25 はりきりすぎたアヤメ
ザックがアヤメにローブをプレゼントしてから十日が経った。
この十日間、アヤメは家にいる間はずっと家事を行い、クエストでは八面六臂の大活躍をしてみせた。クエスト中のアヤメはA級冒険者顔負けの大立ち回りを見せており、ザックはそんなアヤメの動きに合わせるだけで精一杯であった。
そして性格も出会った当初の遠慮しがちな性格ではなく、年相応に子供らしさを感じさせる明るい性格であり続けた。ザックとしては、明るいアヤメの方が笑顔をたくさん見せるのでいい傾向だと感じていた。
アヤメに変化がみられる一方でザックにも変化があった。アヤメの作る健康的な食事のおかげで体のキレが増し、今まで以上のパフォーマンスができるようになっていた。しかもアヤメが大半の家事を担ってくれているおかげで剣の修練にも余念が無い。方舟時代と比べると圧倒的に充実した冒険者生活を送れている。
念のために言っておくと、ザックはアヤメに家事を押し付けている訳ではない。アヤメが手際よく家事を済ませてしまうので、ザックは手伝うことができないのだ。
最初はザックも家事を手伝おうとしたのだが、頑なにアヤメが一人でやろうとするのでお言葉に甘えさせてもらっている。
「アヤメ。お風呂上がったよ」
濡れた髪をタオルで乾かしながらソファに座っていたアヤメに声を掛ける。
「…………」
アヤメはソファにもたれかかったまま、返事をすることなくどこかぼうっとしていた。目も少しだけトロンとしている。
「――どうしたアヤメ?寝るならお風呂入ってからにしろよ」
アヤメの耳に届くように、近づいて声を掛ける。
「……あっ、ザック。お風呂上がったんですね」
ようやく気付いたアヤメは顔だけをこちらに向けて答える。
「ソファで寝たら風邪引くぞ。ちゃんと風呂に入ってベッドで寝ような」
「そうですね。ザックはもう寝るんですか?」
「ああ。昨日は野宿だったから少し寝不足でな。それに明日は休みだし」
冒険者に定休日はないが、体を張る仕事なので、冒険者たちは等級に関わらず一日から数日、次のクエストへの準備も兼ねて休養日を作るのが一般的である。ここ数日は少し遠方のダンジョンに遠征していたので、ザック達は明日を休養日にしている。
昨晩はダンジョン内での野営だったので体に疲労がたまっているザックとしては、一秒でも早くベッドに飛び込みたいのである。
「分かりました。明日は少し遅めの朝食にしますね」
「いつもありがとな。あと、おやすみアヤメ」
「はい。おやすみなさい」
かなり眠たいのだろうか。ここ数日の明るいアヤメとは打って変わって、令嬢のように落ち着いた受け答えをしてアヤメは自室に入っていった。
「……っと、もう朝か……」
ザックは久しぶりに窓からの日光で目を覚ました。
アヤメが家に来てからは毎日朝食の匂いで目覚めていたので、たった二週間ぶりではあったが懐かしい感覚であった。それほどまでにアヤメとの生活が当たり前になってきているのだろう。
「アヤメはまだ起きてないのかな?」
日の高さからみるにいつもより遅い起床のようだが、今日は休養日なので朝早く起きる必要も無かった。
たまにはこんな一日もいいだろう。眠たい目をこすりながらザックはリビングへの扉を開いた。
しかし、目の前の光景がザックの脳を一気に覚醒させる。
「おい、アヤメ!大丈夫か!?」
リビングではエプロン姿のアヤメが床にうつ伏せの状態で横たわっていた。
アヤメの体を仰向けにして、状態を確認する。
意識は失っているようだが呼吸はしている。しかしその呼吸は荒く、とても苦しそうであった。
額に手を当てると、明らかに高温だった。女性は体温が高めな人が多いと聞いたことがあるが、常温にしては高すぎるほどの熱があった。
「しっかりしろ!」
無理に体を揺すらないようにして肩を軽く叩きながら何度か呼びかけると、アヤメはゆっくりと瞼を開いた。
「あれ、ザック?おはようございましゅ……」
まだ意識が完全に覚醒していないのだろうか。アヤメは少し舌足らずな挨拶をする。
「アヤメ。倒れていたけど何があったんだ?どこか痛いところはないか?」
「倒れて……あっ!朝ご飯作らないと……」
一気に覚醒したアヤメは急に起き上がろうとするが、床に手をついたところで力なく崩れてしまう。
「っぶね!」
アヤメの頭が床に激突しそうになるが、その寸前にザックが腕を滑り込ませることでかろうじて惨事を免れることができた。
「アヤメ、大丈夫じゃ……ないよな……」
「いえ、これくらい大丈夫です。ザックは少し待っててくださいね。朝ご飯用意しますから……」
それでもなお、起き上がって朝食を作ろうとするアヤメ。しかし体が思うように動かないのか。立ち上がることは叶わず、バランスを崩してザックの両腕の中に収まってしまう。
「す、すみません……」
「今日は作らなくていいから。早く診療所に行くぞ」
アヤメの体調が悪いのは誰の目から見ても明らかだが、具体的な病状が分からないのであれば対処のしようもない。
ひとまずザックは家の近くにある診療所にアヤメを連れて行こうとするが、
「食事の用意は私の役割です。それを条件にここに住まわせていただいているのですから……」
「あのなぁ……たった一食作らないくらいでお前を追い出すような奴だと本気で思ってんのか?」
明らかに体調がおかしい状態でも家事をこなそうとするアヤメ。
生真面目な性格だとは思っていたが、まさかここまでとは……
「ザックは優しいのでそんなことをしないのはもちろん分かっています。ですが、それでも朝ご飯は作らないと……三食取らないと健康に悪いんですから……」
「現在進行形で体調が悪そうな今のアヤメに言われてもなぁ……とにかく強引にでもお前を診療所に連れて行くからな」
「強引にって……ひゃあっ!」
ザックはアヤメの背中と膝裏に手を回して、そのままゆっくりと持ち上げる。そしてアヤメの体をザックの方に寄りかからせ、横抱きのまま玄関へと向かう。
「分かりました!ザックの言う通りにしますから下ろしてください!」
ようやく観念したアヤメが、ザックの腕の中で自分を下ろすように主張する。
「さっきもまともに立ち上がれなかっただろ。診療所まですぐだから大人しくしてろ」
「せめておんぶにしてください。この格好は恥ずかしいです……」
高熱のせいか、あるいは羞恥のせいか。顔を真っ赤にしたアヤメが主張するので、ザックは一度アヤメを下ろして、背中を向けて片膝をつく。
言われてみればお姫様抱っこの体勢は確かに恥ずかしい。それに、いくらアヤメが女の子だからといっても腕力に乏しいザックにとっては危なっかしい体勢だったので、ここはアヤメの言う通りにすることにした。
「それでは、失礼します」
おずおずとした様子でアヤメはザックの背中に体を預ける。
「………………」
背中からアヤメの柔らかい感触が伝わってくる。男性には無い柔らかな部位がその存在を主張してくる。
同居生活を始めてからできるだけ気にしないようにしていたが、まさかこんな時に限って意識してしまうことになろうとは。
「ザック?どうしましたか?」
「あ、あぁ。何でもないよ。立ち上がるからできるだけしっかり捕まっていて」
動揺を隠したザックは、アヤメの腕が首に回されたのを確認してからゆっくりと立ち上がる。
「それじゃあ行くよ」
「はい……」
家から歩いて五分、最寄りの診療所に着いたところでアヤメを下ろす。
幸いにも他の患者さんはいなかったので、早々に診察を受けることができた。
診断結果は過労を原因とする発熱。ここ最近のはりきりすぎが原因だろう。アヤメの意思とはいえ、彼女に家事を任せっきりにしていたザックにも責任がある。
なんにせよひとまずは深刻な感染症や重病でないことに二人は安堵した。
薬を受け取ったザックは行きと同じようにアヤメを背におぶって家路に就いた。
「冷たくないか?」
「はあぁぁ……………はい。冷たくて気持ちいいです」
家に帰ったザックは、アヤメを布団に放り込み、濡れたタオルを額にそっと載せた。相変わらず苦しそうであるが、濡れタオルが気持ちよかったのか。少し表情が和らいだ。
「喉は渇いてないか?」
「いえ。今のところは」
「食べたい物はないか?買ってくるぞ」
「食欲が無いので何もいらないです……薬を飲んで寝ればすぐに治りますので。ザックも今日はお休みなのですから自分のお部屋でゆっくりなさってください」
ザックの看病を拒むかのようにアヤメは瞼を閉じる。
優しいアヤメのことだ。いつもと同じくザックに迷惑をかけたくないと考えてのことだろう。
「……分かった。水はここに置いておくから喉が渇いたら飲んでくれ。俺が欲しい物があるから、少し買い物に行ってくる。いいか?絶対に家事をしようとするなよ」
ベッドの横に置かれた木箱の上に水を注いだコップを置いてから、ザックはアヤメの寝室から出る。
「果物くらいならあいつでも食えるだろ……」
いくらアヤメが何もいらないと言っても、栄養を取らなければ治るものも治らない。病人でも食べられそうなものを求めてザックは市場へと向かった。