岩手山での修行
「やっと着いたね勇斗君!」
「そ、そうだな……」
盛岡駅からバスで二時間程掛けて河松温泉に辿り着いた。河松温泉は八幡平市にあるある温泉で、標高八百メートルの場所に所在している。
温泉の近くには地熱発電所があり、少し先に白い煙がモクモクと空に上がっているのが見える。
「お兄ちゃん、疲れたー」
「大丈夫かソラ?」
ソラが後ろから抱きついてきた。長時間バスに揺すられていたせいか、結構疲れているようであった。
「なんやソラ、なっさけないの。これからハードな特訓するんやで。覚悟しときや」
「えー、私やだなぁ」
「ぶーたれんなや。勇斗もほらなんとか言ってやりーや」
「お、おお。そうだな……ソラ、頑張ろう」
「それじゃ、お兄ちゃん。私の頭、撫で撫でしてー」
「分かった分かった」
ソラは俺に頭を突き出してきた。俺はソラの頭を撫でることにした。
「えへへへ……」
「ふふ……ソラ、やる気出たか?」
「うん! 私、すっごくやる気出たよ」
「こいつら、色々と終わっとる」
アデルと莉子は何故か呆れた様子で俺達のことを見つめていた。
「二人とも、ほら着いてきて。修行しに行くよ!」
先陣を切る莉子の後についていく。温泉を通り過ぎると、少し先に高くそびえるブナやナラといった原生林が見えてきた。この辺りは市街地よりも澄んでいる。
河松キャンプ場管理棟と表記された木造建ての建物に到着した。周囲にはテントがちらほら組み立てられている。
「勇斗君達には今日からここで十三日間、修行してもらいます!」
「修行ね……具体的には何をするんだ?」
修行といえば、瞑想したり、滝に打たれたり、重い甲羅を背負って走り回ったりが真っ先に思い浮かぶが、果たして何をするのだろう。
「とりあえず、岩手山のてっぺんに登ってきて!」
「だ・か・ら、岩手山の頂上に登ってくるの! 私達はここで料理を作って待ってるから」
マジかよ……莉子から動きやすい服を持ってくるように言われてはいたが、(ちなみにジャージを持ってきた)まさか今から登山するとは思っていなかった。
ジャージであの岩手最高峰の山を登り切らなければならないのか。
こんなことならもっとちゃんとした登山グッズを持って来ればよかった。
「お兄ちゃん、頑張って登り切ろ」
意外にもソラは乗り気のようであった。そうだな。十三日後には生きるか死ぬかの戦いを強いられる。こんなところで立ち止まってなどいられない。
時刻は午後三時になろうとしている。急がなければ日が沈んでしまうことだろう。
「分かった、行こう」
必要最小限のものだけ持って、登山を開始することにした。
河松登山口から登り始め、最初こそ歩きやすい道だったものの、徐々に勾配が急になってきた。更に地面に転がる大きな石で登りづらくなってきた。
ふと、周囲を見渡すと色づき始めている広葉樹が視界に入る。
「ソラ。少し休憩するか」
「うん」
老倉分岐という看板があり、少しここらで休憩することにした。
登山を開始してから一時間程経過したが、思ったよりも良いペースで登っている。きっと午前中の莉子との戦いで血縁力が高まっているおかげだろう。
「すごく良い眺め」
この老倉分岐から盛岡市の街並みを眺めることができた。いつも見ている盛岡も高いところから見ることでまた違った風に見える。
休憩後、ひたすら山を登り続けた。険しい道も多くなってきたが、極力ペースを落とさず頂上を目指していった。
『お花畑』という看板が見え、看板の指す方向に歩いて行くと、紫のシラネアオイが辺り一面に咲き誇っている。
山に咲き誇る紫色の絨毯はまるでファンタジーの世界に迷い込んだと思わせる綺麗な光景である。
ゆっくりとその景色を眺めていたいところであるが、すでに日が沈む始めていた。
下山の時間も考慮すると、急がなければならない。
「お兄ちゃん。あれ何?」
ソラが指差していたのは、四足歩行でノソノソとこちらに近づいてくる大きな生き物――熊であった。
「あれはツキノワグマだな」
日本に生息する熊は二種類いる。ちなみにもう一種類の方はヒグマという北海道に生息する熊である。
しかし、まさか熊に遭遇するとはな……
俺は頭の中で爆竹を思い浮かべた。自分の手の中には火薬の束が敷き詰まった爆竹が握られていた。
それを熊に向かって投げた。爆竹は『バチバチバチ』と大きな音を立てて、発火する。熊は恐れをなしたのかすぐさま逃げ出した。
「よし、これで一安心だ。先を急ごう」
「分かった」
さらにそのまま順路に沿って歩いて行くと、奥の方に小屋が見えたため、そこを目指して突き進んでいく。
小屋の前には『笠平不動産避難小屋』と記載された立て札が立っていた。
「ソラ。少し中で休もう」
「うん」
避難小屋の内部は三段ベッドがいくつかあり、窓側に二つの木の椅子が置いてあった。
俺達は左側の椅子に腰を掛ける。反対側の椅子には二十代くらいと思われる男性が一人で座っていた。
「やぁ、珍しいね。若い子がこんな遅い時間に。今から山頂に向かうのかい?」
「はい。そうです」
「そうか。なら急ぐといい。日が落ち始めているからね。これ良かったらどうぞ」
男は立ち上がると板チョコを渡してきた。
「あ、ありがとうございます……」
「それじゃ、気をつけて」
男は軽く手を振り、避難小屋から出ていった。それにしてもさっきの男、登山にしては随分と軽装だったな。
セーターにGパンという登山には到底向かなそうな服装であった。あんな服装でここまで登ってきたのか? 俺達もあまり人のことは言えないが。
俺は貰った板チョコを半分に割った。食べ物の類は持ってきていなかった為、とてもありがたい。
「ソラ、食べておこう。この先はもっと登りづらくなる。けど、あともう一息だ」
「うん。分かった」
チョコレートを食べ終わると、避難小屋を後にし、再び山頂を目指すことにした。
案内板に寄ると、山頂まで後五百メートル程らしい。避難小屋からの道のりは最初こそ歩いやすい道だったものの、どんどん勾配が急になり、風も強く吹き荒れ、俺達の体力を奪っていく。
「ソラ、落ちないよう気をつけ……」
「あ」
ソラが足を滑らせ、落下しそうになった。
「ソラ!」
咄嗟に手を伸ばし、ソラの手首を掴む。ゆっくりとソラのことを引き上げた。
ソラの身体は思ったよりも軽く、簡単に引き上げることができた。
「ありがとう。お兄ちゃん……お兄ちゃん?」
ソラが無事で安心した俺は思わずソラに力強く抱きついた。
「ソラ。気をつけて登ろうな」
「うん」
登り始めてからおよそ三時間、ついに俺達は山頂に辿り着いた。
山頂には『日本百名山 岩手山』という立て札がある。山頂から薄暗い景色の中で輝く街の光の数々を眺望できる。
「ソラ。疲れたか?」
「うん、少しね。けど、お兄ちゃんと一緒だったから大丈夫」
初めて登った岩手山であったが、山頂まで登りきった充実感は何とも言えない達成感がある。
「ソラ」
「何、お兄ちゃん?」
「二週間後の戦い、絶対に勝とうな」
山頂で少し休憩した後、一時間程時間を掛けて下山し、河松キャンプ場まで戻ってきた。
下山の時は登山の時よりも更にペースを上げた為、一気に疲労が押し寄せてきた。脚がパンパンである。
キャンプ場では莉子とアデルが鉄板で肉を焼いている光景が目に入った。美味しそうな肉の香りが空腹感を刺激する。
「あ、お帰り勇斗君。結構早かったね」
「かなり急いできたからな。そのコンロと鉄板はどうしたんだ?」
バスに乗っていた時はそこまで大きい荷物は持っていなかったはずだ。一体、どこで調達したのだろうか。
「ここのキャンプ場は貸し出しできるんだよ。ちょうど肉も焼けたし今日はジャンジャン食べよー!」
莉子のテンションはやけに高かった。莉子から紙皿と割り箸を貰い、焼肉を食べることにした。
登山でかなり空腹であった為、俺はバクバクと肉を食べた。
「いやー、美味しかった。莉子、ありがとうな」
「礼には及ばないよ。それから修行のことだけど、勇斗君とソラちゃんには毎日岩手山に登ってもらうから」
「ま、毎日?」
「当たり前やん。下山してきた後はワイらと戦ってもらうでー」
「戦うって……まさかシスターウォーでか?」
「違う違う。私達とは木刀で戦ってもらう。二人の分も用意してきてるよ。明日からビシバシ鍛えてあげるから覚悟しておいてね!」
木刀を使った模擬戦か。今の基本戦術は自分達の位置を誤魔化し、閃光弾などで撹乱するという自力の無さを補う戦術であるが、接近戦が出来れば戦略の幅も広がるだろう。
「ソラ。過酷な修行になるだろうけど頑張ろうな」
「うん、私頑張る」
こうしてシリアルキラーの戦いに向けた地獄の特訓が始まった。
毎朝八時にソラと共に岩手山を登る。莉子達は十二時を切るようにと言われており、最初こそ一時を過ぎてしまったが、一週間が過ぎる頃には十二時を切ることが出来るようになった。
登山が終わると、莉子とアデルが用意してくれた料理を食べる。
ちなみにどこで食材を用意しているのかというと、キャンプ場から十五キロ離れた場所にあるスーパーまでわざわざ買いに行っているらしい。しかも徒歩で。
昼食後は莉子達とひたすら木刀を使って戦う。
「ほらほら! 勇斗君。もっと打ち込んで!」
「わ、分かった!」
木刀で何度も莉子に仕掛けるも全て防がれる。その一方で莉子の素早い振りに俺はほとんど対応することが出来なかった。
「ダメだって! また大振りになってる。勇斗君の悪いところだよ」
「ぐ……!」
大振りして隙ができたところに莉子がすかさず攻撃してきた。脇腹から感じる強烈な痛みに思わず顔をしかめ、木刀を地面に落としてしまった。
「ほら、早く木刀を拾って勇斗君。こんなんじゃ到底シリアルキラーには勝てないよ」
「お、おう……」
木刀を拾い、立ち上がる。手足に上手く力が入らない。
くそ。どうして俺はこんなに弱いんだ。このままじゃソラを守ることなんて到底できない。
「勇斗君はさ。戦う時、色々と考えちゃってるんじゃない?」
「え? まぁ。作戦とかな」
「純粋な力と力のぶつかり合いの時にはそんな思考、ただの足枷になる。山を登っていた時の感覚を思い出してごらん」
「山を登った時の感覚……」
山道を歩いている時の光景を思い出した。木の根っこや石に行く手を阻まれながらも、俺は無心で山を登っていた。ただひたすらに頂上を目指していた。
そうだ思い出せ、あの時の感覚を――
「いい感じだよ、勇斗君。さぁ、思いっきり掛かってきて」
俺は考えることを止め、直感を頼りに攻撃を繰り出していった。
木刀を横に振り、莉子の脇腹を狙う。莉子は案の定、反応し防いだ。
すかさず、木刀を真上に振り下ろし。防がれると別方向から木刀を振る。
この攻防をただひたすらに素早く繰り返す。打ち込むたび、自分の攻撃の威力が増しているのがわかった。
「はぁ!」
叫び声と共に渾身の力を込めて小手を繰り出した。莉子の木刀とぶつかり合い、『メキッ』という音が聞こえた。
「危ない、危ない。危うく喰らうところだったよ」
折れたのは俺が持っている木刀である。やはり、莉子は強い。
「……俺の負けだな」
「そんなことないよ。良い攻撃だった。さっきの感覚を忘れないようにね。今日の修行はここまでにしておこうか」
木刀での対人修行が終わると、河松温泉に向かい、ゆったりと秘湯に浸かる。
「お兄ちゃん、今日も疲れたね」
「そうだな。全身筋肉痛だよ。いててて……」
俺達が連日通うこの河松温泉は男女混浴の露天風呂があり、そこでソラと一緒に入るのが日課となっていた。
この露天風呂からは赤や黄色へと色付き始めている紅葉の景観を眺めることができた。
「マナとの特訓は辛くないか?」
俺はソラがマナから陰湿な指導を受けていないかとても心配でならなかった。
「うん。私、毎日強くなってるよ。見てこの筋肉!」
ソラが腕の筋肉を見せつけてきたが、相変わらず細かった。筋肉が付いているのか、正直なところよく分からない。
「うわー、広いねマナ!」
「せやな。しっかし混浴なんて、他の男共が莉子のこと変な目で見ーひんか不安で不安でしゃーないわ」
「大丈夫だよ。今、男の人いないし」
いや、います。ここに一名。
「莉子、マナ……どうしてここにいるんだ?」
俺は二人から視線を外して訊いた。幸いにも二人は身体にバスタオルを巻いているが、やはり見るのは精神衛生上良くない。
「ソラちゃんが混浴の方に行ったから付いてきちゃった。私達も失礼するね」
莉子達が温泉に浸かる。ふと、「ふー、極楽やなぁ」とおっさんのように呟きながらリラックスしているマナと目が合った。
「……お前さん、ワイの胸見ーひんかったか?」
「み、見てねーよ!」
すると、マナが俺の肩に手をかけ、距離を詰めてきた。ラベンダーのような香りが漂い、少しドキッとする。
「そんな照れんなんなや! ワイのナイスバディに見惚れちゃったんちゃうか?」
「ちげーから……ったく、俺がいるのによく混浴に来ようと思ったな……」
「まー、ワイのならいくら見てもかめへんけどな、莉子に手ぇ出したら岩胴湖に沈めたるから覚悟しときーや」
ガチのトーンに思わず圧倒されそうになる。これは冗談では無さそうだ。
ちなみに岩胴湖とは盛岡市玉山地区にある人造湖であり、ワカサギ釣りスポットとしても有名である。
「ちょっとマナ! 勇斗君、怖がってるから止めなよ」
「すまん、すまん。冗談やで。半分な」
半分かよ。つまり見たら半殺しにされるということだ。見るのはよしておこう。いや、元々見る気などさらさらなかったが。
「なぁ、莉子。前に莉子達とシスターウォーで戦った時、鷲尾銅山に転送されたけど、マッチングしていないのにどうして俺達は転送されたんだ?」
「あー。私も最近知ったんだけどさ、マッチングしていない状態で他の契約者の近くで血縁術を発動すると、強制的にシスターウォーが始まるみたいなんだ。私達も前に炎を操る血縁術使いに襲われそうになって……それでこのことを知ったんだよね」
「そうなのか。それで、その炎の血縁術使いはどうなったんだ?」
「追っ払ったよ。正直、私達の敵じゃなかったね」
やはり、莉子とマナは強いな。二人がいればリアルキラーにだってきっと勝てるだろう。
「それにしても二人とも、この一週間でよー成長したの」
「認めてもらえたようで良かったよ」
「確かに二人とも一週間前と比べるとだいぶマシになったけど、明日からもっと厳しくなるから覚悟しておいてね!」
莉子の言う通り、次の日からの修行は更に過酷になった。
まず、山登りが二回になった。朝早くに山を登り、下山した後、昼食を摂り、再び登山を行う。
そして、対人修行では今まで木刀を使っていたが、使う刀が真剣に変わった。真剣に変わったことで、修行の危険度が一気に跳ね上がる。
俺の身体にはいくつもの切り傷ができた。修行に励む一日、一日が血と肉となる。
過酷な修行であるが、俺とソラは確実に強くなっている。
「これが最後の修行だよ、勇斗君」
修行を開始してから十三日目。俺と莉子は最後の対人修行を初めようとしていた。
莉子が能力で作ってくれた刀の鞘を抜く。日光を浴びた刀身がギラリと眩しく光る。
「おう、全力でいくぞ!」
素早い身のこなしで莉子に斬り込む。山登りをしたおかげで足捌きが巧みになった。
繰り出す斬撃は全て防がれたが想定内だ。無心で斬撃を繰り返し、速度を上げていく。
「いいよ、その調子……!」
防御に徹していた莉子が攻撃してきた。最小限の動きで避ける。気を抜くと、深い傷を負うことになる。
集中しろ。もっと、もっと集中……もっとだ。
刀と刀がぶつかり合う金属音が強くなっていく。数十分間に渡って莉子と共に刀を振り続けた。
集中力が高まったせいか、周囲の音は聞こえなくなり、恐怖を通り越し『楽しい』という感覚が全身を満たしていった。
今までより一番大きい『ガギィン』と耳が痛くなるような金属音が鳴り響く。
俺と、そして莉子の持っていた刀が同時に折れる。それを見て、この楽しい時間が終わりを告げたことを知る。
「勝負は引き分けってところだね、勇斗君」
「……だな。結局、莉子には一度も勝てなかったな」
「まぁ、そんなあっさり超えられても師匠として示しがつかないし。勇斗君は充分強くなったと思う。修行お疲れ様」
これにて十三日間に渡る修行が終わった。明日は一度、バスで盛岡に戻る予定である。
最後のバーベキュー(焼肉)を行い、夕食を食べ終えるとマナとソラは一緒に温泉に向かった。
二人はこの十三日間で随分と仲良くなったようである。
莉子はブルーシートの上に寝っ転がり、夜空を見ていた。
「綺麗だなー。ねぇ、勇斗君も一緒に見ない?」
「お、おう……」
莉子に勧められ、莉子の隣で夜空を見ることにした。「リーン、リーン」と草原に響き渡る鈴虫の鳴き声が実に心地良い。
雲ひとつない夜空には数多の星々が散りばめられており、とても綺麗であった。
「なぁ、莉子」
「何?」
「莉子がシリアルキラーを狙っている理由……聞いてもいいか?」
莉子と出会った時、彼女は『シリアルキラーを狙っている』と言っていた。
その時から莉子とシリアルキラーの間には何か因縁があるのではと考えていたのだが、中々理由を聞けずにいた。
「私の妹はね。三年前にシリアルキラー……いや、熊谷綾河に殺されたんだ」
「そうか……最近起きてる連続殺人事件。あれって熊谷綾河の犯行なんだな?」
「その通りだよ。殺す手口はいつも同じ。妹の死体はバラバラにされてて……」
莉子の声が震えていた。家族を失う痛みは計り知れないものだっただろう。
「あいつは一度、警察に捕まったんだけど死刑執行日の前日に脱獄したらしくて……」
「熊谷綾河がシスターウォーに参加していることに気づいたのはいつなんだ?」
「一年前。ちょうど私がシスターウォーを始めた時だったよ。管理人から教えてもらったんだよね。それを聞いて私もシスターウォーに参加することにしたんだ」
管理人が教えたってことは熊谷綾河が人殺しであることを知っていたということになる。
いや、そもそも奴が脱獄できたのは……
「なぁ、それってつまり……」
「うん。勇斗君の言いたいことは分かるよ。管理人は熊谷綾河の脱獄に関わっていたんだと思う。これは予想だけど私以外の人にも熊谷綾河を利用して、このゲームに参加するよう呼びかけたんだじゃないかな」
莉子はそこまで知った上でこのゲームに参加したのか。
もしも管理人が何もしなければ熊谷綾河は予定通り死んでいただろう。
それに復讐心を利用するような真似まで……管理人はどこまで腐ってやがるんだ。
「勘違いしないでね。私は管理人に感謝してるんだよ」
「ど、どうしてだよ?」
「自分の手で妹の仇を討てるチャンスが貰えたから。ただ殺すなんて生温い。あいつはもっと徹底的に痛めつけてから殺してやらないと私の気が済まない」
復讐心を語る莉子の表情に思わずゾッとした。心の底から人を憎むという感情に触れるのは初めてである。
「なら、明日は必ず勝たないとな」
「そうだね。あ、そうだ。勇斗君、ちょっとここで待ってて」
莉子は立ち上がると、自身のテントの中へと戻っていった。しばらくすると、二刀の日本刀を手に持ち、戻ってきた。
「この刀、勇斗君とソラちゃんにあげるね」
「いや、受け取れないよ」
刀の価値は良く分からないが、かなり高価なものではないかと思った。
「そんなに使えない武器じゃないよ。この刀はね、盛岡の刀職人が打ったもので、かなりの切れ味なんだ」
「ちなみに値段は?」
「一刀で七十万ってところかな」
「超高額じゃん」
「私は能力で刀を造れるけど、勇斗君達はそうもいかないでしょ。これを使って戦って」
「そういうことなら……ありがたく受け取るよ」
莉子から日本刀を受け取る。対人修行で使った刀より少し重かった。
「私の願いはね、妹を生き返らせることなんだ。馬鹿な願いって思うかもしれないけど、また家族みんなで幸せに暮らしたいの」
「馬鹿な願いだなんて思わないよ。けど、俺はソラと一緒にこのゲームを生き残る。もしもこの先、莉子が俺たちを殺そうって言うのなら……その時は全力で戦うからな」
「うん、分かった。覚えておくよ」
次の日、バスで盛岡に戻った俺達は一度家に帰ることにした。
莉子はそのまま河松キャンプ場に残り、鷲尾銅山に向かうらしい。
家に着いたら少し休もうかと思ったが、スマホを確認すると、美穂さんから何軒かの留守電と美穂さんから連絡が来ていることに気づく。
――久しぶり。このメッセージを確認したら電話をお願い。
美穂さんとはフェニックスで会って以来、全く連絡を取っていなかったが一体何のようだろうか。
俺は美穂さんに電話を掛けると、すぐに電話に出てくれた。
「もしもし? 勇斗君?」
「お疲れ様です。美穂さん」
「電話してくれたこと感謝するわ。それにしたって、少しくらい連絡してくれても良かったんじゃないかしら?」
「すみません……ちょっと色々とありまして」
この十三日間、修行の毎日で俺は全くもってスマホを確認していなかった。少しくらい、美穂さんにシリアルキラーのことを相談しておけば良かったと今更ながら後悔する。
「あら、そうなの。具体的には何があったのかしら?」
「シリアルキラーと戦うことになったんです」
「シリアルキラーと? それっていつからかしら」
「今日の夜です」
「そうだったのね。二週間前に勇斗君とフェニックスで会った日にね、シリアルキラーとマッチングして戦うことになったのよね」
美穂さんとシリアルキラーが戦った? つまり管理人が言っていたトラブルというのはシリアルキラーが美穂さんとの戦いで重傷を負い、戦いが延期になったということか。
「そうだったんですが。でも、無事みたいで安心しました」
「そうでもないわよ? 結構ダメージを負ってね。しばらくは戦えそうにないかな」
可能なら美穂さんにも今日の戦いに協力してもらおうかと考えたが、聞いた限りだと厳しそうだ。
「シリアルキラー、何か新しい技でも使ったんですが?」
わざわざ電話をして欲しいと連絡してきたということは何か重要な情報を掴んだのではないかと思った。
「鋭いわね。その通りよ。電話じゃ伝わりにくいし、私の家まで来てもらってもいいかしら?」
「美穂さんの家ですか?」
「そうよ。いやかしら?」
「嫌じゃないですが……」
女性の家に行くなんて緊張する。何というか入りづらい。
「それじゃ、決まりね! 後で住所とマップ送るから待ってるわ」
「分かりました」
寝室で寝ているソラのために、テーブルの上に『ちょっと出掛けてくる』という伝言メモを置いておくことにした。
美穂さんは盛岡七幡宮という市内でもっとも大きい神社の近くにあるアパートに住んでいる。
自宅から徒歩で向かうには少し遠いため、バスで向かうことにした。
盛岡七幡宮のバス停に降りると、何人かの観光客が神社に入っていくのが見受けられた。この辺りには和菓子屋や南部鉄器店の老舗がいくつか所在している。
スマホのマップを頼りにアパートへと向かう。
「ここか……」
美穂さんが住んでいるアパートに到着した。階段を登り、二百二号室の前にたつ。インターホンを鳴らし、しばらく待っていると、扉が開いた。
出てきたのは白いTシャツにジャージのズボンという格好をしたスールであった。
「す、スール……」
「久しぶりだな。三浦勇斗。莉子が待っていたぞ。上がれ」
最初にスールの姿を見て思わず驚愕した。スールの左腕が無くなっていた。まさか、熊谷綾河との戦いで失ってしまったのだろうか。
「久しぶりね、勇斗君」
リビングに入ると、机の椅子に座っている美穂さんに挨拶された。
部屋の中は思ったよりも素朴というか、必要最低限の家具と大きな机があり、机の上にはデスクトップ型のパソコンが置かれていた。あまり女性の部屋という雰囲気はしない。
「お久しぶりです、美穂さん。えっと、その脚……」
美穂さんは左目に眼帯をしており、右脚は熊谷綾河との戦いの影響か無くなっていた。
「この前の戦いでちょっとね。心配しなくてもそのうち再生するから大丈夫よ」
「え、そうなんですか?」
どう言葉を掛けるべきかすごく悩んでいたのだが、杞憂だったようだ。血縁力は身体の欠損も治すことができるのか。
「まぁ、再生が終わるまでにもう少し時間が掛かると思うけどね」
「シリアルキラーにやられたんですよね?」
「いえ、これは違うわ」
「え? けど、電話でシリアルキラーと戦ったって……」
「まぁ、そうね。シリアルキラーの新しい技のことも含めて詳しく説明するわ」
シリアルキラーとの戦いが始まったのは丁度二週間前の午後八時からだった。
戦いが始まった直後、すぐに私はシリアルキラーの位置を確認し、奴から離れるべく走り出した。
しかし、追いかけてきたのはシリアルキラーではなく、五体の『氷人間』であった。
「う、嘘……何なのこいつら」
「多分、シリアルキラーの技だろうな。ったく、めんどくさい技を使いやがって」
氷人間は壊してもしばらく時間が経つと復活し、その恐るべき能力で私達は崖端まで追い詰められてしまった。
意を決し、私達はシリアルキラーとそのシスターに特攻を仕掛けた――その時だった。
私達の背後に突然、雷が落ちた。その落雷によって、氷人間のうち三体が壊れた。
「な、なんだぁ!?」
さすがのシリアルキラーも驚きを隠せないようであった。
私達の前に現れたのは修道服を着た長い灰色の髪をした少女であった。
「あぁ……あなた達。どうしてこのような無益な争いをするのですか。今すぐお止めなさい」
私はその少女を見て、悪寒がした。理由は分からないけどなんだかやばい。本能的にそう察知した。
「さっきの雷。テメェがやったのか? 良いところで邪魔しやがって。ぶっ殺すぞ」
「何というひどい言葉遣いなのでしょう。やはり、私がこの手で命を浄化してあげねばなりませんね。全ては崇高なる我が『イーハトーブ計画』の為に」
「訳の分かんねぇこと言ってんじゃねぇ! 死に晒せおら!」
シリアルキラーは破壊されていない二体の氷人間を少女に向かわせた。シリアルキラーの意識が少女に向いているうちに逃げようかと考えたその直後、暴風が吹き荒れ、私とスールは全く身動きが取れなくなった。
「な、何これ!? ちょっと綾河、何とかしてよ!」
「何とかしろって言われても……くそ!」
あの強いシリアルキラーとそのシスターですら、何も出来ないほどの凄まじい暴風であった。
二体の氷人間は風により、海へと吹っ飛ばされた。
「ら、雷光の妹……」
血縁術を発動しようとした瞬間、眩い光と共に身体全身に強烈な痺れと痛みを感じた。
雷が直撃し、足場は崩れ、私達は海に落ちていった。暗い海の中でもがこうとするも、うまく身体を動かせことができず、徐々に意識が遠くなり、気づけば私とスールは自宅に転送されていた。
「……とまぁ、これが怪我を負った理由よ。あの修道服を着た少女、ものすごく強かったわ」
「その少女、一体何者何でしょうか?」
「さぁね。戦いが終わって後、管理人から電話が掛かってきたんだけど、『僕の計画を邪魔する奴』ってことしか教えてくれなかったわ」
計画を邪魔する奴という言葉から察するに、少なくとも普通の参加者ではない。だが、美穂さんとスールが怪我を負ったのはその少女の血縁術によるものだろう。
「美穂さん。その少女の契約者の姿は見てないんですか?」
「見てないわ。あの天候を操る力は間違いなく血縁術だと思うけど……」
シスターの近くに契約者がいなかったとすると、シスターと契約者が離れていても血縁術が使えるということか。もしくは血縁術を使って、どこかに身を潜めていた可能性も否定はできない。
「そうですか。その少女が一体何者なのか気になるところですが、今はシリアルキラーとの戦いに集中することにします」
「そうね。けど、本当に戦うつもりなの? 逃げることを考えて動いた方がいいと思うんだけど。勇斗君なら上手く立ち回れると思うわ」
「確かに奴の新しい技を知った今なら逃げることもできるかも知れません。けど、もし上手く逃げ切れてもこの先また奴とは何度もマッチングするかもしれません。いや、管理人は多分そうするでしょう。なにせ俺とシリアルキラーを頑なに戦わせたがってますから。だから、今日倒します!」
「そう。なら止めないけど……勝算はあるのかしら?」
「はい。一緒に戦ってくれる協力者がいます。だから……絶対に勝ちますよ」
曲がりなりにもこの二週間、シリアルキラーを倒すため修行してきた。
莉子の復讐の為という訳ではないが、少しでも彼女の力になりたいという思いがあった。
「そうなんだ。私は見ての通りだから一緒に戦ってあげられないけど、一つだけ約束して」
「何ですか?」
「絶対に死なないでね。生きて帰って来てちょうだい」
美穂さんのおかげで熊谷綾河に関する有益な情報を手に入れることができた。
家に戻った後、莉子に電話を掛けた。
「もしもし? どうしたの勇斗君」
気だるそうな莉子の声が耳に届く。戦いに備えてどこかで休んでいたのだろうか。
「莉子、聞いてほしいことがあるんだ。熊谷綾河の新しい情報を手に入れた」
「それは興味深い話だね。詳しく話を聞こうか」
俺は熊谷綾河の新能力『氷人間』について、莉子に説明した。
美穂さんの話では熊谷綾河は一度に五体まで氷人間を生成することができ、素早い動きで追いかけ、壊してもしばらくすると再生するとのことであった。
「氷人間……それは厄介な能力だね。集合時間を一時間くらい早めておこうか。そこで、対策を練ろう」
「分かった。それじゃ現地で」
俺は電話を切った。氷人間は確かに厄介な技であるが、無敵というわけじゃない。
少なくとも、氷人間を五体同時に破壊することが出来れば勝機はある。
この十三日間の修行で俺はあらゆる爆弾の生成を試みた。
「あれを使うか……」
氷人間の同時破壊にうってつけの爆弾があるが、仕掛けるのには少しばかり時間が掛かる。
俺は鷲尾銅山の周辺をマップで確認し、頭の中で何度もシミュレーションを繰り返した。