雑談話① 知性の神秘
「虫なんて何も考えてないでしょ?」
「いやいや、どんな生物でも多かれ少なかれ何か考えてはいるだろう」
こんなやり取りを聞いたら、皆さんはどう感じるだろうか?
多くの学者は一般的に、虫には知性も感情も無い、怪我をした時の痛みすら感じていない、と考えてきた。
その理由として、知性と感情を持つためにはまず、高度な脳を持つことが必要条件だからだという。
そう考えた時、虫の脳はサイズが小さすぎて容量が足りないらしい。
痛みに関して言えば、虫を観察する限りでは脚が取れたりしても痛がる様子が見受けられないことが理由のようだ。
しかし、上記の意見と異なる考えを持つ研究者も少なからず存在する。
彼らはそれぞれが虫の知性に関する独自の研究に取り組み、実験を繰り返している。
例えば「ゴキブリの学習能力」について実験を試みた研究者がいる。
床を50℃に加熱した円形の容器を用意し、容器の壁に視覚的に異なる4つの模様を配置する。そして、その容器にゴキブリを入れる。
床には熱くならないセーフティゾーンが一ヶ所だけあり、ゴキブリは容器の中を出鱈目に走り回るうちに、最終的にセーフティゾーンに落ち着く。
同じ実験を何回も繰り返すと、ゴキブリは次第に壁の模様とセーフティゾーンの位置関係を把握し、模様の位置を目安にセーフティゾーンを目指すようになる。
この実験では、壁の模様の位置を変更するとゴキブリがセーフティゾーンの位置を素早く把握できなくなったことから、「ゴキブリは壁の模様とセーフティゾーンの位置関係を学習していた」と結論付けられた。
もっと不思議に思える実験としては「粘菌」という生物の知性に関する実験がある。
粘菌とは、アメーバのように自身の形状を変化させることのできる単細胞生物だ。
身体そのものがたった一個の細胞で作られているため、目や耳などの感覚器官も無ければ、脳や内臓なども無い。
複数が集まって集合体を作ることがあり、その仕組みは菌の集合体であるキノコに似ているという。
集合体になっても、個体同士にはお互いの情報のやり取りを可能にするようなシステムは見当たらないらしい。
キノコのような菌類と異なる点は、動き回って餌の捕食をする「生物」だというところだ。
粘菌は名前に「菌」と付いているが菌ではない。
そんな粘菌を迷路に入れる。
スタート地点とゴール地点には餌が置いてある。
粘菌は最初、迷路の中を平たく全体に、スライムのように広がっていく。
やがて餌に触れると、最終的に粘菌は迷路の中の無駄なルートにいる者は姿を消し、スタートからゴールまでの最短ルートだけを結ぶ姿に変形する。
餌から餌への最短ルートを学習したのだという。
ここでの最大に不思議な点は、個体間での情報のやり取りができないと考えられている粘菌同士が複数繋がって、どういった仕組みで最短ルートを結んだのかというところだ。
脳が無いのに何らかの学習をしている。
そしてその情報を、何処にか分からないが記憶している。
更には、別の個体と集合体として繋がにった時、個体同士はお互いの持つそれぞれの情報を共有するらしい。
何をどう把握し、どの部分で考え、どこに記憶しているのか。どう情報を伝えているのか。それらについては解明されていない。
「思考し、記憶し、情報伝達する」という事実だけがある。
人智の及ばない、計り知れない何かがあるのだ。
ちなみに、この実験に用いられた粘菌の種類は「モジホコリ」という。
興味のある方は是非、ググってもらいたい。
そして、この粘菌の研究をした学者は、イグノーベル認知科学賞を受賞した。
上記の二つの実験が物語っていることは、虫の極少サイズの脳にも学習するだけの能力があるということ。
そして、脳を持たない生物にも、解明されてはいないが知性と記憶能力があるらしいということ。
ちなみ、ウニ、ヒトデ、クラゲなどの生物も脳を持っていない。
人は、己の価値観で多くの物事を判断する生物だと思う。
きっとそれは、人として当たり前の考え方だとも思う。
既存の価値観に無い真実というものは、理解することが不可能に近いくらいに困難だろうと思うから。
しかし、人の価値観に属さない世界の真実というのは、おそらくは数え切れないほどある。
脳を持たない生物は意外とたくさん存在し、そして、その生物たちは、きっとどこかで何かを考えているのだ。
脳で物事を考える生物「人間」には、これらの生物の思考の仕組みを理解することはおそらく不可能だろうと思う。
しかし、研究者たちは、その不可能と思える仕組みの解明に挑み続けている。
世の中に潜む多くの不思議、そしてその謎に挑む者たちがいるからこそ、きっと世界は面白い。
私はいつの日か、研究者たちが「知性の神秘」について解明をしてくれることを楽しみにしている。