7 会心の一撃
マジックオルトロスと戦っていたのはアヤメであった。彼女が身にまとう白いローブにはオルトロスの爪攻撃によって生まれたと思われる傷の跡がついていた。
「はぁっ!」
アヤメは目の前のオルトロスに向かって巨大な火球を放つ。
しかし、無情にも火球はオルトロスの体表に生えた魔石に吸収される。彼女がどんなに強力な魔法を使えたとしても、魔法使いキラーと呼ばれるマジックオルトロスの前には無力なのだ。
ガアアアアアッッ!
魔法を吸収したオルトロスが力強い雄たけびを上げる。
「っ!火の攻撃でもダメなのですか!?」
彼女の表情からは驚きと焦りの色が見える。どうやらマジックオルトロスの特性を知らないようだ。
グルルルルル……
マジックオルトロスは両の口からよだれを垂らして低い声で唸る。
アヤメは魔獣の動きを警戒しつつ、一歩ずつ後ずさる。
その時、
「っ!?」
アヤメは岩場に足をとられてしまい勢いよく尻もちをついてしまった。
「っつつ……きゃああっ!?」
マジックオルトロスの二つの顔が同時ににやりと表情を変える。
右の頭はこの好機を逃すまいと口を大きく開き、アヤメに迫る。
「っ!まずい!」
ザックはオルトロスに向かって一直線に走る。そして、オルトロスの右頭目がけ、刀を鞘から抜きながら一気に振り抜く。
「【閃烈斬】!」
閃烈斬はザックが使える剣技の中で最も攻撃スピードが速い技だ。敵を仕留めるというよりも猫だましのように用いて、敵の攻撃を封じるための技として師から教わった。
この局面でアヤメを救うにはこの技しかない。
(届いてくれぇ!)
間一髪、オルトロスの牙がアヤメの体に届く寸前のところでザックの斬撃がオルトロスの右目を掠める。
グアッ!?
マジックオルトロスがひるんだ隙にアヤメの腕を引っ張り、距離を取る。
「大丈夫か!?」
「――!あなたはあの時の!」
「これ以上魔法で攻撃するな、あいつに魔法は効かない!」
「は、はい!」
無防備な眼球を傷つけられたマジックオルトロスは苦しみ悶えている。しかし、決して油断をしてはならない。
オルトロス種は双頭の魔獣。一方の頭にダメージを与えても、もう一方の頭が残っている。
いつでも攻撃できる体勢で、マジックオルトロスの動きを警戒する。
マジックオルトロスは大型の馬車に引けを取らないほどの体躯を誇りながら、俊敏性にも優れていると聞く。少しでも隙を見せようものなら今にも飛び掛かってくることだろう。
一瞬たりとも気が抜けない状態が続く。
「はぁ、はぁ、どうすれば……」
アヤメは肩で息をしている。そのうえ右腕には生傷もある。このまま緊張状態が続けば、アヤメがさらに疲弊し脱出はさらに困難になってしまう。
(危険な賭けだが……やってみるか)
意を決したザックは、視線をマジックオルトロスに向けたままアヤメに問いかける。
「君はまだ魔法が使えるか?」
「は、はい。使えますけど……」
「俺が合図をしたらあいつに向かってさっきの火の玉を撃ってくれ」
「あの魔獣に魔法は効かないんじゃないですか?」
「隙を作るためだ。こいつは魔法を吸収している瞬間にわずかだが隙を作る。その間に俺が奴を攻撃して気を引くからあんたは逃げてくれ」
オルトロスが魔法を吸収するときに一瞬固まっていたのは確認済みだ。この作戦ならアヤメが逃げ切れる可能性は高い。
「あなたはどうするんですか!?」
「俺はずっと露払いだったんだ。殿役なら慣れている。君よりかは余裕もあるしな」
殿役の経験が豊富なのは事実だが、これほどの窮地からの撤退は初めてだ。ザックが逃げ切れる保証はないが、共倒れになるよりはよっぽどマシだ。
それに、たとえ逃げ切れなくても目の前の人間を守るために死ねるなら本望だ。最後にヒーローとして人生を全うできるのだから。そんなザックのことを、故郷の家族やウィルたちも誇りに思ってくれることだろう。
「……分かりました。あなたの作戦に乗ります」
ザックの言葉を信じてくれたのか。アヤメは渋々ながら納得してくれた。
「よし、行くぞ……」
「待ってください!……【ライジング・ブースト】っ!」
アヤメが呪文を唱えると、2人の体が金色に輝く。
「これは…?」
「身体能力を上昇させる魔法です。これならあなたも逃げ切れるかと……」
彼女の言う通り、体中から力がみなぎってくる。
「ありがとう……行くぞ!」
「はいっ!【バーニング・サーフェイト】!」
アヤメの目の前に現れた魔法陣から、人一人を容易に飲み込むくらいの大きな火球がオルトロス目がけて放たれる。
火球がオルトロスに当たったとほぼ同時にザックはオルトロスに向かって走り出す。
「【迅雷断】!」
ザックは自分が使える剣技の中で最も威力の高い攻撃を選択した。敵は自分の階級では挑戦することすら許されない強力な魔獣、陽動であっても出し惜しみはできない。
大地を力いっぱい踏みしめ、高く飛び上がったザックは、体重を乗せつつ両手で握りしめた刀を振り下ろす。
狙いはオルトロス種共通の弱点である、二つの首が交わる付け根の部位。
魔法で腕力が強くなったおかげか、刀は魔石に覆われたオルトロスの弱点を斬りつける。体表に纏わりつく魔石だけではなく、その奥にある肉を斬り裂く確かな感触があった。
グアアアアアア!
目の前の魔獣は痛々しい悲鳴を上げながら、仰け反りそして崩れ落ちる。その横をアヤメが駆け抜ける。
(よし、彼女は逃げ切れた!)
アヤメの無事を確認したザックはマジックオルトロスから距離を取りつつ警戒を続ける。
しかし、オルトロスの様子がおかしい。斬りつけてから一分ほど経っても起き上がろうとする素振りが無い。
もしかしたらオルトロスはこちらの隙を窺っているのかもしれない。ザックは滴る汗を拭うこともせずに目の前の魔獣を睨み続ける。
さらに五分以上が経過した。
いつ動き出すか、オルトロスの様子に気を張っていると後ろから声を掛けられる。
「あの……何してるんですか?」
「ひゃっ!?」
気を張っていなかった方向からの音に思わず変な声が出てしまう。後ろを振り返ると、安全圏まで逃げ切ったはずのアヤメがいた。
「あ、驚かせてしまいすみません」
申し訳なさそうにアヤメはぺこりと頭を下げる。
「い、いや、こっちこそ変な声出してちゃってごめんね。それより大丈夫?ケガしてたと思うけど……」
「はい、回復魔法を使ったのでもう大丈夫です。」
そう言ってアヤメは傷があった右腕を見せつける。服は破れたままだが、そこから見えるきめ細やかな白い肌には血一滴残っておらず、すっかりきれいになっていた。精神的な疲労までは抜けていないようで、見目の良い顔に疲れの色は見えるものの、目立った外傷もなく完全に近い状態まで回復できているようだ。
さすがは短期間でC級パーティをA級まで押し上げた転生者だ。ザックは素直に感心していたが、現状を思い出す。
「どうして戻ってきたんだ!?せっかく逃げれたのに!」
「完全に回復できたのであなたのサポートをしようかと思いまして……でもその魔獣、もう死んでいませんか……」
「えっ……?」
慌ててオルトロスの方に向き直ると、そこにはアヤメの方へ振り返る前と同じ体勢のオルトロスが横たわったままでいた。
おそるおそる近づいていってもオルトロスはピクリとも動かない。刀でつついても何も反応しない。
どうやらアヤメの言う通り、マジックオルトロスは絶命してしまっているようだ。
「俺が……A級魔獣を……?」
これまで最高でC級レベルの魔獣までしか倒したことのなかったザックにとって、初めての大仕事の成功であった。
次話は1時間後に投稿します。