第18話 究極の選択
儂の名は、グレゴール・フォン・ノルドベルク。
ノルドベルク公爵家の現当主だ。
孫のヴィルマーが土、水、火、風で四元素の上位精霊から加護を受け、更にはアーヴマンの大神殿を破壊するという、色々な意味で前代未聞の事件を起こした後、王都の大聖堂で大司教自らヴィルマーの修道院送りと去勢の決定を取り消して貰い、これでヴィルマーと公爵家の未来は安泰、のはずだったが……
「嫌だぁぁぁぁっ!!」
部屋中を逃げ回るヴィルマーを、使用人達が必死で追い掛け、ミナがそれを邪魔している。
「ねえヴィルマーちゃん、何でそんなに嫌がるのよ?」
クレメンスがハサミを片手で開閉させながらヴィルマーに尋ねる。
「そのハサミで僕のアソコを切るつもりだろ。それで僕を闇堕ちさせる気だな! 気持ち悪いオネエ言葉なんて使うから油断してたけど、やっぱり僕を聖教会に復讐する仲間に引き入れるつもりなんだろう!?」
ミナと一緒にテーブルを倒してバリケードを作りながら、ヴィルマーが答える。
「や~ね、このハサミでそんな物切っちゃったら、血とか刃こぼれとかで後の手入れが大変じゃないの。これはヴィルマーちゃんが思ってるより、ずっと刃が繊細なのよ!」
「それって別の道具を使うけど、やっぱりヴィルマー様のを切るつもりって事ですよね。ヴィルマー様を仲間に入れる考えは外れてないようですよ」
「そりゃまあ、ヴィルマーちゃんを迎えに行った時は、アソコを取られた仲間ができるって喜んだけど……でもでも、大司教様が取り消しを出したのをチョン切っちゃうほど、アタシはお馬鹿じゃないわよ」
「話をこじらせるな、馬鹿者!」
ミナの言葉にクレメンスが返す。このまま奴らに任せると余計に事態が悪化しそうなので、儂が割って入る。
「クレメンスは儂が呼んだ。ヴィルマー、其方の髪を切って貰うためだ」
「髪? 首じゃなくて?」
「いい加減、死ぬ事から離れんか!」
ヴィルマー達が離れに住むのを許す代わりに、食事は本館に出向いて取る事という条件を飲ませ、今朝も朝食を取りにやって来たヴィルマー達にクレメンスを引き合わせたらこれだ。
「もうすぐ其方の御披露目会だ。今日そのための衣装を仕立屋が持って来るから、その前に髪型を整えて貰おうとクレメンスを呼んだのだ」
「ヘアカットですか? ヴィルマー様を?」
「そんな訳があるはずないでしょう。確かそいつのスキル適性は死霊魔法のはずですよ。死霊の力を借りて人を殺したり、アンデッドの軍団を率いて金品財宝を略奪して回るなら分かりますけど」
「何よそれ、アンデッドの盗賊団? そんな事して金品財宝集めてどうするのよ?」
「金品財宝を集めること自体が目的なんだろう? 高位の神官用の派手な服を着た上に、高価な装飾品をゴテゴテ付けて、キンキラキンに飾り立てたアーヴマンの神殿の奥で、財宝の山を背後にふんぞり返って!」
「え~やだ~、聞いただけで悪趣味丸出しじゃないのよ! そんなの金貨一万枚貰ったってお断りよ!」
「良く言うよ! 聖教会にアソコも未来も何もかも奪われて、その万倍を奪わなければ気が済まないと言ってた癖に!」
「いつアタシがそんな事言ったのよ!? 大体ね、お金と言うのはただ溜め込んでいるだけじゃそこまで、い~え、相対的に見ればマイナスになる事だってあるんだから。投資や新しい事業資金へ投入する事で利益を生み、更にはそれが需要と雇用を生み出し、資源や商品とお金の好循環を形成するのよ!」
クレメンスの話が経済の分野に移る。領民達から搾り取った税で贅沢な生活を送ったり、宝飾・美術品のコレクションに熱を上げる一部の貴族や、信者達に清貧を説く一方で、信者達からの寄付を着服して私腹を肥やす聖教会の高位の神官どもに聞かせてやりたいわい──って、話が逸れてどうする!
「え~い、そんなに信用できないなら、クレメンスがおかしなことをしないように儂も立ち会う! それで文句なかろう?」
「ならミナも一緒に付いていて良いですか?」
「……よかろう」
クレメンスの理髪の腕は確かだった。
貴族や裕福な商人に大勢の顧客を持っているというだけあって、ヴィルマーの髪は瞬く間に切り揃えられていき、髪を洗ってタオルで水気を拭き取った後、ブラシで梳かすと──
「どうかしら?」
クレメンスがヴィルマーの前に鏡を見せる。流石に手で持てる大きさだが、遠目にも歪みがほとんど見られない事から高級品だと分かる。そんな鏡に映るヴィルマーの首から上は、国王陛下の前に出ても恥ずかしくないくらい見事に整えられていた。
「ふ~ん」
なのにヴィルマーと来たら、自分の髪型なんてどうでもいいと言うように、気の無い返事を返しおって。
「まあ、見違えましたよヴィルマー様!」
「そう? 似合ってる?」
そこへミナが歓喜の声を上げると、ヴィルマーもまんざらではないという表情になる。
「それはもう、そのお姿で死体になったヴィルマー様を想像しただけで私、胸の高まりが抑えられません!」
「コラッ、前から言おうと思っていたが、主人の死体を想像するなど不敬だと思わないのか!」
結局ミナは毎度のように死体に行き着くのか。
「別に構いませんよ。闇魔法のスキル適性持ちの死体なんて、公爵家の墓に入るのは反対意見が多いでしょうし、そもそも聖教会が葬式さえしてくれるか怪しいものですよ。ならいっそ、ミナのコレクションとして大事にしてくれる方が、ずっとましだと思いませんか?」
「だから何故、死ぬのが前提になるのだ!?」
「人はいつか死ぬものですよ。だったら闇堕ちして世界に災厄を撒き散らす前に死ぬのが正しい道というものでしょう?」
「だから何故そういう考えになるのだ……」
やはり、闇魔法のスキル適性が判明した後ヴィルマーに光魔法のスキルを身に付けさせようと強いた苦行や焼印で、体と心に負った傷のせいで、自分がこの国や世界にとって有害であり、死ななければならないという希死念慮が生じたのだろうか。まだ一〇歳だというのに、そんな物を背負わせてしまうとは、どれだけ悔いても悔やみきれない。
とは言え悔やんでばかりいてもどうにもならん。少しずつでもヴィルマーに自己肯定感を持たせて、いずれ公爵家の跡取りとして、この国の一翼を担う意思を持ってもらなわなくては──
「ああ、葬式と言えば、ヴィルマー様の死体をコレクションにするとなると、無限収納の中では劣化しないとは言え、むき出しではいけませんね。いいえ、むしろ立派な棺に納める事で、コレクションとしての格も上がるというものでしょう。今のうちに特注の棺を頼んでおきませんと!」
「本当? 僕なんかのために、そこまでしてくれるなんて、やっぱりミナに死体の引き取りを頼んで正解だったよ!」
「だから死ぬなと言っとるだろうが!」
かなり大変だと思うがな──
「ちょっとちょっと、成長が止まった大人と違って、ヴィルマーちゃん位の歳だとすぐ背が伸びるから、今棺を頼んだら、ヴィルマーちゃんの死体を入れる段になって、サイズが小さくて入らないなんて事になっちゃうわよ」
「……成程、それはもっともですね。ヴィルマー様の死体を無理にサイズの足りない棺に詰め込んで、姿勢や骨格が歪むなんて事になったら、後悔してもしきれません」
クレメンスの説得は、説得になってるのか分からない内容だったが、納得したミナはヴィルマーの棺などという縁起の悪い物を特注するのを諦めたようだった。
「ともかく、もうすぐ仕立屋が来るから、御披露目会前に最後の衣装合わせを──」
そう言いかけた所で、ドアがノックされる。
「私です」
「入れ」
家令のローレンツの声に、儂が入室を許すと、ローレンツがドアを開けて入って来るが、そのひどく険しい表情に、ただならぬ事態が起こった事を察した。
「どうした?」
儂は報告を促すが、ローレンツは無言で、代わりにボロボロになった服、痣だらけの顔で仕立屋が続いて入って来る。
「申し訳──ございません!」
入って来るなり、仕立屋は倒れんばかりの勢いで床に平伏する。
「どうしたというのだ? 一体何があったのだ?」
儂は尋ねるが、仕立屋は「申し訳ございません! 誠に申し訳ございません!」と繰り返すばかりでまるで答えにならない。
「私が代わりに説明しましょう」
「ハインリヒ、何故其方が来ているのだ!?」
続けて部屋に入って来たハインリヒとその悪友どもに、儂は語気を強めにして尋ねると、ハインリヒは余裕の表情で「それにつきましては後ほど」と返す。
「こちらへ向かう途中、騒ぎを聞きつけて駆け付けた所、その仕立屋がアーヴマンの信徒どもに襲われていたので、急ぎ信徒どもを成敗して助けてやったのですよ」
ハインリヒがそう説明すると、仕立屋がようやく落ち着いたらしく、顔を上げる。
「私は助かりましたが、こちらへ届ける途中だった、ヴィルマー様の御披露目会用の衣装が──」
そう滂沱の涙を流しながら仕立屋が差し出した服──だったと思しき物は、多くの靴跡、裂き傷だらけな上に、大きな焼け焦げまでできていた。
「あらまあまあ、これじゃとても御披露目会どころか、服としても使えないわね」
儂の後ろから見ていたクレメンスがそう言って来るまでもなく、修復が不可能な事は素人目にもはっきりと分かった。
「何という事だ──」
額を押さえて呻くのを、儂は禁じ得なかった。
「このような状況でお話しするのは誠に心苦しいのですが──」
そう前置きして、ハインリヒは話し出す。
「此度のヴィルマーの御披露目会に、コンラート殿下も婚約者のジュリア公女を同伴で御臨席されるという事で、本日私がお伝えに参りました」
「なっ──」
「殿下は此度の御披露目会を楽しみにしておられるという事なので、くれぐれも粗相の無いよう、よろしくお願いいたしますよ、公爵閣下」
絶句する儂に、ハインリヒは慇懃に言うと、仲間達と一緒に部屋を退出する。
「あらあらあら、大変な事になっちゃったわね」
ハインリヒの足音が遠ざかると、他人事のようにクレメンスが声を上げる。
「大変で済むか、馬鹿者!」
つい声を荒げてしまう。
「殿下が臨席される御披露目会でヴィルマーが相応の衣装で出られないとなれば、ヴィルマーが公爵家を継ぐ事に異議を唱える格好の口実にされるばかりか、儂の立場まで危うくなる! だが今から代わりの衣装を用意する時間も無いし、どうすれば良いのか──」
仕立屋がアーヴマンの信徒達に襲われて、当家へ来る途中で偶然騒ぎを聞きつけたハインリヒがアーヴマンの信徒達を倒したが、ヴィルマーの御披露目会に着る衣装は既にズタズタになっていた──あまりにも話が出来過ぎている。少なくとも、我が息子クラウスとその妻クリスタが『アーヴマンの信徒達に襲われて殺された』時と同じくらいにな。
しかし、それらがハインリヒとその仲間達が企てた自作自演だという証拠は無く、今から証拠を探す時間も無い。加えてコンラート王子も出席されるとなれば、中止や延期も不可能だ。
事態を打開する策が見つからず、椅子に崩れ落ちる儂の視界で、自身が置かれた状況をまるで他人事のように見聞きしていたヴィルマーが、仕立屋の前に立って尋ねた。
「ねえ、僕が頼んだ服は持って来てくれた?」
◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇
僕が尋ねると、仕立屋は涙と鼻水で濡れた顔を上げる。
「は、はい……御披露目会用の衣装と一緒に持参しております……」
「そっちは無事なの?」
「はい、賊どもの狙いは御披露目会用の衣装だけのようでしたので……」
良し! 御披露目会用の衣装と一緒にズタズタにされてないか心配だったけど、安心した。
「それじゃ、今すぐに持って来てよ」
「はい、只今!」
仕立屋がヨロヨロと立ち上がると、それでも急ぎ足で部屋を出て行く。
「ヴィルマー、其方、御披露目会用の衣装と別の服を注文していたのか?」
椅子に座って頭を抱えていた御爺様が、顔を上げて尋ねて来る。
「はい、御爺様に知られたら絶対反対するだろうと思ったので、内緒で進めるように口止め料も付けて仕立屋に頼んでいました」
「いつの間にそんな事を……ああ、ミナが注文から支払いまで全部やったのか」
御爺様がそう納得していると、仕立屋が鞄を持って戻って来る。
「こちらになります」
仕立屋が鞄を開けて中身を出して来る。
「なっ──!?」
それを見た御爺様が固まって、絶句する。
「良い! 素晴らしい!」
「本当ですね。流石は王都でも随一と言われるお店だけの事はあります!」
僕が絶賛すると、ミナも同意の声を上げる。
「早速試着してみましょう、ヴィルマー様」
「そうだね」
僕は頷くと、ミナの手を借りて今着ている上着を脱ごうとする。
「何が素晴らしいだ、馬鹿者!」
御爺様が立ち上がって叫ぶ。
「これのどこが不満なのですか、御爺様?」
「『どこが』なんてどころじゃない! こんな黒ずくめの服など着たら、自分は闇魔法の適性持ちですと声高に宣伝しているようなものではないか!」
青筋を立てて、これから着ようとしている服を指さす御爺様。
「まさに、それこそが狙いなのですよ」
そうだよ、この黒を基調に銀の糸で縁取りや刺繍が施され、更に銀のボタンや肩章などのアクセサリーが随所に付けられたデザイン──まさに闇魔法を極めた魔王の礼服というイメージにピッタリじゃないか。
「こうして闇を表す黒の服を身に纏う事で、自分が世界に害を及ぼす危険がある闇魔法の適性を持っている事を常に認識して、死ぬ決意を衰えさせないようにするんです」
「そんな決意は衰えさせろ、と言うか、捨てろ、スパッと!」
「公爵様、そんなに青筋を立てて叫んでいたら、体に悪いですよ」
ミナが御爺様を気遣って言うけど、「誰のせいでこうなってると思っているのだ!」とまた叫んでしまう。
「だが、色を除けば確かに見事な出来だ。これならば御披露目会に着て出ても、衣装の質について誰も文句は付けられまい。今から代わりの衣装を用意する時間も無い以上、これで強行するしかないか? しかし、最大の懸念である闇魔法の適性がこれでは前面に出てしまう……」
額を押さえて「ああ、どうすれば良いのだ──」と御爺様は呻く。
「つまり、僕が死ねば良いという事じゃないですか」
ずっと前から分かっている、全ての問題を解決する方法を、改めて僕は口に出す。
「「「だから何でそうなる!?」」」
僕とミナを除いた、部屋にいる全員が叫ぶ。
みんなこそ、何故分かってくれないんだろう?




