第47話 栗鼠
〔ラタトスク〕 とは象ほどに大きな栗鼠──というのは、この世界樹の出典であるロボット作品 〔聖騎士タンバリン〕 での設定で、実在するリスではない。
ここ第5宮ゲブラーを含め世界樹各部に10個ある巨大水晶球殻 〔小天蓋〕 とその中の空と大地からなる 〔宮〕 ではなく、世界樹そのものを生息地としている。
リスは普通の種でも、枝の上を歩けるのはもちろん、樹皮に爪を引っかけ張りつくことで幹の表面も昇り降りできる。
ラタトスクはそれを世界樹でやる。
そのため世界樹の住民エルフや、外から来た人間などの異種族たちは、宮から宮へと移動するのにこの生物と取引する。
アキラは第5宮の小天蓋にあいたトンネルの入口付近で寝転がっているラタトスクたちの1匹に声をかけた。
「すみませーん」
「いらっしゃい」
その個体がこちらに顔を向け、返事をした。この巨大リスは、人語を話せるタイプのAIが積まれたNPCなのだ。
同様のNPCとは何度も話しているし、ラタトスクがしゃべることも原作タンバリンで知っているが、それでも 〔リスがしゃべった!〕 という感動を覚える。
魔龍シーバン、それ自体がファンタジーな存在である龍がしゃべった時には当然と思ったが、実在のものより大きいとはいえ、形は実在のものと同じ動物がしゃべっているのはメルヘンだ。
「乗せてください」
「どこまでだい?」
アキラの眼前にウィンドウが開き、そこに行先の一覧とその料金が表示される。遠い場所ほど高くなっているが、最高でもモンスターとの戦闘1回で溜まるほどの額。
行先候補は現在地を除いた9宮と、他にもう1つ。その【転送陣・地上世界へ】をタッチすると、自分のアカウントが所持するゲーム内通貨 〔リング〕 から運賃が支払われた。
「毎度あり! さ、乗って!」
「えっと、どうやって乗れば」
人が乗るための鞍がラタトスクの首の上にくくりつけられているが、位置が高くて横から昇ろうにも取っかかりがない。
「前から。僕の頭を登ればいいよ」
「えっ。それは、失礼じゃ」
「リスはそんなこと気にしないさ」
「そっか。では!」
アキラは地面にぺたんと顎をつけたラタトスクの鼻の上によじのぼり、その頭部の上を歩いて登って、首の鞍に腰を下ろした。
するとアキラのアバターが勝手に動きだし、シートベルトを締めて体を鞍に固定した。プレイヤーがやると手間取りそうな作業なのでオートになっているわけだ。
さらに鞍から左右に垂れた鐙に足を乗せ、鞍の前についた水平のハンドルを両手で握る……昔、母のこぐ自転車の後輪上に固定された幼児用座席に乗っていた日々が思いだされた。
「行くよ!」
「はいっ!」
ダッ‼
ラタトスクが猛然と走りだし、アキラは上体が前後に揺れた。
現実の体が両手に握っているスティックと両足に固定しているペダルの触覚フィードバック機能の振動が、走る巨大リスの背に乗っている躍動感を伝えてきたから。
ラタトスクは小天蓋のトンネルに駆けこみ、中を走りぬけ──ゲブラー宮の外へ! そこから先の足場は、ゲブラー宮を支える世界樹の大枝。遥かな前方には世界樹の幹がそびえている。
「わぁ……!」
大きい。世界樹の外観は 〔始まりの町〕 からこの地へ飛空艇でやってきた時も見たが、この位置からだとさらに。そして、その上に来るのはこれが初めてとなる、世界樹の大枝も大きい。
枝だと分かっていても、その上にいるとそう思えない。実感としては天に浮かぶ木質の山脈。仮に側面に転落しても枝自体から落ちることはないだろう、その前に樹皮の窪みに引っかかる。
とはいえ、やはり怖い!
起伏の激しい稜線を猛スピードで登り下りしていくラタトスクの首に捕まっているのは、両親に連れられて行った遊園地のジェットコースターの何倍も‼
だがそれ以上に、世界樹の桁外れなスケールを感じられる景色にアキラは魅入られた。遥か頭上では、こことは別の枝とその葉が屋根となって空を隠している。
宮の中では小天蓋の内面がこの地下世界そのものの天蓋と同じく地上世界から見える空を映しているため、この景色は見れなかった。
「はぁ……あ」
アキラは旅程を短縮するのを忘れていたことに気づいた。ラタトスクは今でも時速何百キロメートルかという速度で走っているが、それでもこのままだと何時間かかるか分からない。
「すみません、急いでください」
「いいよ、それっ!」
ラタトスクが超加速した。このゲームで今のように公共交通機関の利用時や、任務での移動時に使える時短モード。
流れる景色が動画の倍速再生のように。
現実感が薄れて、逆に怖くなくなった。
ラタトスクは一気に大枝を渡りきって世界樹の幹に到着。今度は爪を立てて幹にへばりついて昇っていく。
乗っているアキラのアバターの姿勢も背中が下を向くことになる。現実の肉体は椅子に座っているままだが、VR感覚だろう、アキラは体が後ろに引っぱられる気がした。
ダダダダダッ‼
ラタトスクはひた走る、時おり立ちふさがる柱のような枝々をさけて蛇行しながら、世界樹の幹を超倍速で駆けあがり──前方に現れた山を登りだす──いや、違う。
ここは世界樹の根だ。
地下世界の天蓋から逆さづりに生えている世界樹の、根。それは全て天蓋に埋まっているわけではなく、マングローブの呼吸根のように一部が大気中に露出している。
ラタトスクはその下面を走っていて、今や鞍上のアキラは頭が下を向いていた。今にもラタトスクの爪が抜けて落ちやしないか不安になるが、それも一瞬のこと。
ラタトスクは世界樹の数多くの根の内、天蓋へと伸びているものではなく、幹の上端に乗っている第1宮ケセドの球殻に絡まっているものを伝っていた。
球殻の下面から側面へ。
そして側面から上面へ。
駆けのぼる内にラタトスクの姿勢は水平へと近づいていき──完全に水平になる直前で、超倍速の時短モードが解除される。そして根の先端から降り、球殻の頂上についたところで、停止。
「ほら。着いたよ、お客さん」
「ありがとうございました!」
そこでは他のラタトスクたちが寝転がっている。そして彼らに囲まれて、環状に並んだ円柱が丸い屋根を支える洋風の東屋らしきものが、他にはなにもない球面の上にぽつんと建っていた。




