51 帰還
セームの街を発っておよそ半日。真夏の太陽が沈む頃にアーネストに到着した。終業間際の時間だったが、復帰を報告するために二人はギルドへと向かった。
「ザックー!!アヤメー!!」
ギルドの扉を開けた瞬間、イオが二人に抱き着いてきた。あまりの勢いに倒れそうになるが、足腰に力を入れて何とかこらえる。
「本っ当にお前たちは……無茶しやがって……」
ザックの頸動脈を絞めつける右腕の強さが、二人を心配する気持ちを物語っている。
「あはは……すみませんでした……」
「あの……マスター……頭が……」
ザックはまだ大丈夫だが、隣のアヤメの声が苦しそうになっていく。
イオの左腕は、ザックより頭一つ背の低いアヤメの頭部を締め上げている。かつて大斧を振るい、数多の魔獣を地獄送りにしてきた元S級冒険者の剛腕が二人に牙を剥く。
「よく戻って来てくれた!うおおおおぉー!!」
感極まったイオの両腕は、一層力強く二人を抱きしめる。
「ぐえっ!?」
「――――」
ザックの肺に入るはずだった空気が外に押し出される。アヤメに至ってはもう声が出せなくなっている。
「マスター!二人とも死んじゃいますよぉ!」
受付窓口から飛び出してきたリリーのおかげでなんとか一命をとりとめた。
「バーナードからお前たちの活躍は聞いている。よくぞ生きて帰ってきてくれた」
「たった今死にかけましたけどね……」
喉を擦りながら言葉を返す。アヤメの魔法によるバフが無かったので、雷嵐龍の光弾を受けた時よりも生命の危機に瀕していた気もする。
「頭がぐわんぐわんします……」
アヤメはすっかり目を回している。近接での戦闘経験がほとんどないアヤメにとって、イオのヘッドロックは文字通りの必殺技になっていたらしい。
「王都ギルドからの緊急連絡が来たときも驚いたが、セームからの連絡が来たときは心臓が止まるかと思ったぞ」
「マスターったら自分がセームに行くって聞かなかったんですよ。最後は騎士団の若い隊長さんに説得されてなんとか止まりましたけど……」
「『親友とあいつの彼女は俺が絶対に助けるから、あんたはここでどんと構えていろ』って私に言いやがったんだ。ほんと若いのにいい度胸してるよ」
「ウィルは自慢の親友ですから」
若い隊長というのはウィルで間違いないだろう。
いつもは軽薄そうな態度をとるウィルだが、心の中に熱いものを持っているのは知っている。ウィル本人曰く、真剣な時に全力を出せるように普段は意図的にヘラヘラしているとのことだ。
アヤメをザックの彼女と言ったことについては、後日真意を問い詰めておこう。
「こっちのギルドはどうだったんですか?」
「セームと同じだ。みんなボロボロで帰ってきたよ。誰一人死体として帰ってこなかったことだけが不幸中の幸いだった」
「それじゃあギルドは……」
「急ぎのクエストは騎士団に協力してもらいつつ、軽傷者には無理をしてもらった。本来やるべきことではないのだが、こうでもしないとな……」
イオは険しい顔をして深いため息を吐く。
回復術師代わりとなるアヤメがいたセームギルドでも、体制を立て直すのには時間がかかった。回復術師のいないアーネストギルドが復旧するには、誰かが無理をしなければならなかったのだろう。
「マスター!気に病まないでください!」
「そうですよ!マスターもクエストを手伝ってくれたじゃないですか!」
「マスターの業務で忙しいはずのに……イオさんのおかげでみんながどれだけ救われたか……」
ザック達の会話を聞いていた中年の冒険者たちがイオを励ます。
「ううっ……お前たち……」
イオは口に手を当て、感涙にむせび泣く。
ギルドの長としての厳しさゆえに、冒険者にきつくあたることも多いイオだが、全てギルドに所属する冒険者を思ってのことである。
パーティの階級や目先の金に気を取られてばかりいる若手の冒険者は、そんなイオを毛嫌いして他のギルドに逃げるが、イオの本心を理解している聡明な冒険者はずっとこのギルドに所属している。
もちろんザックとアヤメもイオの信条を理解し、賛同しているからこそアーネストギルドに所属し続けているのだ。
「そういえば、俺たち緊急クエストに参加していたことになってたんですけど、何か知りませんか?」
「あっ……あれは私のミスなんです……」
ザック達の近くにいたリリーが申し訳なさそうな顔をして、小さく手を挙げる。
「何をしたんですか?」
「緊急クエストが舞い込んだ日のことを覚えていますか」
「ええっと……確か……」
あの日はリリーから緊急クエストが入っていることを教えてもらい、アヤメと話し合った上で緊急クエストの受注を決めた。その意思をリリーに伝えた矢先に、イオがセームギルドへの救援を呼びかけたはずだ。
「実はザックさんからクエストを受注するって言われた時点で、参加者のリストにお二人の名前を書いちゃってたんです。それで――」
「後から消すのを忘れていたと」
「はい。すみませんでした……」
リリーはしゅんと肩を落としながら頭を下げる。
「ああっ!別に責めてるわけじゃないんだ」
「むしろお礼を言いたかったんですよ」
「お礼……ですか……?」
リリーが名前を残してくれたおかげで、多額の報酬を二人で独占することができたし、雷嵐龍撃退の功績が公に認められた。
ザックとアヤメの立場からすれば何も困ってはいないので、感謝することはあれども責め立てる必要はどこにもないのだ。
「ありがとな。リリー」「リリーさん。ありがとうございます」
「「ミスをしてくれて」」
「……なんかバカにしてませんか?」
「してないよ。なあアヤメ?」
「はい。純粋に感謝していますよ」
訝しむリリーに対して、にこやかな笑顔で応えるザックとアヤメ。
「やっぱりバカにしてるじゃないですかー!」
リリーが可愛らしく怒りだしたところで、ギルドは笑顔に包まれる。
看板娘であるリリーはこのギルドみんなの癒しの存在だ。小動物のような彼女の愛らしい言動は、血生臭い冒険者稼業に携わる者たちにとっての清涼剤である。
先程まで中年の冒険者たちと共に涙を流していたイオもすっかり笑顔になっている。
たった一ヶ月ぶりの光景だが、強い懐かしさを感じさせる。
「ま、その息の合いっぷりならばS級昇格試験も大丈夫だろ。期待してるぞ」
イオがS級の名を口にした瞬間、冒険者からの視線が一際強くなる。
「やっぱりS級に推薦されたか」
「今回の一件は十分すぎる実績だからな。そりゃあ試験は間違いないだろ」
「久々にうちからS級が出るかもしれんぞ」
中年の冒険者たちはザックとアヤメに好奇と期待の目を向けている。このギルド所属の冒険者がS級昇格試験に挑むのは数年振りのことだ。注目の的になるのも無理はない。
しかしその一方で、あまり快く思っていない者もいるらしい。
「ちょっと前までお荷物の露払いだったくせによ……」
「転生者がいれば俺たちだって今頃……」
「なんであんな無能なんかが……」
陰口の主は、若手冒険者パーティの面々だ。
彼らは確か新進気鋭のC級パーティだ。かつてアヤメを勧誘していたパーティの一つでもある。陰口の対象がザックに限定されている辺り、いまだにアヤメを持っていったことを根に持っているのだろう。おそらくは今回の雷嵐龍の一件も全部アヤメの功績だと思っている。
「全く……この手の輩は中々減らないですね……」
「アヤメ、口が悪くなってるぞ」
憤るアヤメをどうどうと押さえつける。
「でもっ!ザックはあれだけ命を懸けて戦ったのに……」
「言わせておけ。俺たちは周りからの評価のために戦っているわけじゃないだろ?」
「それはそうですけど……」
二人は名声のために戦っているわけではない。困っている人の希望になりたくて冒険者をやっているのだ。何も知らない他人にとやかく言われたところで別に動じることでもない。
「けっ……調子に乗りやがって」
そんなザックの態度が気に入らないのか。C級パーティはさらに強い嫉妬のこもった目つきになる。
「お前たちいい加減にしろ!恥ずかしくないのか!」
C級パーティに向かって大声を上げたのは、このギルド一のベテラン冒険者であった。
「んだよおっさん……そいつが大したことないのは見れば分かんだろ」
「あの記事を見ただろうが。それでもお前たちはザックを貶めるのか?」
「はっ。どうせあの記事はそいつが書かせた捏造ものだろ。信じる方が馬鹿だな」
「んだとぉ……?」
ザックの与り知らぬところで、C級パーティのリーダーとベテラン冒険者がヒートアップしている。ザックは完全に置いてけぼりになった。
「あの記事って何のことだ……」
「さぁ……?」
『あの記事』が何を示しているのか分からないため、ザックとアヤメは首を傾げる。
「ん?お前たち知らないのか?あれだよ。そこの掲示板に貼ってるやつ」
イオに言われるがまま掲示板に近づいてみると、掲示板の中央には雑誌の記事を切り貼りしたコーナーが設けられていた。
「これは『月刊ブレイバー』の特集記事かな?」
「『月刊ブレイバー』……?」
「優秀な冒険者の活躍や新米の冒険者に役立つ情報紹介する雑誌だよ。俺も新人の頃はよく読んでたっけなぁ――って……えぇ!?」
少しだけ懐かしい気持ちになったのも束の間、記事の内容に思わず大きな声を出してしまう。
『アーネストギルド所属のザックとアヤメ、雷嵐龍の撃退に成功する』
デカデカとした蛍光色の見出しの下には、宴で乾杯の音頭を取るザックの写真が添えらえていた。
「なあ……これ知ってたか?」
「いえ……」
記事を見る限り、取材が行われたのはザックが退院して宴が行われた日。あの時二人は街中の人たちから接待のようなものを受けていたため、気が付かなかったらしい。
二人に取材が来なかったのはおそらくバーナードの配慮であろう。
紙面にはバーナードやフィーチャーをはじめ、ザックとアヤメがセームで関わった人たちの声が紹介されている。
ほとんどが街を救ってくれたことへの感謝と称賛だが、特に目を引くのは二人と共に戦ったブレイのコメントだ。
『A級魔獣を瞬殺するお二人のコンビネーションはS級といっても過言じゃないっす』
『街を守るために何度も雷嵐龍の攻撃を受け続けたザックさんはマジで人間離れしてるっす』
『アヤメさんの見たことない魔法とザックさんの力強い剣技。二人じゃなきゃ雷嵐龍を撤退させることは絶対にできなかったですね。これは間違いないっす』
その他にも、とにかくザックとアヤメの活躍を褒め称えるコメントが続いている。しかもその比率はザックの方が少し多めだ。
「ブレイの奴……」
「でも全部本当のことですよ。こうしてザックの実力が正しく知られるのは嬉しいです」
「でもなぁ……流石にこれは恥ずい……」
この雑誌は王都の出版社が発行する全国紙だ。ブレイのコメントは王国中に広まったということになる。しかし彼の表現はいささかオーバー気味だ。
ニコニコとご満悦のアヤメとは対照的に、羞恥心でザックの顔は熱を帯びていく。
「皆さん見てくださいよ。あんなに顔を真っ赤にしてるんです。自分で書かせたのならあんなことにはなりません。どう考えてもあの記事は本物ですよ!」
リリーよ。もう少しましな言い方は無かったのか。
「ちっ……」
バツが悪くなったC級パーティの面々は、舌打ちをしてギルドから出て行った。
「その……今まで無能だなんだと言って悪かったな。試験頑張れよ」
さっきまでC級パーティと言い争っていたベテラン冒険者が頭を下げてきた。
「これなら方舟追い出されたときにスカウトしときゃあ良かったな」
「あいつらもバカだよ。代わりに入れた奴の方がよっぽど無能だったもんな」
ギルドに残っている中年の冒険者たちからも好意的な評価が聞こえてくる。セームに行く前から少しずつザックへの評価は上がりつつあったが、今回の一件が決定打となったらしい。
「ザック、絶対に二人で合格しましょうね」
「ああ!」
ギルドのみんなの期待を背に受け、ザックはまた一つ前に進むことができたような気がした。