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26 本当のアヤメ


 八百屋の店主からの有り難いアドバイスを参考に、リンゴや桃を籠一杯に買ったザックは家に帰った。桃は旬を先取りしていたため少しお高い値段になっていたが、同居人の看病のためだと言ったら少しおまけしてくれた。



 玄関を開け中に入ると、空き家のような静けさが家中を包んでいた。


 アヤメの部屋を覗いてみると、アヤメは布団に包まって顔だけを出していた。瞼は閉じられており、すうすうと小さな寝息が聞こえてくるのでどうやら眠っているのだろう。

 起こさないようにそっと部屋の扉を閉め、足音をできるだけ立てないようにしてキッチンへと向かった。


「さてと……母さんはどうやってたっけなぁ……」


 右手に包丁を持ち、まな板の上に置かれたリンゴと桃とにらめっこをするザック。元々あまり料理をしないザックにとって、果物のカットは未知の挑戦であった。


 子供の頃の記憶を頼りにとりあえず上から包丁を下ろして八等分にしてみたが、記憶にあるリンゴの形と微妙に違う気がする。それに皮がくっついたままである。


「皮は消化に悪いというし、無い方がいいよな」


 とりあえず形の違和感は置いといて、ザックは皮を剥くことにした。桃の方は手で皮を取り除くことができたが、皮が薄く硬いリンゴの方はそう上手くいかないので仕方なく包丁を手に取った。


 最初は左手にカットされたリンゴを持って身と皮の隙間に包丁を入れてゆっくりと皮を剝こうとするが、左手の親指を切ったところで断念した。


「……リンゴの方は我慢してもらおう」


 包帯で切った指の手当てをしたザックは、皿に盛りつけた桃とリンゴを片手にアヤメの部屋に入った。


「ふぇっ!?」


 扉を開けて部屋に入ったザックの目に入ったのは、上半身が下着姿のアヤメの姿であった。どうやらザックが果物の皮に悪戦苦闘している間に目が覚めていたらしい。右手にはタオルが握られているあたり、寝ている間にかいた汗を拭きとっていたのだろう。


 しかし、そんな冷静に分析している場合ではない。


「わ、悪い!」


 ザックは慌てて部屋から出て、扉を勢いよく閉める。


(まずいまずい!)


 白磁のような美しい肌に女性特有の膨らみのある体つき。女性経験の無いザックの脳内には半裸のアヤメの姿が強くこびりついてしまっている。


 動揺を抑えるために、扉にもたれかかって何度も深呼吸する。数分の後に、部屋の中から「もう入ってきて大丈夫ですよ」という声が聞こえてきた。

 ザックはそっと扉を開けて中の様子を窺いながら部屋の中に再び入る。


 アヤメは下半身をベッドの中に入れたまま上体だけ起こしていた。頬をほんのり赤く染めていたアヤメは、ザックと目が合った瞬間に顔を逸らしてしまう。彼女の顔が赤いのは、きっと過労による発熱のせいだけではないのだろう。


「えっと……アヤメ。ノックせずに入っちゃってごめん!さっきまで寝てたからまだ大丈夫かなと思っちゃって……」


 今回のアクシデントはザックがマナーをしっかり守っていれば防げたかもしれないものであった。少し言い訳っぽく聞こえる理由と共にザックは手を床につけて頭を下げる。


「あ、頭を上げてください。一緒に暮らしているんですから、いずれこういうことは起こるかもしれなかったんですし……」

「あ、うん……」

「それより私に何か用があったのではないですか?」


 顔を赤らめながらもザックと視線を合わせてくれたアヤメは問いかける。


「果物を買ってきたから一緒に食べようと思ってな」

「食欲は無いと言ったじゃないですか……」

「一人で食べても美味しくないからさ。それに早く良くなるには栄養を摂らないと、って昔母さんが言ってたからな」


 あくまで自分のために買ってきたという建前を言いながら、果物が盛り付けられた皿をアヤメの前に差し出す。


「これは桃とリンゴ、ですか?」

「そうだけど……何かおかしいか」


 皿の上の果物の名前を口に出したアヤメは首を傾げている。果物や野菜のほとんどは前の世界にも同じようなものがあったらしいので、リンゴも桃もアヤメにとっては未知の存在ではないはずなのだが。彼女は何に疑問を感じているのだろうか。


「だってザック。芯の部分が残ってますよ。こちらの世界のリンゴは芯も食べられるんですか?」

「あっ……なんか形がおかしいと思ったらそういうことか」


 記憶を思い返せば、ザックの母が食卓に出していたリンゴは種が含まれる芯の部分を切り取っていた。ザックが切ったリンゴにはその処理をしていないので種の部分が残っている。


「あー、忘れてたんだよ。リンゴ切るの初めてだったしさ。まぁでも、その部分にフォークを刺せば食べやすいだろ?」

「ふふっ。そうですね。それでは頂いてもいいですか」


 ザックの言い訳を聞いたアヤメは優しい笑みをこぼす。ここ最近の活発な女の子のような弾けた笑顔ではなく、ザックと出会ったばかりのように控えめで奥ゆかしさを感じさせる優しい笑顔であった。


 ザックの頷きを確認したアヤメはお皿に置かれたフォークを手に取り、リンゴを彼女の小さな口に運んだ。

 リンゴが美味しかったのか顔もほころんでいる。アヤメの口に合ったようで何よりだ。




「今日は大変ご迷惑をおかけしました」


 リンゴ三切れと桃一切れを胃の中に収めたアヤメはザックに対して頭を下げる。ザックが家から出ていた間に寝たおかげもあってか、早朝に比べるとアヤメの体調は良くなっているようだ。


「たった一日の看病で何言ってるんだよ。これくらいは同じパーティの仲間なら当然だろ」

「ですが、折角の休養日にこんなことまでさせてしまって……」


 アヤメの口からは申し訳なさがひしひしと伝わってくる言葉ばかりが出てくる。こうやって遠慮がちに自分の立場を卑下して主張している姿は、出会ったばかりの頃のアヤメを思い出す。


 そういえば昨日の夜あたりから、アヤメはかつてのように控えめさを感じさせる性格に戻っていた気がする。体調を崩しているのだから明るく振る舞うのは難しいのかもしれないが、それでもどこか違和感がある。



「なあアヤメ。一つ聞きたいことがあるんだけどいいか」

「はい。何でしょうか?」

「最近のアヤメの性格が大分明るくなったような気がするんだけど、無理してたんじゃないのか?」

「あっ……」


 アヤメはハッとした表情になり、口元を手で隠す。どうやらザックの考えは合っていたようだ。昨日までの明るい性格の方がアヤメの仮の一面だったらしい。


「その……ザックがローブをプレゼントしてくれた時に笑っている私を見て「今みたいな方がいい」って言ってくれましたの覚えてますか?」

「あぁ……そういえばそんなこと言ったなぁ」

「だからザックに沢山笑顔を届けられるように、明るい性格になろうとしたんです」

「そういうことだったのか……」


 これで合点がいった。


 ここ最近はアヤメの笑顔が増えたものだと安心していたが、彼女は無理をしていたらしい。どうやら彼女の過労の原因は肉体的な疲労だけではなく、明るく取り繕うことによる精神的な疲労にもあるようだ。むしろ後者の方が主たる原因のような気もする。


「確かにアヤメは笑顔である方が良いと思う。アヤメの笑顔は可愛いし、見ていて幸せな気分になれる」

「かわっ……っ」


 可愛いという言葉に照れたのか、アヤメの顔が一段と赤くなる。


「だけど笑顔は無理して作るもんじゃないと思うな。辛い時は泣いてもいいし、憤りを感じるときは怒っていいんだよ。俺たち人間はそういう生き物なんだからさ」


 人間は喜怒哀楽といった感情を外部に表現することができる。時と場合によっては感情を押さえなければならないこともあるが、人間にはこういう機能がある以上、感情のままに動く方がストレスは少ないだろう。


「だからさ、せめて仲間である俺の前くらい自然にいてくれよ。笑うのは本当に嬉しい気持ちになった時だけでいいからさ」

「……っ、いいんですか?普段の私は平身低頭で笑顔も少ないですし、面白みのない人間と思いますよ?」

「アヤメが面白みのない人間なわけないだろ。俺一人のために性格を変えようとしてくれるなんて普通の人間にはできないよ」


 俯くアヤメの頭をそっと優しく撫でる。


「それに、笑顔が少ないんだったら俺が頑張ってアヤメを喜ばせればいいんだからな」


 そう言うと、アヤメは蒸気が出るほど顔を赤くさせてしまった。さすがにキザすぎる台詞だったかもしれない。



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