのだ。
老年の憂さを晴らすために私は書くのだといっています。
おそらく、、64歳くらいから書き始められて73歳で死ぬまで断続的に書き継がれたらしい?
彼は晩年ドックスという田舎の古城でなんと司書(というとかっこいいが実は棄民状態・飼い殺し)
として雇われてかろうじて糊口をしのいでいたのだ。この城の城主にその原稿を見せたらしいこともあったようだ。読んだ城主はカザノヴァに出版を進めてその印税を老後資金にするように勧めたがこの出版は結局諸般の事情でできなかった。
結局、カザノヴァの死後原稿を譲り受けたカザノヴァの甥っ子が原稿をドイツの出版社に売り払いそれをもとにドイツ語訳がまず出版されその評判が良いのでのちにフランス語版が重訳された。
仏訳の際に、カザノヴァの自筆原稿は手に入らなかったので
このフランス語版はオリジナルではない。ドイツ語からの重訳である。しかもその翻訳にかかわったラフォルグがかなり省略や書き換えをしているのである。
オリジナル版が日の目を見るのはずっと後になる。
かっては
あんなに颯爽と着飾り、社交界を渡り歩き、金をばらまき、女たちを渡り歩いたというのに、
そして自らはジャコモ・カサノヴァ・ド・サンガール、と名乗り、
貴族を気取り、金にも女にも冒険にも不自由しなかったカサノヴァ、
しかし時は残酷だ。
こうして老年期になったカサノヴァは、もはや、だれも相手にしないし貧窮で、
病気がちで、古城に飼い殺しなのである、。
もちろん女なんかには無縁の晩年である。
思うに、
若さと冒険とだけが彼の武器だった、
それが失われた老年はただ失望の連続でしかなかった、
彼に人生を達観して老境に処するような悟りなどなかった、
彼には若さがすべてだった。
だから彼はひたすら過去を、、過去の若くて色恋と冒険に明け暮れた日々を
まるでいつくしむように思い出してはこつこつと書き記しては今の老境の無残と孤独を慰めたのだ。
それしか彼にできる自己救済はなかったからだ、
おかげで、
今、私たちはこの回想録に登場する実に魅惑的な
カサノヴァの初体験の少女や
男役の美人女優や
恋に身を焦がす美しき禁断の修道女姉妹たちのことを知ることができるのだから、
そこらのありきたりの恋愛小説よりも興味深い恋の駆け引きや鞘当てが
ここには描かれている、カサノヴァの語る恋の冒険譚の前には
手ダレの小説家でもおそらく形無しだろう。
なんせカサノヴァのこれは事実なのだから、、。
今、現在カサノヴァを含めてこの回想録に登場する膨大な人物。
例えば、、
魅惑的な少女たちや
色っぽい女優たちや
婀娜な破戒の修道女たちは
誰もこの世には存在しない、
18世紀の人間だから、、当たり前といえばそれまでだが。
回想録に登場する人物はべては過去の消え去った無名の庶民たちである。
今、一切は消え去ってしまって彼女らはこの世には存在しない
だが、、カサノヴァのおかげで彼女らはこうして書きとどめられて
まるで今そこに、生きてるように
永久にその美貌と色っぽさを歴史にとどめたのである。
まあ、、彼女たちがそれを望んだかどうかは私の知るところではないが、、。
カザノヴァの青春の冒険と彼を彩った魅惑的な女たち
それはすべて18世紀という、300年前のあまりにも遠い遥かな幻想の中の女なのかもしれない
あるいは人生とは
カサノヴァも含めてすべてが一切が皆、空の虹のかなたにきえさるのだ、、、、、
ということなのだろうか?
それでもこの回想録の中では彼女たちはいきいきと
恋に身を焦がしてカサノヴァの腕の中に抱かれているのである。
そう
この回想録の中では彼女たちは永久に生きている?
生き生きと、、かつ、、魅惑的に、、息づいている。
おそらく、
この膨大な3500ページの回想録を読み終えるときっと
あなたもまた私のように
そう思うのではないだろうか?
カザノヴァは73歳ででドックスの古城でなくなっている。
あとに残されたこの原稿はカザノヴァの甥っ子が引き取り
やがてとある書店からドイツ語訳されて出版されている、
そしてオリジナル版は見せてもらえなかったので、そのドイツ語訳からさらにフランス語訳されて出版される。
ただしその際大幅な削除やら書き換えが行われたらしい。
これがラフォルグ版と言われているもので世界に流通した版です。
オリジナル原稿に基づくオリジナル版が出たのはなんと1960年になってからである。
なお日本ではカザノヴァ回想録と呼ばれていますが
正式名称題名は
「イストワーレ・ド・マ・ヴィイ」Histoire de ma vie 原文はフランス語です。
「わが生涯の物語」
参考文献
カザノヴァ ウイキペデイア
カサノーヴァ ヘルマンケステン 角川文庫 絶版
カザノヴァ回想録 河出書房 全六巻 オリジナル原稿版 窪田般彌訳 絶版
カザノヴァ ロロロモノグラフィー叢書 理想社 絶版
カザノヴァ回想録 岸田國士訳 フランス語版 岩波文庫 7冊で訳者死亡により中断(全20冊の予定だったが)
機知と法学を武器に,ヨーロッパ各地の宮廷貴族の間で波瀾万丈の数奇な生涯を送ったイタリアの文人・冒険家カザノヴァ(1725‐1798)の,フランス語で書かれた回想録.そこに記された彼の冒険と猟色の生涯は,18世紀風俗の貴重な資料でもある.(文庫紹介文より引用)
カザノヴァ回想録 田辺貞之助訳 これはラフォルグ版のようです
古くは「カザノヴァ情史」として日本では戦前に抄訳版が出ています
おまけ
性的自叙伝として有名なブックリスト
何れもすごい厖大な著作です。
告白 ジャンジャックルソー 邦訳数種類あり
近代的な告白文学の元祖的作品
カサノヴァ回想録(わが生涯の物語)ヒストワーレ・ド・マ・ヴィイ原書はフランス語
邦訳本で全6冊
ムッシュニコラ Monsieur Nicolas, ou Le Cœur humain dévoilé
レチフドラブルトンヌ 邦訳の完訳は無し、5分の1の抄訳のみ、
虚実入り混じった性的自叙伝 原書はぶ厚い全6冊です。
我が秘密の生涯 (マイシークレットライフ)作者不詳 邦訳完訳本で全12冊
ひたすらセックスを追い求めた19世紀イギリス人の告白
我が秘密の生涯 - Wikipediaリンクja.wikipedia.org
わが生と愛 (原題: My Life and Loves)フランクハリス 邦訳本で全5冊
虚実入り混じったハリスの恋愛世界行脚、舞台はヨーロッパからアメリカ
果てはアフリカから日本までの女性遍歴
以下ウイキペディアより引用
「第一次世界大戦中にニューヨークへ移り、1916年から1922年には雑誌『ピアソン』米国版の編集者となる。1921年4月、ハリスはアメリカ市民となった。1922年にはベルリンに旅し、ハリスの作品として最もよく知られる自伝、『わが生と愛』 (1922 - 1927、全四巻) を発行。この作品は、ハリスの肉欲にまみれたさまざまな出会いを生々しく描写し、その上ハリス自身の冒険的人生と活躍を誇張したものとして悪名高いものであった。ハリスの死後、長い年月がたってから第五巻が発行された。ハリスが残したメモなどを元にしたと思われるが、出所は疑わしい。」
付録
カザノヴァ略年表
1725 ベネチアに生まれる 母は旅回りの女優、父は不明?
1734 パドヴァの寄宿学校へ、その後パドヴァ大学で学生生活を送る
1742 勉学をやめて、コルフーに行く。何らかの理由で監獄生活
1744 枢機卿に仕える司教になるためマルチラノに向かうがそこが閑散とした僻地だったので
カザノヴァはそこを去る
1745 トルコのコンスタンチノポリスへ伝手を頼って行く
1746 ベネチアに戻る、公証人事務所に勤務
1749 ミラノ・マントヴァに旅行 アンリエットに出会う
1750 ベネチアに帰りパリに向かう パリ滞在
1753 ドレスデン。プラーグ。ウイーンに向かう
1753 CCとMMに出会う ベネチアで逮捕されて鉛の牢獄に収監されるが
脱獄してパリへ。これ以降公式にベネチアに帰れなくなる。
1757 フランス政府の宝くじ事業に参画する
密偵も兼ねる パトロンのデュルフェ夫人と出会う
1758 フランスの秘密特使としてオランダへ
1759 負債の件で収監される。釈放後、再びオランダへ
1760 オランダでサンジェルマンに出会う
ヨーロッパ各地を旅する ヴォルテールに会う
1761 イタリア各地を旅する
1762 フランス各地を旅する
1763 トリノ。ミラノマルセーユ、リヨンへ イギリスへ渡り、シャルピオンに出会う
1764 債権のためロンドンを去る。ベルリンへ フリードリヒ大王に謁見
大王からの役職を断りペテルスブルグへ、
1765 モスクワへ、キャサリン女帝に謁見 ポーランドへ向かう
1766 ブラウニツキと決闘拳銃で負傷する。ワルシャワを発ちウイーンへ
1767 ウイーンから追放される、ドイツ各地を経てパリに戻る。スペインに向かう
1768 マドリッド監獄に収監、釈放されてスペイン各地を遍歴
1769 フランス各地を遍歴、イタリアのトリノへ
1770 イタリア各地を遍歴
1771 ローマ追放されてフィレンツエへ。
1772 ボローニャ、アンコーナ トリエステに滞在
1774 回想録の記述はこの辺りまでで断筆されている、。
ベネチア居住許される ベネチアアに帰り、ここで密偵、著述、劇作家・
劇場監督などで生計を立てる。
83年まで居住する。
1783 著書が非難されたためいたたまれずにて長いベネチア居住を終わり、去る。
ウイーンに向かう、ドイツ・フランス各地を経めぐる。
1784 ウイーンにもどりヴェネチア大使の秘書になる。ヴァルトシュタイン伯の知遇を得る
伯は4万冊の蔵書の図書館を持っていた。
1785 ベネチア大使死去で職を失う、ヴァルトシュタイン泊の好意でドックス城の図書館司書
になる。ここで死ぬまで務めることとなる。
1792 このころ回想録の原稿をほぼ書き終える。
1798 カザノヴァ、ドックスで死去
1820 カザノヴァの原稿がドイツのブロックハウス書店に回想録の原稿が売却される。
1822 ドイツ語訳がブロックハウス書店から刊行される。
1826 フランス語版が出版される、いわゆるラフォルグ版である。
これはカザノヴァの原稿をかなり削除・訂正・補筆したものである。
1960 カザノヴァの手稿(原稿)に基づくオリジナル回想録が出版される。決定版である。
※ 略年表にはあえて書いてありませんがヨーロッパ各地で行く先々で女性経験をしたことは言うまでもないことです。
付記 あくまでも私の記憶のみで書いていますので、学術的な精確性は保証できません。・
色欲の道はそもそも、一切が『空』であり、あえて色欲に、落ち込んでどっぷりと、はまるならば
そこからは獣欲の、悪因果が生まれて、
あるいは罪を犯し、人をだまして破滅に追い込んだり、果ては、人の命をも殺めたり、
そうして
結局は、最後は、あなた自身の、投獄と、劫病と、惨死が待っているのみである。
ゆめゆめ、色欲に、どっぷりと、はまり込んではならない、
妻以外に心動かしてはならない、夫以外に心移してはならない
その悪しき因果の根を生やしてはならない。くれぐれも人の道に背いてはならない。
色欲の、手綱を緩めてはならない、、、そう深く心に刻むことである。
色欲をほしいままにしたら、色欲にどっぷりはまったら?、
恐ろしい結末が待っていると分かっていたら、、
誰でも、心ひきしめるはずなのだが?、、
現実は、今日もどこかで色欲が原因の殺人事件が起こっているのですよね。
まあ、人間の愚かさというか
これが、人間の救いがたさ?なのでしょうね。
「色欲の手綱緩める愚か人、末は荒れ野に朽ちる白骨」 道歌
だが、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、
カザノヴァの膨大な性的自叙伝を読み終わった後
私自身のあまりにも
貧弱な
貧相な
半生を振り返って
ただただ
愕然とするのは
わたしだけなのでしょうか?