32 緊急クエスト
アヤメがB級冒険者に昇格してから数日経った日の朝、アーネストの冒険者ギルドにはいつもとは違う光景が広がっていた。
この時間、いつもなら多くの冒険者が依頼掲示板の前にいるはずなのに今日は誰も掲示板に見向きもしていない。掲示板には未受注のクエストがびっしりと張り付いたままだ。E級のクエストが二、三減っているくらいであろうか。
肝心の冒険者たちはというと、パーティ毎に何やら話し込んでいる。どのパーティもかなり真剣な雰囲気を醸し出しており、外から話しかけるのが憚られるところだ。
状況を呑み込めないでいると、ザック達に気付いたリリーが声を掛けてきた。
「あっ。ザックさん、アヤメさん、おはようございます。お二人も緊急クエストに挑戦するんですか?」
「緊急クエスト……ですか……?」
「アヤメは多分初めてだよな?緊急クエストなんてこのギルドじゃ四年ぶりくらいのはずだし」
耳慣れない単語に首を傾げるアヤメに、ザックは緊急クエストの説明を始めた。
緊急クエストというのは、本来S級クエストや王都騎士団の精鋭部隊が担当する任務に該当するレベルの難関クエストではあるが、S級冒険者も騎士団も手配できない場合に仕方なくA級以下の冒険者に発注される特別なクエストの総称だ。
本来ならS級冒険者の準備を待つべきなのだが、それでは間に合わない場合に緊急クエストとして王都ギルドから他の街の冒険者ギルドに発布される。ただしA級以下の冒険者では実力が足りないので、受注人数に制限を設けず、数の力でクエストの成功を目指すのだ。
危険を伴うクエストだが、昇格を目指すザック達にとっては渡りに舟だ。「あっ!」と小さく声を上げたアヤメもそれに気付いたようである。
「ザック。もしかしてこれなら……!」
「ああ。合法的にS級レベルのクエストに挑戦できる。できれば受けようと思うんだが」
「そうですね。あっ、……でも、あのクエストはどうなるのでしょうか?」
アヤメが指さしたのは、掲示板に貼られた未受注のクエスト依頼である。今日入ったクエストはほぼ全て手が付けられていない所を見るに、このギルドにいる中級以上の冒険者は、ほとんど全員が今回の緊急クエストに参加するつもりなのだろう。
このままアーネストのギルドから冒険者がいなくなれば、掲示板の依頼は後回しになってしまう。助けを求めてギルドに依頼してきた人たちも困っていることに変わりはない。依頼が後回しになれば被害が拡大してしまう可能性もある。
誰かのために頑張ることを信条としているアヤメにとって、見過ごせない事態ではある。
「このギルドのことなら大丈夫ですよ。今のところ緊急性の高いクエストは入っていませんので。もしもの場合には特例措置で騎士団の方々にクエストを攻略してもらうこともできますし、万が一のときにはマスターが何とかすると言っていましたし」
アヤメの懸念にリリーは明るい口調で答える。
騎士団はもとより、S級冒険者であったイオがいればおそらく大丈夫だろう。
「本当ですか?」
「はい!緊急性が高いクエストはアヤメさんたちが優先的に受注してくださっているので、あと一週間くらいなら余裕はあると思います」
ザック達はここ一か月ほど、依頼の難易度よりも問題解決の緊急性を重視してクエストを選んでいた。これは本当に困っている人たちを一刻も早く助けたいというアヤメたっての希望であった。
中にはD級やE級のクエストもあったためアヤメの昇格が少し遅れたが、おかげで心置きなく緊急クエストに挑めることになりそうなので結果オーライだろう。
「ザック。緊急クエストを受けましょう」
「分かった。リリー、手続きを頼む」
「はい。それではこちらに――」
リリーがザック達を窓口に呼び寄せようとするところでギルド全体に大きな声が響いた。
「みんな、少し聞いてくれ!」
声の主はこのギルドのマスター、イオであった。
ギルド中の冒険者の注目が自分に集まったことを確認して、イオが話し始めた。
「ついさっき、【セーム】の街の冒険者ギルドから連絡があった。今回の緊急クエストへの参加でギルドの上級冒険者がみんないなくなったらしい。あそこは近くに騎士団の駐屯地も無いから困っているそうなんだが、誰か救援に行ってくれないか?」
セームの街といえば、アーネストの半分ほどの大きさの街でありながら多くのA級冒険者を抱える冒険者ギルドがあることで有名だ。街の近くのダンジョンでとれる高級な特産品を採集するクエスト目当てに、安定志向の有力な冒険者が集まっているらしい。
「マスター、どうしてそんな事態になったんですか?」
パーティのリーダー格と思しき中年の冒険者がイオに尋ねる。
「どうやら今回の緊急クエストの指揮を執る【ノゲイラ】のギルドが無理を言って総動員させたらしい。今のところは大丈夫らしいが何かあってからでは遅いということなので、ウチのギルドに助けを求めてきたというわけだ」
騎士団が常駐していない街では冒険者が街の守りの要だ。腕の立つ冒険者が一斉にいなくなれば住民の不安は計り知れないであろう。
「うちのギルドには総動員は無かったんですか?」
「ここは冒険者の数は多いけどA級は少ないからな。大した戦力として見ていないんだろ」
イオが言うように、アーネストギルドには多くの冒険者が在籍しているが、その多くはC級、D級といった中級の冒険者たちである。地方都市のギルドであるため、このギルドには毎日多くのクエストが舞い込むが、A級クエストが入ってくることは少ない。
それ故にA級に昇格した冒険者やパーティの多くは、より高報酬のクエストが集まるノゲイラやセームのギルドに移籍をしてしまうのだ。
「分かっているとは思うが、セームに行くのであれば緊急クエストの方は諦めてもらうことになる。どちらも任意参加だからこちらから強制することはないが……どうだ?誰か行ってくれないか?」
そう言ってイオはギルド中を見回すが、どの冒険者も彼女と目を合わせようとしない。普通の冒険者であれば縁もゆかりもない街の留守番よりも、緊急クエストで武勲を上げて自分の名を上げようとするだろう。
でも今はアヤメと共に誓い合った夢がある。今、セームの住民は困っているのだ。ここでザック達がセームの救援に行けば、二人はセームの人々の希望になれる。
だけど緊急クエストで活躍すればS級昇格の可能性が見えてくる。S級冒険者になれればあらゆるクエストに挑むことができる。つまるところ、多くの人の希望になれるのだ。
目の前の『今』をとるべきか。それとも『将来』をとるべきか。どうすべきか頭を悩ませていると袖をくいくいと引っ張られた。
「どうした?」
「ザック。私、セームの街の救援に行きたいです。S級になれるチャンスを逃すのは惜しいですけど、このままではセームの人たちが……」
「そうだよなぁ」
セームの街の人々を思ってか、アヤメは悩まし気な表情をしている。彼女のポリシーを考えれば、そちらに心が傾くのは必然だろう。
彼女は『今』を見ている。
正直な所、緊急クエストに参加できないのはかなり惜しい。緊急クエストは数年に一回、あるかないかのレアなクエストだ。この機を逃せば次のチャンスはいつになるか分からない。
でも目の前で困っている人がいるのを見過ごせるほど、今のザックは割り切りのいい人間ではない。だからこそ、セームに行くべきか悩んでいるのだ。
意を決したザックはイオに尋ねる。
「あの、今回の緊急クエストってうち以外にどこのギルドに依頼されたんですか?」
「そうだな……うちとセーム以外には【ノゲイラ】と……確か【レバンナ】もそうだな」
四つの街のギルドの冒険者が集まればかなりの戦力になるだろう。しかもその中にはノゲイラのギルドもいる。あそこには武闘派のA級冒険者が多数いると聞く。B級のザック達がいなくてもクエストには成功するだろう。
そう考えれば、どちらの選択をすべきか。自ずと答えは見えてくる。
「マスター、セームには俺とアヤメが行きます。他のみんなは俺たちの分まで緊急クエストを頑張ってくれ」
「!……本当にいいんですか?」
「アヤメが行きたいってって言ったんじゃないか」
「それは私一人でもいいのでという意味だったのですが……」
「俺も行きたくなったんだよ。緊急クエストには沢山の冒険者がいるけど、今のセームには誰もいない。俺たち二人でセームの人たちの希望になるんだ!」
「――はいっ!」
「よし。向こうのギルドにはお前たち二人が行くことを伝えておく。準備ができたらすぐにセームへ向かってくれ」
二人の意思を確認したイオはギルドの奥に消えていった。数分後に、ギルドが連絡用に使っている伝書鷹がセームの方角へ飛んでいった。
ギルドを出ていくときに何人かの冒険者に声を掛けられた。そのほとんどはザック達よりも年上の冒険者であった。彼らは一様に「すまない。本来なら年長の俺たちが行くべきところなのに」と頭を下げてきた。
緊急クエストで功績を上げたい気持ちは同じ冒険者としてもよく分かるし、ザック達からすれば自分たちがやりたいことをしているだけなので、適当に受け流してセーム行きの馬車乗り場へ向かっていった。