33 セームの街
馬車に揺られること半日。ザックとアヤメがセームの街に着くころにはすっかり日が沈みかけていた。
ギルドに入ると、白い髭を蓄えた恰幅の良い初老の男性が二人を出迎えてくれた。
「ザックとアヤメじゃな?イオちゃんから話は聞いておるぞ」
イオのことをちゃん付けで呼ぶということは、イオとはかなり親しい間柄なのであろう。それに加えてイオよりもかなり上の立場の人間であることも窺える。元S級冒険者のイオをちゃん付けで呼べる者など王国全体でもそうそういないはずだ。
「儂はバーナード。このギルドのマスターじゃ」
バーナードと名乗る老父は申し訳なさそうに眉を下げている。
「今回はすまんのぉ。君たちも緊急クエストに行きたかっただろうに」
「気にしないでください。俺たちは自分たちの意思でこちらに来たんです」
「目の前で困っている人は見過ごせない領分ですので」
ギルドの職員たちにも軽く挨拶を済ませた二人は、ギルドの応接室に通された。
「改めて、今回はこのセームの街に来てくれてありがとう」
ソファに座ったバーナードは深々とザック達に頭を下げる。
「顔を上げてください。そう思っていただけるだけで、私たちもこの街に来た甲斐があるというものです」
「現状はどうなっているのですか?」
「今、この街には未熟な冒険者しかおらん。彼らは有望な冒険者だが、流石にまだ半人前。いや三分の一人前じゃ。この街にもしもの事があればどうすることもできん。そこでかつての教え子であるイオちゃんに助けを求めたのだ」
いくら緊急クエストといえど、騎士団が常駐していない街から中級と上級の冒険者が全員連れて行かれるということがあり得るのだろうか。
「バーナードさん。一体なぜこんなことに……?」
「ノゲイラのギルドマスターのせいじゃよ」
バーナードは苦々しい顔をしてため息を吐く。
「あやつめ……手柄欲しさに緊急クエストの指揮権をうちのギルドから掠め取った挙句、D級以上の冒険者パーティを全部連れて来いと言い出したんじゃ」
「ノゲイラの要請を断ることはできなかったのですか?」
「最初は何人かの冒険者を残すように頼んだのじゃが、従わなければ王国中のギルドにうちのギルドの悪評を垂れ流すと脅しをかけてきたのじゃ……」
「悪評、ですか……?」
「人の噂というのは本当に恐ろしいものでの……たとえそれが事実無根であっても、信じる奴がそれを吹聴し続ければ真実として伝わっていくんじゃよ……」
バーナードは悔しそうな表情を浮かべる。
かつて方舟の面々から無能の烙印を押され、仲間探しに苦戦したザックにはバーナードの苦悩が身に染みてよく分かる。誰一人としてザックの剣技を目の当たりにしたことが無いはずなのに、無能の評判があるだけで門前払いを食らい続けたのだ。
「もちろんこのことは後で王都ギルドに通報するが、一度悪評をばらまかれればおしまいじゃからな……泣く泣く冒険者を送り出したんじゃ」
噂や評判の面倒な所は、一度それが広まってしまえば否定するのが難しい点にある。とりわけ悪評については他人の不幸を喜ぶ人間が面白がって吹聴するので、話に尾ひれがついてより厄介なことになる。バーナードが苦渋の決断をしたのも仕方のないことだったのだろう。
「事情は分かりました」
「私たちは何をすればよいでしょうか?」
「二人を呼んだのはもしもに備えてのことじゃから、ギルドで待機しておいてくれ」
「何かクエストを受注しなくてもいいんですか?」
「急ぎのクエストがあれば任せることになるかもしれんが、強いて言えばこの街の警備や防衛がクエストじゃな。滞在にかかる費用はもちろんこちらで持つし、それとは別に報酬も出そう」
何事も起こらなければずっとギルドに待機することになるらしい。流石に報酬については断ろうとしたが、バーナードは「うむ。それがいい」と一人で納得してしまった。
「今日は長旅で疲れているじゃろ?いい宿を準備しているから今日はゆっくり休んで明日の朝にまたギルドに来てくれ」
バーナードに紹介された宿はこの街で一番豪華な宿であった。貴族の屋敷を思わせるほどの豪華な三階建ての宿。その宿の中でも一番とされる三階のスイートルームにザックとアヤメは通された。
本来は王族や豪商など街にとって無下にできない方々ための部屋らしいが、しばらくの間は使われる予定が無いらしいため自由に使ってくれとのことであった。
部屋には大きな浴室も備え付けられており、用意された食事も今後お目に係れないような豪華なフルコースと、何から何まで至れり尽くせりであった。
「本当にいいのでしょうか……」
「どうしたんだ?」
風魔法で髪を乾かしているアヤメが申し訳なさそうな顔をして呟いた。
「まだ何もしていないのにここまでもてなしてもらうのは少し気が引けるというか……」
アヤメの言う通り、二人はこの街に来てから特に何もしていない。強いて言えばバーナードに挨拶をしたくらいだろうか。それなのにこの圧倒的な好待遇。他人に気を遣いがちなアヤメが気にするのも無理はない。
「まっ、報酬の先払いくらいに思っておけばいいんじゃないか?」
「そんな軽い感じでいいんでしょうか……」
「その代わり、何か起きた時はもてなしてもらった以上に頑張ればいいんだよ」
「――それもそうですかね。そのためにも今日はもう寝ましょうか」
「ああ。そうだな」
納得したアヤメは寝室へと向かったが、寝室の扉を開けたところで固まってしまっている。
「どうしたんだ?」
「あ、その……ザック……あれ……」
アヤメが顔を赤らめながら指さした先にはキングサイズの大きなベッドが一つ、ドンと構えていた。
「ベッドがどうしたんだ?」
「この部屋、ベッドが一つしかないみたいなんです……」
「それがどうしたん……あっ……」
途中まで言いかけたところでザックも気が付いた。いくらサイズが大きいとはいえ、備え付けられているベッドは一つ。寝室で眠るには同衾するしかないのだ。
「あー……俺は部屋のソファで寝るからベッドはアヤメが使えよ」
気まずさを隠しながらザックはアヤメにベッドを譲ろうとする。日頃からクエストで野宿をすることも多いザックにとって、ソファで眠ることはさほど苦痛ではない。
しかもこの部屋のソファはフカフカで家のものとは大違いだ。ベッドほどではないにせよ快適に眠れるはずだ。
大部屋に戻ろうとしたところでザックは寝間着の袖を引っ張られる。
「ま、待ってください……その……ザックも一緒にベッドで寝ましょう!」
「ぅえっ!?」
アヤメの予想外の一言に思わず変な声が出てしまう。
恋仲にない年頃の男女が同じベッドで寝るというのは、はしたない行為だと親から教わってきた。
アヤメは信頼できる仲間とはいえ、恋人でも夫婦でもない。彼女がいくら魅力的な女性といえど、恋愛関係にない女性と同衾するなど許されない。というかアヤメが魅力的な女性であるからこそ余計にまずい。
アヤメはザックを気遣っているのだろうが清廉な彼女のことだ。ザックと同じような倫理観があるはずだ。
それならば尚更彼女の提案に応じる訳にはいかない。
「えっと……気にしなくても大丈夫だよ。あのソファならゆっくり眠れると思うから」
「背中を預ける仲間のコンディションは万全にしなければいけないのでしょう?」
いつの日か、ベッドを買う際にザックがアヤメに言った言葉を返される。
「うっ……あ、アヤメも怖いだろ?恋人でもない男と同じベッドで寝るっていうのは」
「それは……全く気にならないと言えば噓になりますけど、ザックは私の嫌がることは絶対にしないと信じてますから……」
口調は少したどたどしいところもあるが、アヤメの眼差しからはザックへの絶対的な信頼が見える。おそらくザックが何を言っても引くつもりはないのだろう。
「――分かった……」
ザックは観念することにした。
「ザック。そんな端っこで寝たら落ちてしまいますよ」
「いやぁ、寝相あんまし良くないしさ……」
ザックはベッドの右端に陣取った。寝相が悪いというのはもちろん建前で、実際はアヤメと距離をとるためである。
「それなら余計に内側で寝なきゃダメじゃないですか……えいっ!」
呆れたアヤメは布団の中からザックの左腕をとり、自分の方へ強引に引き寄せる。
「お、おい!アヤメ……」
「え、えへへ……」
思いっきり引き寄せられたせいで、至近距離にアヤメの顔が迫る。
枕元のランプに照らされたアヤメの顔は少し赤らんでいるようにも見える。恥ずかしいなら無理にこんなことしなくてもいいのに。
でも、これもザックを気遣っての行動なのだろう。
「全く……アヤメには敵わないな……」
「おやすみなさい。ザック」
「ああ、おやすみ」
できるだけこのシチュエーションを意識しないよう、早鐘を打つ胸を押さえながらザックは無心で瞼を閉じた。




