12 呼び名
ザックとアヤメのパーティ結成が決まった瞬間、ギルド内では不満と落胆のため息が一斉に噴き出した。
天賦の才を持つ魔法使いのスカウトという、千載一遇の大チャンスを失してしまったからであろう。しかも彼女を掻っ攫ったのが、何の実績もない【露払い】の剣士となればその不満も大きなものとなろう。
ギルド内のあちこちからザックに対する陰口が聞こえてくる。ザックは気にしていなかったが、目の前にいるアヤメはどうやら不服そうだ。何やら小声でブツブツと言っている。
どうしたものかとザックは考えていたが、可愛らしい声が不快なざわめきを収める。
「みなさーん!早くしないとクエスト無くなっちゃいますよー!」
大声で冒険者に呼びかけるのは、ギルドの受付嬢のリリーだ。リリーの声にハッとなった冒険者たちは我先にと依頼書が貼られた掲示板へ向かう。
たちまちザックに対する負の感情がこもった視線は霧消していく。そしてザックへの注目が薄まったところで、リリーがこちらにやって来た。
「ザックさん、おはようございます。あと、昨日はありがとうございました!」
リリーはお辞儀をしながらザックにお礼を告げる。
彼女は昨日、ファンタジスタに詰め寄られていた受付嬢でもある。
「おはよう。昨日はあの後大丈夫だった?」
「はいっ!ケガもしてませんし、この通り元気です!」
リリーは満面の笑みで自身の健在ぶりをアピールする。昨日は男たちに囲まれて涙目になっていたのでトラウマになっていないか心配であったが、どうやら大丈夫そうだ。
リリーはこのギルドの看板娘である。彼女の元気が無いと、このギルドの活気もきっと落ち込んでしまうことだろう。
安堵するザックの横で、アヤメはおそるおそるリリーに質問をしていた。
「あの……結局、ファンタジスタの皆さんはどうなりましたか……?」
その声色から、彼女がファンタジスタの連中を心配しているように感じ取れた。いくら袂を割った者とはいえども、かつての仲間。どうしても気になってしまうのが普通だろう。事情が違うとはいえ、追放されたその日に方舟への未練を断ち切ったザックの方が珍しいはずだ。
「お二人が帰った後にちょうどギルマスが帰ってきまして……ファンタジスタの皆さんはこってり絞られてました。しばらくは謹慎だそうです」
「リリーを苛めたからか?」
「そうですね。私としてはそこまでしなくてもいいとは思ったんですけど……事情を聞いたギルマスがカンカンに怒っちゃって……」
「あぁ……あの人ならそうなるよな」
リリーの言葉にザックは納得する。
このギルドの首魁であるギルドマスターは、かつてS級冒険者として名を上げた女傑だ。今は一線を退き、ギルドの運営側として後進の成長を見守っている。
義理人情に厚く、いつもは優しいお方であり、色んな冒険者の相談に乗っている。かくいうザックも何度か酒の席で悩みを聞いてもらったことがある。
その一方でキレるとかなり恐い。怒りの理由は、主に冒険者の道義に反することに対する義憤である。たとえ充分な実績を残している者であっても、一切忖度することなく怒声を上げるのだ。
横暴な振る舞いが目に余るA級冒険者数名を、たった一人で締め上げていたという武勇伝もある。
そんなギルマスにとって、昨日のファンタジスタの振る舞いは言語道断なものであったといえよう。冒険者にとってタブーといえるクエストへのクレーム、しかもそれをギルドで一番力を持たない若い受付嬢にしていたのだ。ギルマスの逆鱗に触れたのは容易に想像がつく。
「元とはいえ、私の仲間が本当にご迷惑をおかけしました」
アヤメが申し訳なさそうに深々と頭を下げる。当然のことではあるが、ファイアたちの振る舞いに彼女は何の責任も無い。
それにもかかわらず、律儀に謝るアヤメは本当に人間ができている。何でも人のせいにするファンタジスタの連中に彼女の爪の垢を煎じて飲ませてやりたいものだ。
「そんなっ!?頭を上げてください!アヤメさんは何も悪くないじゃないですか!」
予想外の謝罪にリリーは驚き困惑したのか、アワアワと手を振っている。
「ですが……」
「もうそのことは解決しましたから気にしないでくださいっ!それよりも今はお二人のことです!」
「は、はい……」
リリーの勢いに気圧されたアヤメは戸惑いながらも顔を上げる。
「私、お二人ならきっと素晴らしいパーティになれると思ってますよ。陰ながら応援しています!」
リリーは自分の両手をグッと握って、ニコニコとした笑顔を二人に見せる。さっきまで嫌な視線を受け続けてきたザックにとって、リリーの無垢な笑顔は癒しとなる。
「ありがとうございます。ザックさん頑張りましょうね!」
「そうだな。アヤメさんの足を引っ張らないように頑張るよ」
「さっきも言いましたけど、ザックさんは強い方のはずです。むしろ私が足を引っ張らないか心配です」
「ありがとう。アヤメさんは人を元気づけるのが本当に上手だよね」
「お世辞じゃないのに……」
アヤメは不満そうに頬を膨らませる。ザックは一度もA級クエストに挑戦したことが無いので、A級クエストに参加したことのあるアヤメは格上だと思っている。
冒険者として過ごしてきた時間はザックの方が多いかもしれないが、味わってきた経験の質はアヤメの方が上であろう。
しかし、アヤメはザックの方が格上だと思い込んでいるようだ。昨日のマジックオルトロス戦でのことが原因であろうが、あれはアヤメのおかげだということをどうやら彼女は理解していないらしい。
まあ、どちらが上かでマウントを取り合うよりかは何倍もいいので、悪いことではないだろう。
「そういえばお二人は呼び捨てにしないんですか?」
ザックとアヤメのやり取りを傍で眺めていたリリーが、二人に疑問を投げかけてきた。
リリーが言う通り、パーティ間でメンバーの名前を呼ぶときは呼び捨てであることが多い。
ザックはあまり気にしたことないが、呼び捨ての方が口にする文字数が減るため、戦闘中に舌を噛むリスクが減らされるという理由らしい。
ザックは初対面でさん付けをしたので、そのまま「アヤメさん」と呼んでいる。ザックはあまり気にするタイプではないが、呼び捨てで呼び合うのは妙案だと思った。
お互いに呼び捨てならば、距離感も縮まりやすく、信頼関係を築きやすくなるだろう。控えめな性格のアヤメにはうってつけだ。
「そうだなぁ。アヤメさんが嫌じゃなければ呼び捨てがいいんだけど、どう?」
「わ、分かりました。これからよろしくお願いします…………ザ、ザック……」
「お、おう……」
常に丁寧な言葉使いをするアヤメにとって、呼び捨てはハードルが高いのだろう。顔を少し赤らめながらの呼び捨てに、思わずザックは言葉が詰まってしまう。
アヤメは魔法の腕もさることながら、恵まれた風貌の持ち主だ。そんなアヤメが恥じらいを見せながら名前を呼び捨てにしてくるのはいささか破壊力が高い。とても愛らしいのだ。
真意を分かっているザックでさえ思わず勘違いしてしまいそうになってしまう。もしかしたら、彼女は自分に気があるんじゃないか、という風に。
「ザックも私のこと呼び捨てで呼んでください!私だけ恥ずかしいじゃないですか……」
「あ、うん……よろしくな、アヤメ……」
「は、はい……」
女のパーティメンバーを呼び捨てにするのは方舟のときもやっていた。それなのに、いざアヤメを呼び捨てにしようとすると緊張してしまい、たどたどしくなってしまった。
アヤメの恥じらいが伝染してしまったせいなのだろうか、ザックの顔が熱くなる。
「「……」」
二人の間に沈黙が訪れる。
「そ、それより早くクエストに行かないか。お互いの実力も知りたいし……」
「そ、そうですね……」
恥ずかしさが抜けないザックは、これまた恥ずかしさが抜けきっていないアヤメと共に、ぎこちない動きで依頼板の方へ向かった。
その光景を見守っていたリリーは、ニヤニヤしているような、あるいは変なものを見たかのような、不思議な目をしていた。
本日中にあと数話投稿する予定です。




