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31 変わり始めた心


「ザック、今日も……その、いいですか?」


 食事の後片付けを終えたザックを待っていたのは、顔を赤らめ、もじもじしているアヤメの姿であった。


「――今日はやらなくてもいいんじゃないのか?」

「ダメです!こういうのは日々の継続が大事なんです!」

「……分かった。すぐに行く」


 ここ最近、二人で欠かさずにやっていることがある。今日は仕事日だったので無しにしてもいいのではとも思ったが、彼女はそうでもないらしい。

 観念したザックは、アヤメの後を追って彼女の寝室へと入っていった。





「はぁ……はぁ……」


 ベッドの上でアヤメは苦しそうな声を漏らす。表情も険しくなっている。



「頑張れアヤメ、もう少しだ!」

「はい……っ!」


 アヤメは渾身の力を振り絞り、仰向けの体勢から自分の上体を持ち上げる。


「ううぅ~~っ」

「……五十!よし、今日のノルマ終わり!」

「っはあっ!何とか、できました……っ!」


 アヤメはそのまま自分の体を後ろに投げ出し、再び仰向けの状態になる。

 ザックも両腕で固定していたアヤメの足を解放してアヤメから離れる。


 最近の日課というのはアヤメの筋力トレーニングだ。この世界に来て以来、魔法の力に頼りっきりだったというアヤメたっての希望で、毎日夕食後に行われている。

 アヤメは身体強化魔法で自分の膂力を上昇させることができるが、魔力の節約のために体を鍛えたいということらしい。



「腹筋五十回を三セットか。だいぶ回数も増えてきたな」

「はい。これもザックが筋トレに付き合ってくれるおかげですね」


 アヤメは頭だけをこちらに向けてゆったりと微笑む。


「いやいや……足持ってるだけだから」


 ザックがやっているのは誰でもできるトレーニングの補助。腹筋や背筋を鍛える際にアヤメの足を固定するくらいのものだ。それだけで褒められるも何だか複雑だ。


「そんなことありません!」

 アヤメは仰向けの状態から勢いよく体を起こし、こちらに顔を近づけてくる。


「足を持っているだけ、ではないですよ。ザックはいつも私が苦しくなった時に応援をしてくれますから。あの声があるから頑張れるんです」

「わ、分かった……分かったから少し離れてくれ……」


 ズイズイと迫ってきたアヤメの顔が、ザックの顔の目と鼻の先まで到達している。


「す、すみません。汗臭かったですよね……」

 アヤメは叱られた子犬のように、しゅんとした表情になる。


「いや、そんなことは無いんだけどさ……」


 むしろ運動直後だというのに、ふわりと爽やかな香りが鼻をくすぐる。毎日同じ風呂に入って、同じ食事をとっているのになぜここまで違うのだろうか。


「お風呂先に頂いてきます!」

 アヤメは一目散に部屋から飛び出していった。




「――っはあぁぁぁぁ」

 アヤメが出て行ってしばらくして、ザックは体をベッドに投げ出す。


「ダメだ……最近のアヤメは刺激的すぎる」


 アヤメが過労で倒れた日以来、ザックは彼女のことを大事な仲間としてだけではなく、一人の女性として見るようになってしまった。


 おんぶの時に感じた胸の感触、うっかり見てしまった半裸の姿。そのときのことが時折頭の中でフラッシュバックする。

 今まで冒険者として活躍することしか頭に無かったザックには、女性に対する免疫というものが全くと言っていいほどなかった。そんなザックにとって、あの一日の出来事はあまりにも大きすぎたのだ。


 今のトレーニングの時もそうだ。苦しそうなアヤメの声はどこか色っぽく、ザックの心臓の鼓動を早める。その上、トレーニング中の彼女は薄手のシャツ一枚。いつもは厚手のローブで隠れている凹凸のはっきりしたスタイルが露になるのだ。目のやり場に困ることこの上ない。できればアヤメ一人で頑張って欲しいのだが、縋るような目で見つめられては断ることもできない。



 そしてもう一つ、ザックの理性を大きく揺さぶるものがある。


「大体ベッドでやらなくてもいいじゃんか……」


 アヤメはトレーニングの場所に自身のベッドを指定してきた。ザックはトレーニング用のマットを購入しようと言ったのだが、「節約は大事ですので」とアヤメに反論されてしまい、そのまま押し切られてしまった。

 「二人でみんなの希望となる」という夢を立てて以来、二人の生活は完全に一体のものとなり、衣食住に使うお金はアヤメが管理するようになったのだ。そのこと自体に不満は無いのだが、こういう場面ではアヤメの意見が通るようになってしまっている。


 アヤメが普段睡眠に使っているベッド。当然のことながら、彼女の匂いが強く染みついている。トレーニング中はアヤメを応援することで気を紛らわせているが、こうして気を抜いていると甘い匂いがザックの脳内を刺激する。


「――ダメだダメだっ!」

 頭をブンブンと振り、纏わりつく煩悩を弾こうとする。


「アヤメは大事な仲間、同士なんだ。だから――」


 あくまでアヤメは同じパーティの仲間。彼女に邪な感情を抱いてはならない。こんなことが知られてしまえば、今まで築いてきた信頼関係が崩れるかもしれない。今の充実した生活を壊したくはないのだ。



 『アヤメと恋仲になれば何も問題が無いのではないか』と、心の中の悪魔が囁いてくるがそれだけは決して許されない。


 マジックオルトロスとの戦いや住まいのことで、アヤメはザックに大きな借りがあると考えているはずだ。ザック本人としてはそこまで気にしていないが、心優しいアヤメなら間違いなくザックに負い目を感じているに違いない。

 アヤメへ愛を伝えるということは、その弱みに付け込むことを意味する。大事な仲間に対してそんなこと絶対にできる訳がない。


 第一、今の悶々とした感情がただの色欲なのか。それともアヤメに対する恋慕の情なのかさえ、ザックの中では判別がついていない。そんな状態で告白すること自体、彼女に対して失礼極まりない。


 アヤメが素晴らしい女性であることに疑いようは無い。整った外見はもちろんのこと、彼女の一番の魅力はその心の在り方にあると思っている。

 アヤメは誰かのために戦える強さと優しさを兼ね備えていながら、その振る舞いを自己満足だといって劣等感を抱いていた。

 強く美しくもどこか脆さを持つアヤメの存在はザックの庇護欲を駆り立てる。一人の女性として彼女のことを守りたくなる。


 だが、これが恋愛感情からくるものなのか。それとも憐れみのような別の感情からくるものなのか。女性経験のないザックには全く分からないのだ。



「――ザックー!聞こえますかー?」

 アヤメについて考えを巡らせていると、浴室の方から当の本人の声が聞こえてきた。


「どうしたー?」


 ザックはベッドから飛び上がり、脱衣所の扉の前へ向かう。


「その……バスタオルを忘れたので、持ってきてくれませんか……?」

「………………分かった。ちょっと待っててくれ」



「はあぁぁあぁぁぁぁぁ」

 悶々とした感情を全て吐き出すかのように、ザックは大きく息を吐いた。



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